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スタンダードナンバー

前回はティンパンアレーについてでした。

ところで、スタンダードナンバーって、どこからきたのでしょうね?


ボーカリストがいわゆる「スタンダードナンバー」として覚える曲の多くは1900年代前半に書かれています。


まだロックもラップも無いし、ボサノバも誕生していない。

R&B(リズム アンド ブルース)は1940年以降形ができた、、、

だから「スタンダードナンバー」が当時のポピュラーで新しい音楽だったのかもしれません。


作詞/作曲家

エリントンもベイシーも、勿論ファッツ・ウォーラーも素晴らしい曲を書いていますが、

リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインや、ロレンツ・ハート

ジェローム・カーンとオスカー・ハマースタイン

ジミー・ヴァンヒューゼンとジュール・スタイン

アイラ&ジョージガーシュイン

のように、ブロードウェイのミュージカルナンバーの為に作詞・作曲家がチームを組んだものが多いです。

しかし、、、男性ばっかりだな。

この時代は女性作曲家で有名な人は出てきませんねえ。

女性作詞家ならいますよ!
I can’t give you anything but love, On the sunny side of the street
を書いたドロシー・フィールズは、作曲家ジミー・マクヒューとコンビを組みました。


前回書きましたが、大恐慌もあり、ブロードウェイでの仕事が減ると、

この「作詞作曲家の先生達」は、ティンパンアレーから映画産業の発展が見込めるハリウッドへ向かいます。

(ニューヨークからロサンゼルスに拠点が移動したからウエストコーストジャズが発達したのか?という説明は、別の回にします。)


チームを組む人が多い中、作詞・作曲を全て一人でやってしまう強者がいるんですな。


アーヴィング・バーリンとコール・ポーター


実は、アーヴィンは学歴がなく、楽譜も書けなかったようで、そのせいか、一般人にはわかりやすい歌詞とメロディが多いです。

だからボーカルにとっては歌いやすいと言えるでしょう。

一方、コールポーターは良いところのお坊ちゃんで、
イエール大とハーバード大卒、妻のおかげで彼も社交界に属す、、
でも、本当は女性が好きではない。。。。。。。。。
葛藤の多い恋愛、ケガ、病気、、、詳しくはコールポーターの伝記映画を見てください。

(五線譜のラブレターの方が沢山ミュージシャンが出ているから楽しめるからおススメです。)

複雑だけれど、おしゃれでウィットに富んでいて、それでいて社会を風刺する辛さもあって、コールポーターの曲は難易度が高いんですよ。


新しいスタンダードナンバー

ルイ・アームストロングのように、演奏する人(ミュージシャン)はニューオリンズからニューヨークへやってきましたが、

演奏する為の曲は、この時代にニューヨーク、その後はロサンゼルスで多く作られ、私達ボーカリストに愛される、いわゆる「スタンダードナンバー」になりました。

 ガーシュインのような偉大な先生が亡くなると、1900年代半ばからは、

ヘンリー・マンシーニや、ジョニーマンデルアランとマリリン・バーグマンバートバカラック、次の世代の作詞作曲家が新しいスタンダードナンバーを作ったのです。

酒とバラの日々、いそしぎ、、、、、などなど。



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