ささやかでも
思い出というものはその多くを夏という季節に残してきた。少なくともわたしはそうだった。
梅雨が明けて夏が来た。
ただ近頃はどうもいけない。
いよいよ身体が悪いのだ。
今時「クリニック」ではなく「医院」と名のつく所の先生が話をよく聞いてくれて、対症療法のお薬を処方してくれる。騙し騙し何とかやり過ごしているが、一日の大半を「我慢」で過ごしている。
何度も心を壊し、立ち直った末に身体がこうなった。
「あなたみたいに治せない患者さんには何処か自分以外の所に行って欲しいと思う。どこの医者でもそう思う」だの「寝たきりになるのを一日でも遅らせる事を頑張りなさい」などなどと様々な病院で言われてきた。
今わたしがお世話になっている医院の先生は、余計な事を言わずにちゃんと話を聞いてくれるので救われている。
ただ苦しみながら徐々に眠りに入る時、もう目を覚ましたくないと思う時も少なくはない。正直少なくないのだ。
休みだからと、昨日上の娘が家に来た。
「これ、作ったんだけど良かったら」と渡してくれた。
夏らしい飾り物だ。
横になっているわたしの体をさすってくれた。
こんな事をしてもらうと、なんだか生きる事に未練が出てくるから不思議だ。
わたしが思う思い出とは、ささやかな事が多い。
ひとつ余談。
今取り組んでいる神話部夏祭りの作品を娘に見せてみた。児童文学で小学生向けと言うお題だ。
2箇所に❌が付いた。
「授ける」を「与える」に変更。
「継ぎの入った」を「つぎはぎ」に変更せよとのお言葉だった( ̄^ ̄)ゞ
文芸に興味の無い人に推敲してもらうのもいいものだとわかった😆
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