見出し画像

協力隊になるきっかけとなってから

協力隊生活も半年が過ぎ、そろそろ終わりが見えてきました。先日、出身大学から大学の東日本大震災復興支援活動をまとめた報告書を作るので、私が参加した震災ボランティアや福島県のスタディツアーで感じたことを1000文字でまとめて欲しいとの依頼を受けて執筆しました。大学時代のボランティア活動と現在の自分がどのようにつながっているのかを改めて振り返りました。1000文字では伝えきれない部分もあったので、このnoteを通してもっと言葉にしてみようと思います。

私は大学時代に宮城県石巻市でのボランティアや、福島県で復興に尽力されている方から話を伺うスタディツアーに参加しました。特に福島県のスタディツアーで聞いた話は現在の自分に大きく影響しています。

原発から近い福島県南相馬市で障がい者福祉施設を運営する方の話に大きな衝撃を受けました。震災当時、南相馬市で避難するにも避難できない環境にある障がい者の支援に奮闘した方です。社会的な問題に精通していて、幅広くいろんな話を熱く話してくれました。原発が爆発する可能性があるにも関わらず迅速に報道しなかったメディアの問題。あまり多く報道されない、小児甲状腺がんの話や福島出身の人たちの結婚差別の問題などをたくさん伝えてくれました。話を聞いていて僕は、今まで直視してこなかった社会の現実を突きつけられた気持ちになり混乱しました。

なぜ福島県のあの地に原発が建てられたのか。大きな社会構造に目を向けるようになりました。財政難に陥っている地方に中央からリスクと引き換えに多額のお金が降りてくるような構造。受け入れる側のことを考えると、「原発反対!」とか「賛成!」とか一言で言いきれない複雑な問題があることを知りました。私はこのまま進むと「中央」の力で「地方」の多様なものが消されていくのではないかと考えるようになりました。東京一極集中の流れで戦後の経済成長が進んだという側面があるとはいえ、今の時代に一極集中のまま進むことに対する疑問があります。

そんなことから「地方」や「村」というものに注目するようになりました。昨年2月、タイの農村部に行く機会がありました。そこで見たのは、首輪に繋がれていない犬が私の方に吠えながら近づいてきて、私の足元の匂いを嗅いで何事もなかったかのようにスタスタと去っていく姿。道をスタスタ横切る列になった鶏とひよ子たち。民家の横にいるヤギ。その光景に感動しました。

そこら中で走り回っている鶏

タイの農村風景

村から学ぶべきことや地方から学ぶべきことが何かあるかもしれない。そんな風に感じたことに加え、自分探しの1年を作れると考え緑のふるさと協力隊になりました。

私は大阪の都市部で生活してきました。実家の地域は町内会や子供会すら存在しません。高山村では、田舎ならではの暮らしを体感しています。近所の人と飲みに行ったり、夜ご飯をご馳走になったり、酔っ払って朝起きたら近所のお宅の布団にくるまっていたこともありました。それ以外にも活動先や近所の人に野菜や果物のお裾分けを頂くことがたくさんあります。子供たちが家に遊びに来ることもしばしば。村は、畑や田んぼが多いので畑を借りて自分で野菜を作らせていただいたり日々起きる出来事が新鮮で、本当に楽しく過ごしています。

家にズカズカ入ってくる生意気中学生(笑)

自分の畑で収穫した野菜

その楽しい気持ちと反対に、村の多くの方々から見られているという緊張感もあります。緑のふるさと協力隊の受け入れは11年目になるので、村民の多くが私を知っています。過去の協力隊などと比べられたりきっと誰かに評価されているんだろうと考えてしまい、うまく振る舞わなきゃと焦る時もありました。周りの目がしんどくネガティブに感じることもありましたが今は半分開き直っています(笑)

活動で農作業に関わるにつれて農業界のことも知るようになりました。種苗のことなんて考えたこともありませんでしたが、多くの種が外国から輸入されていることに驚きました。数年前TPPが話題になりましたが、あの時は全然意味がわからなかったけど、とても大切なことだったんだと気がつきました。ある農家さんがこう言っていました。「食品関係のことは報道されにくい。テレビなどのCMをイメージしてごらん。多くの食品会社のCMが思い浮かぶでしょう。テレビなどでは、食品関係について報道しにくい構造的な問題があるんだよ。」このような話は、自分自身が普段食べているものを見つめ直すきっかけになりました。

村の伝統野菜『高山きゅうり』

見た目のいい野菜を大規模に作り、多くの収量を上げることが現代の農業の主流。多くの人は米や野菜の味よりも安さを求めているし、1年前の自分もそうでした。多様な野菜たちが消えつつある。村の農家さんたちも一人で細々とやっていく人口は減り続け、その分大規模で大きい面積をこなす農家さんが残っているという事実もあるようです。

私も含め村の人たちは、資材や食料品、衣類など村の外のホームセンターや大きなスーパーマーケットで調達します。村の中の少子高齢化は深刻で人口は少なくなり今後空き家が増えていく、休耕田や耕作放棄地なども今後加速して増えていく未来が想像できます。現在、村の中で使われていない土地にどんどん太陽光パネルが入ってきているという話を聞いたり目にすることもたくさんあります。

私個人としては、効率的に利益を上げることに主軸を置く社会よりも多様なものを大切にできる社会の方が面白いだろうと思っています。現代の村は、ちゃんと経済の仕組みに組み込まれていました。私は自給自足のような生活をしている村を想像していましたが、そんなほのぼのとした村では決してありませんでした。そりゃそうか(笑)

村の現状を知ると残念に感じることも多くありましたが、そんな時に思い出すのが福島県のスタディツアーでお邪魔したソーシャルビジネスを展開する方のお話です。その方は原発事故で一度住めなくなった南相馬市小高区で、地域の課題をビジネスで解決しようとしています。「一度人口がゼロになった小高区は最も簡単に新しい社会を創造できる場所だ。予測不可能な未来を楽しもう。」そんな言葉から感じられる前向きな姿勢に圧倒されました。かっこいいと感じました。

どんな状況に置かれても、前を向いて最善を考える。そんな心の持ち用を教えてもらった気がしています。悩んでいたって仕方が無いさ。先日のいぶき太鼓の記事とも通じるところがあります。

東北や高山村で多くの人に出会いましたが、どんなことでも責任をもって自分たちで創りあげている人はかっこいいです。私自身も他者に依存せず、時には周りの手をかりて前向きに物事を考えられるような人になりたいと思います。

さてそのためにも今日からの「若葉のふるさと協力隊」をいいものにしなければ!若葉のふるさと協力隊受入の前に自分の頭を整理するためにも、自分を鼓舞する意味でもこの文章を書きました(笑)

さあがんばるぞー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?