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なぜアニメ・漫画原作付き実写映画は、こうも嫌われるのか(中編)

前回は「原作付き実写映画(テレビドラマ)」がなぜ忌み嫌われるのかを勝手な妄想メインで考察してみました。今回はその世界の歴史を混じえ、ソレがどのように人の目に映っているか、ソコからどういう意識になっていくかを考えてみます。

昔も今も…先達の記憶

実は凄く過去にも、実写化されてスゴイことになった作品があります。コレに胸ときめかせて毎週見ていた子供もいただろうし、当時のユーザー全てが嘆いたか明確にそう思ったかは、この際さておきます。しかしそう思った人の数は多分、決して少なくないと思うのです。これらは映画ではなくテレビドラマとして制作されたものですが、その例を借りて、次の2つを御覧ください。

Screenshot_2019-08-29 画像・写真 幻の実写版『鉄腕アトム』、現存する58話がDVD-BOXで半世紀ぶり復活 5枚目

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特に平成以降の生まれの方々、上記の引用画像、コレ何の作品だと思いますか?多分タイトルくらいは聞いたことあると思うんですが…。

技術の発達度と想像力の限界があった…とはいえ

回答です。最初の画像は「鉄腕アトム」そして二枚目が「鉄人28号」です。

え?御冗談をって?それ超有名作品だからオレも(ワタシも)知ってるし!コレMAD画像だろ!インチキだろ!バカにすんな!?
…まぁそうですね、今になっては恐らく、ソレが正常なリアクションでしょう。でもね、上記のコレ本当に本物なんです公式なんです。現実に公式の「鉄腕アトム」と「鉄人28号」。

多分、みなさんの頭の中にあるモノは、こういう風味だと思います。

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(時系列上、漫画があってアニメになった…そう思ってる人は多いと思います。そうではないんです実は。漫画とアニメの間には「実写版」が存在するのです)

つまり、観客は「原作付き実写映画」を、ほぼ後者(原作と変わらぬもの)を観に行く心づもりで劇場に行きます。絵や俳優(実在人物)の像を事前に比べて見ていたとしても、実際の意識はそう言う感じです。しかしそのスクリーンに映ったのは、ほぼ前者(魔改造)のソレなのです。ソレくらいのギャップが、(覚悟していたとしても)視聴者(観客)の心のなかで生まれていると考えられます。

加えて、漫画やアニメの世界は「デフォルメ」の効果が常時効いています。私達の生活する現実世界には無い、内心情がテキスト化して自分の横に書かれたり、書き文字に頭を殴られたり、身体の水分全部出たんじゃない?という位の涙を噴水のように流し、死ぬよね?と思うところから落ちても無傷だし、拳を全面に突き出すと、視界にはありえないくらいの歪んだ「マンガパース時空」が発生します。原作ファンは、ソレをごく普通の当たり前の世界、現象、理(ことわり)として無意識にソレに慣れていて、ソレを違和感なく体内(脳内)で消化できる身体(脳内)構造を持っています。

…そうです、実写映画にはソレが無いのです(最近のはCGでそれさえも表現しちゃう作品もありますが、ソレはかなり上手くやらないと、ネタが浮いちゃってまた悲惨さに拍車がかかる原因に…)。
ソレゆえに一番楽しく、キモであり、所以であるソレそのモノが、見事なまでにごっそり抜け落ちてしまっているのです。

別に上記のような派手なデフォルメ表現部分だけでなく、感情の吐露の仕方、台詞の言い回し、キャラクターの表情等などについても、多分個々に違うんですね。
アニメや漫画などの世界に造詣深くない映画人は、アニメ・漫画世界の方程式を、「一般人にわかるように」との大義名分から、ナチュラルに現実世界の方程式に変換して作ってしまう。まず自分が理解できるように作ってしまう。悲劇の始まりはソコからではないでしょうか(皆がそうとは言いません。中にはその辺が上手い方もいらっしゃいます)。

で、まず、作品のファンはそこで単純に「萎えます」
原作に執着のない、一般人観客の方々にとっては取るに足らない、そして意識しないコレらの部分が、まさに阿鼻叫喚ブーイングの主な原因と考えます。ソレを何回か経験してしまうと、次に別の作品が実写化となったときに、観てもいないのにナチュラルにこう言ってしまうんですね。

「原作破壊キター」と。(言いまわしが多少古い)

これら双方の解釈をちゃんと消化できないと、永遠に双方にとって幸せな関係は築けないのではないかと思います。映画クリエイターサイドに偏っても、原作ファンサイドに偏っても、できるものは偏ったもの。「原作付き実写版」の制作というのは、ホントにイバラの道です。

自分が具体的にコレ!と思うのは…まぁたくさんありますが、羅列しても結局呪詛になるし、もう延々と恨み節のエンドレス・オンパレードになるので文字数的にもキリがありません。だから自分ランキングトップ(ワースト)2のタイトルだけ挙げておきますね。(感想には個人差があります)

