見出し画像

魔の物件


それはありふれた街の風景に潜んでいる。


例えば、このようなケース。

いつも通る道で、なんとなく目には留まっていたけど入ったことはなかったラーメン屋が、ある時はたと閉店していることに気づく。まあ確かにそこまで流行ってる感じでもなかったしな、と思いつつ通り過ぎる。


別の日にその前を通ると、閉店したところにチェーンの中華料理屋がオープンしたようである。ふむ、まあこのへんになかったからな、今度行ってみようかなと思いつつ通り過ぎる。


しばらくその中華料理屋のことを考えない日々が過ぎる。


季節が変わる頃、人づてに「あそこ閉店するんだって」と聞く。行くと確かにその中華料理屋は呆気なく閉店しており、貼り紙の向こうにがらんどうで暗く埃っぽい空間が広がっている。


その後、あそこは今度は何になるんだろうなと思いながら前を通ると、明るい雰囲気の焼肉屋になっている。開店祝いの胡蝶蘭のアレンジメントに「御祝 株式会社〇〇」と書かれた小さいプレートが刺さって、店先に置いてあったりする。


また少し経って焼肉屋の前を通ると、まだ焼肉屋のままでいて、なぜかほんの少しだけ安心する。胡蝶蘭がなくなった店先から中を覗くと、週末の夜だというのに客はまばらで、新しく清潔な雰囲気が変に浮いている。明るく清潔な焼肉屋なんて大丈夫なのかしらと思いつつ、何度か前を通るたびにぼんやり同じことを思う。



こういった具合の物件は、都会・田舎を問わず全国どこにでも存在する。

一見、気軽に入りやすそうな立地である。交差点の角だったり、信号待ちで目に止まる場所だったり、周辺が賑わっていることも多い。

しかしそこで人気店として根付くことはほとんどなく、ラーメン>中華焼鳥>焼肉だったり、ラーメン>坦々麺>油そば>ラーメンだったり、スムージー>タピオカ>唐揚げ鈴>カステラだったりして、どういうわけか新しいテナントが入っては潰れを繰り返すのだ。

よそから入ってきたテナント側からすれば、人入りのよさそうなその場所は一見して何の問題もないのだろう。ただ定点観測をする身からすれば、いくつもの因果が複雑に絡まって何かよくない結界のようなものがその周りを渦巻いているように思えてならない。

またそんなことを思う一方で、街の奇妙な部分としてその場所を発見できたという、不思議な得意さを感じることもある。




ところで、慣れた道沿いの建物が取り壊されて新しい店や家やビルができたとき、それまでの風景が大抵思い出せなくなるのはどうしてなのだろう。


家のベランダから毎日見ていた家ですら、どんな壁の色で、どんな屋根の色で、窓はどう付いていたか思い出せない。

そんな、店が移り変わる魔の物件や、もう思い出せない建物のことを考えるたびに、世の中の現象のうち見えてるもの、自分が捉えているものはごく一部なんだろうなとぼんやり思うのである。