『違国日記』感想:この痛いほどの孤独を"ちがう国"のあなたと分け合うことが出来なかったとしても。

『違国日記』の最新5巻をやっと読むことが出来ました。(わーい!パチパチパチパチ!)

いま、私の胸を揺さぶるマンガの1つである『違国日記(いこくにっき)』はマンガ大賞2019年、2020年ともにノミネートされるほどの人気作。

今回は、この作品紹介してみようと思います。とっても長くなりました。笑

作者のヤマシタトモコ先生を知ったのは『HER』というオムニバス作品を読んだのがきっかけでした。シンプルに絵が好みだったのと女性の切り取り方が好きでした。これも名作なので興味あるかたは是非。

『違国日記』を手に取ったのは確か秋葉原かどこかの書店で、本当にたまたま見つけたのがきっかけ。その時は表紙の美しさに惹かれた運命買いでした。

■『違国日記』あらすじ

人見知りの少女小説家の高代槙生(こうだいまきお)(35)は、姉夫婦の葬式で姪である朝(15)が親戚の間でたらい回しにされている光景を目の当たりにする。そんな現状を見逃せず、勢いに任せて朝を引き取ることに!翌日、我に返った槙生は自宅に人がいることにうろたえ、人見知りを発動。一方の朝も両親を失った現実や自分の心にうまく向き合えずにいた。そんな凸凹の2人が送る年の差ふたり暮らし!

■槙生ちゃんの言葉

槙生ちゃんは社会と関わるのがとっても苦手な小説家です。作中、ぐちゃぐちゃになって片付けられない仕事部屋や、人間関係を結ぶのが下手くそな一面、外と関わりを持つことでとても疲れてしまう様子などが面白いぐらい表現されます。ここは個人的にとても共感させられます。片付けられない部屋、新しい人間関係は億劫だし、電話も苦手、外に出なくても平気だし自分のスペースに他人を入れたくない。そんな人って意外に多いのではないでしょうか。また、槙生ちゃんを語る上で欠かせないのが、彼女の発する言葉の数々。何よりその言葉には嘘が無く、心に直接届くようなエグみと正直さが混同し、美しいとすら感じてしまいます。しかし大人であり読者の私たちですら、うまく槙生ちゃんの言葉を飲み込み、咀嚼できないこともあるのですから、15歳の朝が槙生ちゃんと向き合う事はとてもとても大変なことです。

「わたしは大体不機嫌だしあなたを愛せるかどうかはわからない でも わたしは決してあなたを踏みにじらない」

引用:『違国日記』1巻 page.2 より

また、4巻で槙生ちゃんが自身と物語について話す場面があり、とても共感してしまいます。後見監督人の弁護士である塔野との会話の中で、塔野がまったく小説や映画・漫画などを読まない、という話になります。槙生は「物語」を必要としない人がいるなんて新鮮だ。と感想を伝えます。そして塔野に「なぜ物語が必要か」ということを問われた槙生ちゃんのやり取り。

「・・・物語はいわばかくまってくれる友人でした 特に子供のころには」「かくまう・・・」「ええ 初めての違う国に連れて行ってくれるような・・・」

引用:『違国日記』4巻 page.18 より

私も幼少の頃からどこか現実と違う所に連れて行ってくれる物語が大好きでした。これまで単にそういう現実とは違うトンデモ体験が好きなんだったと理解していましたが、槙生ちゃんが言うように匿ってくれる存在だったのかもしれません。

自分と地続きなはずの世界は、時に残酷で目を背けたくなることが沢山あります。子供の頃、親の喧嘩を聞いて言いようのない恐怖にかられたあの時。様々なステレオタイプにあてはめられ、自分のアイデンティティが緩やかに崩壊していったとき。学校や仲間という組織の枠組みに収まることに疑問を感じたとき。はじめて恋をしたとき。そんな、幼少から思春期にかけても私はいつも物語の中に入ることが好きでした。人に「変わってるね」と言われることも増えましたが、それが何を基準にした「変」なのか10代の私はひとつも理解できませんでした。
作中、槙生が10代の頃を思い出すシーンに自分を重ねてしまいます。

■妹で母でー、

『違国日記』は、あらすじ通り人見知りの小説家である槙生と、突然両親を亡くしてしまった朝の2人が同居するお話です。つまりお話のスタートはやや暗め。そして、この物語に大きく影を落とすことになっているのは槙生の姉であり、朝の母親である「実里」の存在。(「実里」については5巻まで読むことで彼女の内面にグッと迫ることが出来ます。)