・「ハチミツとクローバー」(原作・羽海野チカ TVドラマ版、映画版)
・「Papa told me」(原作・榛野なな恵 TVドラマ版)

ちなみに「漫画からアニメ化」というのにもソレはあったりします。
・「赤い牙・ブルーソネット」(原作・柴田昌弘 OVA作品)

※(特にOVAブルーソネット、オメーだけは以下略)
※(ハガレン実写版もそんな感じだったのかな?とは思いますが、これに関しては周囲の感想も聞こえてこなかったし、全く観ていないので、判断材料がなく現時点ではなんとも…)

では「成功例」とは

失敗作の話ばかりしても、キモチがダウナーになるばかりです。少しは(結果)プラスだった方にも目を向けましょう。
しかし、先に挙げた鉄腕アトムと鉄人28号もそうですが、成功の例を挙げるとなると、コレも全く一個人の意見になってしまいます。そうとは感じない人もたくさんいるとは思いますが、自分はあえてこの作品を挙げさせていただきます。ご了承ください。
私が「実写化成功作」と思うのは…

「ハチミツとクローバー」(台湾TVシリーズ版 台湾名:蜂蜜幸運草)

・公式ホームページ(現在は消失。Webアーカイブでの保存ページが開きます。※要FLASHプラグイン)
・日本放映局 朝日放送(ABC)ホームページ

です。え?日本版?ええ、確か、ありましたね、テレビドラマと映画…

前もって私のステータスを記しておきます。

原作・アニメ版:最後まで読んで(観て)ます(めっちゃスキー)。
映画版:すんません、予告編くらいしか見ていません(しかし予告編でもうダメでした。加えて自分の周りのハチクロファンからは、キモチいいくらいにイイ話を聞いたことがありません)。
テレビドラマ版:一応見ました。でも一話で切りました。(三話は見ろよと言われそうですが、いやいや、自分全くアレは我慢ができませんでした。全話完走は熱湯風呂より過酷と感じて、心身の平穏のために早々に逃げさせていただきました)

原作ファンでありながら、前述で三行半を突きつけざるを得なかった作品の海外制作版がベスト1という、なんともドラマチックな展開です(笑)。
海外局の制作と聞いて、正直期待はあまりしていませんでしたが、見てみたらなんとまぁ!すごく面白いし、しっくりくる。キャラクター造形など寄せているところも好感持てますが、なにより随所に「原作への愛情」を感じました。ある意味、何も足さない、何も引かないという某ウイスキーのキャッチフレーズのような堅実な作り。

そしてこの作品、いわゆる「コミックエフェクト」が惜しみなく取り入れられているのです。そう、前述の「アニメ・漫画のデフォルメ」の所で話しましたが、ぶん殴られて人が空高く飛んでいくし、顔の周りにハートマークや花がポワポワ咲く。でもそれらが「全然嫌味じゃない」んです。当時、「これはスゴいな」と感心した覚えがあります。

もちろん、お国ならではのローカライズ部分や演出はあります。日本の視聴者に宛てて作ったものではないので、そのへんは当たり前です。でも好感が持ててしまう。そして真山が真山で、はぐちゃんがはぐちゃんで、山田が山田なんです。すごく安心してニコニコしながら観られました。私の中での実写化成功作の筆頭は現在コレです。ぶっちぎりです。

あと稀有な例としては、「パタリロ!(舞台、映画)」と「翔んで埼玉(映画)」(ともに原作は魔夜峰央氏)が挙げられると思います。特に「翔んで埼玉」は原作から逸脱している部分も多くあるにも関わらず「でもおもしろい!」という評判がたくさん聞こえてきます。振り切り方が豪快で、かつジャストミートな外し方をしたんだと思います。

「1999年の夏休み(1988年公開 金子修介監督)」は少女漫画不朽の名作「トーマの心臓(原作・萩尾望都)」のストーリーのコア部分だけを引用して制作された映画です。厳密に言えば「原作をもとに制作した同名の映画化」ではありません。コレは個人的なイレギュラー解釈ですが「原作を活かして成功した」という面では成功例の仲間に入れてもイイんじゃないかなとファンとして大甘で贔屓目に思ってしまいました(ファン言いよったw)。あ、これは興行収入的には多分成功はしていません(;´∀`)…確か。

失敗作がある、そして成功作もある。実写化した作品も「捨てたものではないな」と言えるモノが確かにあります。しかし圧倒的にアレげなものが多いのが現状。そもそも失敗作はなぜ生まれるのか。そしてその要因とはなにか。次回はその点を考察と言う名の、ほぼ「妄想」なヤツを展開してみたいと思います。(あまり期待はしないでください)

(次回、最終回!)






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