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大人のスケール感、子供の距離感

という記事がありました。それは正論であると同時に、矛盾も抱えているとも言えるものでした。

相談できない子どもたち

「大人に相談して」というのは、相手をよくよく吟味しないとダメな案件ですね。ニュースにもなったものもあったので、みなさんの記憶にもあると思いますが、大人に相談したが故に悪化した事例も、けっこう極最近にありました。大人への相談は結構「ガチャ」に近い状態でもあるかもです。ですので、一概にイイとも悪いとも言えない方法かなと。「学級(学校)は狭い世界」てのは賛同しますけどね、ただ大人にとっては狭いスケール(世界)も子供にとっては違うことがあります。

世代によって異なる「世界の壁」

子供は体力や行動力、財力、熟練していないコミュニケーション能力など様々な要因故で、その狭い世界がだだっ広く…いや、そもそも生活範囲外の外界を正確に認識していないことがあります。(緊急(イジメられ)時には子供の思考はカンタンにオーバーフローしますし)
隣町の塾に通っていたり、地方の親戚との交流が頻繁だったり、スポーツクラブなどで他地域の子供との交流等があれば別ですが、それらがなければ、子供にとって「閉じた世界(日常空間)」は唯一無二の「ザ・ワールド」だし、だいたい「狭い」とも感じてないのですよ。TVやモニタに映る外の世界は「リアルな世界」ではないし、行けるとも認識していない事も。
親・家族も例外ではありません。極最近も親に殺されたと同様の事件があったばかりです(だからといって頼るなと無責任な事も言えない、難しいトコですねココは)。

大人も子供も「余裕がない」

なんだかんだ言って、大人も子供もあらゆる意味で「時間が無い」ように思えます。だから相談しよう、されようという気も起きない。教委や教師はなぜ「平穏を装おう」とするのか、円満でなくなった親達はなぜそうなったのか、子供はなぜ「我慢しよう」とするのか。そのへんをもうチョット考えたほうがいいのかも知れません。

誰もが、不幸な子供のニュースはあまり見たくない。
まずは「昔はこうだった」「ワタシはこうだった」「組織としては」「世間的に」「男は、女は」と、そのへんを棚にしまっておく作業からやってみてはどうでしょうか。

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