限界集落を見に行こう

昨日は、協力隊の活動を受け入れていただいたTさんと共に、午前中椎茸のコマを原木に埋め込み、午後になってからその原木を山に持って行きました。椎茸がなるまで2年かかるそう。その時期にまた取りに行きたいです。


今回の内容はそれ以降の話。

原木椎茸の作業が終わり、少し時間が余っていたのでTさんは「限界集落を見に行こう!」と言ってくれました。人口の本当に少ない地域がどんな状態なのか見てみたいという単純な気持ちから「行きたいです!」咄嗟に答えました。

行き先は高山村の隣、中之条町のとある集落。車で、国道から右へ曲がりぐんぐん坂を登って行きます。小さな工場や民家を横目に、まだまだ登って行きます。畑や田んぼが多くなり、民家も少なくなってきました。やがて民家などは見えなくなり、道幅の狭い山道へ。そこからさらに山道を5分ほど上ると、倉庫や民家がやっと見えてきました。ここからがTさんの言う限界集落。

民家はポツポツとありますが、人が住んでいるのかいないのか分からない。草が生い茂った空き家が多数あれば、家が真っ二つに崩壊している空き家もありました。墓地の横には錆びて茶色くなった御堂もありました。それでも数人、住んでいる方はいるようです。

僕はこの光景を見て、驚きました。同時にショックでした。

「これから日本全国、空き家が増えていくんだろう。大変だろうな」なんて薄々は考えていましたが、いざ本物の空き家を前にしてみると本当に寂しい気持ちになりました。「この草の生い茂った家に住んでいた方は、どのような背景からこの家を去ったのか。家を去るときどんな気持ちだったのか。年に1度や2度は戻ってくるのか。」色々考えます。そして、このような光景が、全国の至る所で見られている。これからますます増えていくというのは、どういうことなのか。

今日僕が見た空き家の数々も今後何十年、僕が死ぬまで死んでからも放置されたままになるかもしれないと考えるとなんだかやりきれない思いになります。とか言ってもどうせ忘れてしまうんだろう。それが悲しい。


車の中でTさんと、色々話をしました。「どんどん都市部に流れて行って誰もいなくなる。」「昔はこの辺も木を切ったりしていたみたいだけど、今はその需要がないよね。」

僕は最近、農作業をすることが多いので野菜のタネや苗とよく触れ合います。今まで農業と言えば昔から続いてきたものだ。という風に昔からある営みだと単純に思っていました。

でも農家さんは、タネや苗を買っている。しかもその中には、大手の種苗会社の物もあれば、外国産の物も数多くあります。農家も市場経済、グローバル経済の中にちゃんと組み込まれているんだと認識するようになりました。


本当に今のままでいいのだろうか。やはり疑問に思います。多くの人が同じところに住んで、同じようなものを食べて暮らしていく。日本各地にあった多様なものがなくなってしまう。

いろんなところで言われていることだけど、やっぱり実際に見たり体験したりしてみると本当に深刻なことだと感じました。


でも、江戸時代の生活に戻れといわれてもそれはやっぱり難しい。

今この地点からどんな暮らしができるのかを考えていこうと改めて思いました。



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