まず槙生は実の姉である実里のことが嫌いです。そして憎んでさえいる。その憎しみは実里が亡くなったあとでも無くならない感情。これは作品の中でもはっきりと槙生の言葉で描かれています。槙生の記憶の中の実里はいつだって高圧的で槙生を否定する言葉を浴びせ続けます。まるで呪いのように。

対して朝にとってはどうでしょうか、実里が生きていたころの描写で度々親子の会話が描かれます。実里は朝を大切に育てていますが、髪を無断で短く切った朝に向かってこう言います。

「どうして?」「かわいかったのに、それじゃ男の子みたいじゃない」

引用:『違国日記』3巻 page.14 より

また、朝がうまく物事を決められないとき、「ぜったいこっちがいいよ」「お母さんは間違いないんだから」「ちゃんとしないと」「そっちはダメ」そんな風に言います。でも、続けて記憶の中で母はこうも言うのです。

「何でも自分で決められるようにならないと 朝」

引用:『違国日記』3巻 page.14 より

そんな中で印象的な場面をもう1つ。

朝がテレビでコールドプレイを見て「かっこいい」と漏らします。そんな朝の言葉を聞いた実里は

「へぇー朝はこういう男の人が好みなんだあ」

引用:『違国日記』3巻 page.14 より

と言います。朝はすかさず「曲がすきなの」と説明しますが母にはうまく伝わっておらずモヤモヤ。なんで親ってあんなのなんだろうね、矛盾して、自分は棚に上げ、理解してくれなくて、私たちはそんな大人にならないでおこうと親友のえみりと話します。

そして自分のことを理解しきってくれない母に対し朝はこう思うのでした。

わたしの世界はきっと砂漠と街のあいだくらいに建っていてわたしの砂漠を母はついぞ理解しなかったように思う

引用:『違国日記』3巻 page.14 より

私はこの『違国日記』という物語を通して「母」という存在を、鮮烈に意識させられてしまいます。そして朝と同じように、母に対して私自身の事をついぞ理解してくれないことに絶望し罪悪感とともに悲観的な気持ちを抱いてしまうことを自覚します。それは今でも苦しいし、どうにかしたかった。でもどうにもできないことを槙生ちゃんを通してこの作品は問いかけてくるのです。「母」とは何なのか、「母親」は同じ人間で、女で、そして?

■孤独という"砂漠"で

朝が物語の中で日記を書き始めるシーンがあります。しかし、何を書いていいのか、何を書きたかったのかが分からなくてポツンとしてしまうのす。そのことを槙生ちゃんに告げるのですが、そのポツンの正体は「孤独」であると教えてくれます。

『うん ・・・うん ・・・・・・わかるよ 「ぽつ―――ん」は きっと「孤独」だね』

引用:『違国日記』1巻 page.3 より

人生において人はそもそも孤独なのかもしれません。朝は突然両親を失ったことにより自身の孤独を急激に思い知らされることになりますが、人は誰しも心に孤独を抱えているのではないでしょうか。それは朝のように分かりやすいきっかけで気づくものかもしれません。抱えて生きているうち、気づかないぐらい自分と一体化しているかもしれません。

この『違国日記』を読んでいると自分自身を槙生ちゃんに重ねて共感しているようで、面白いことに、実は「あれ?私は朝なんじゃないか!?」ということに気づいてしまいます。

自分の心の孤独が槙生ちゃんによって浮き彫りになると同時に、他人がどうにかしてくれるものではないという現実を朝と一緒に受け止めることになるのです。だからこそ多くの人が共感し『これは私の物語だ』と思ってしまうのかもしれません。5巻に書かれているヤマシタトモコ先生の帯を読んで思わず泣いてしまいました。

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作中では、孤独を砂漠に例えた表現が端々に出てきますが、広大な砂漠が自分自身の孤独なら、私にとって砂漠とは、街とは、オアシスとは何なんだろう。そんな事も考えてしまいます。

すでに多くの方が読んでいると思いますが、この作品、『違国日記』について語りたい事は、それ自体言葉にするのが難しくとても時間がかかりました。(それなのにまとまりがない。)ただ、それでも伝えられること・気になって下さる方がいれば嬉しいです。


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