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若葉のふるさと協力隊2020 参加者感想文

2020年度7カ所で開催した「若葉のふるさと協力隊」。
参加者からの感想文が届きましたので、その一部をお届けします。


自然であるままに、生きるということ ―沖縄県東村での体験から—

【沖縄県東村】
人が変わる、いい方向に進むためには3つの方法があるという。
本を読む、旅に出る、そして人に会うのがその方法らしい。

ただ、この3つの難しさはそれぞれ違う。文章は本以外にも世の中にあふれている。少しの思い切りとお金があれば、旅には行ける(今年は新型コロナで事情は異なるが)。

しかし、日本のどこかで暮らしている、日常を知る事は難しい。
それを知りたい、と思ったことが参加のきっかけだった。

印象に残ったことが2つある。

ひとつはもてなしてくれた皆さんの「自然さ」だ。歓迎・打ち上げと対応していただいた役場の皆さんも(会自体がゆるやかで好感を持った)、模合(※地区の定例の会合)に呼んでいただいたNさんはじめの皆さんも(料理、特に魚は本当に美味しかったし喜んでくれてこちらも嬉しかった)も。

沖縄の自分史を話していただいた海ぶどう工場のオーナーも(質問したのは興味があったからです)、貴重なはずの伝統工芸の琉球紅型を見せていただいたアトリエの代表も(作成中のもの!)。

多分この場でなければできなかった体験ばかり。その他の皆さんも、実はかなり気を配っていただいていたと思うけれど、本当に自然だった。

もうひとつは、今回関わった方の経歴や属性の多様さだ。
多くの方が、一度は村外、さらには島外で生活をしながら、村に帰るという生活をしていた。進学すると村外の学校に通うことと関係があるのかもしれない。

2,000人に満たない村と言われていたけれど、むしろこの場の懐の深さを感じた。

東村での5日間で自分が受け取ったのは、これからの「問い」だった。
地域で生きている人たちがいる。あなたはどこで人に関わって、また旅立ったり帰ったりして、生きていくのか、と言うこと。
協力隊は、その問いに対して、自分の生き方を重ねて取り組むことができる場、そんな貴重な場なのだと感じている。

最後に、新型コロナによる情勢が不透明な中、この機会を作っていただいた関係者の皆さん、とりわけ急なリクエストにも対応、また楽しいだけではなくリアルな場をコーディネートしていただいた協力隊の伊藤さん(夜遅くまで隊の皆さんの進路の相談も聞いていただいていました)、役場の皆さんでは打ち上げの終盤まで参加してくださった企画観光課のKさん(同年代の同業者として親近感がありがたかったです)に本当にお礼を申し上げたいと思います。

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あっ"たか"さ"山"盛りな"村" 

【群馬県高山村】
高山村で過ごした5日間。気温とは裏腹に、そこに暮らす方々の心はホカホカでだったことが一番印象深いです。

枝豆、さつまいも、落花生も育てるマルチ農家の方。おやじギャグを平然とぶっこんでくるお茶目なところもありながら、若葉、緑の協力隊のことを大変ありがたく思ってくれている方でした。

サラリと人並でない経歴を話す元デザイナーさん。
「お金がなくなったらコンビニで働けばいいと思っていた」と好きなことを貫き続けた結果、今は有機農家さんをやられているとのこと。そんなたくましく、素直な生き方に、強く背中を押されました。

好きとこだわりを持って様々な活動をなさっている村の移住定住コーディネーターさん。
赤裸々に村や自然への思いを話してくださる姿が印象的でした。

若葉の開催に尽力してくれた高山村役場の担当者さんに、緑のふるさと協力隊の西山さん。
今回の若葉のふるさと協力隊を、農業体験をするだけの受け身なプログラムでなく、自分について、社会について主体的に考える機会にしてくださいました。

今回、村で出会った方、一人ひとりが抱いている思いは同じではもちろんありませんでした。相反することを言っている人もいました。

しかし、みなさん村のことが好きで、誇りを持っているところは共通していました。村のことを話したくて仕方がない!そういった印象でした。魅力を十分にわかっているからこそ、熱心に私たちに様々な話をしてくれたのです。

ほとんど他人である私たちにたいして、元より親しくしていたかのような、そしてこれから一緒に生活をしていくのかと錯覚するくらい、良くしてくださいました。
ここに都会との差を感じました。もちろん都会であっても、優しい人はいます。しかし、優しいのは、関係のある人たちに対してだけです。知らない人はみな他人になります。

高山村のように、何でもくれちゃうようなこともありませんし、ウチはウチ、ソトはソトの関係が蔓延しています。

高山村の人たちは、親せきの集まりのようでした。それが羨ましく、小規模で深い関係を築ける”村”だからこその魅力だと感じました。終始心がぽかぽか、あたたまった5日間でした。

20201031(2日目)_201117,

20201101(3日目)_201117お米運び 

大川村発!私のこれから30年

【高知県大川村】
11月1日から始まった若葉のふるさと協力隊。その2日前、私は仕事を退職しました。

現在31歳、今と同じだけ生きたら60歳の還暦です。年始辺りから、このまま東京で生活し続けていくことに疑問を抱き、地域で暮らすことを調べ始めました。その中で、緑のふるさと協力隊の存在を知り興味を持ちました。
今回、短期版である若葉のふるさと協力隊として大川村で過ごし、どのように生きたいかの輪郭が少し見えてきました。

まず、「たくさん動いて暮らしたい」ということです。
山中農園さんで体験したラナンキュラスの苗植作業を通して、自分は外に出て仕事をすることが好きだと再認識できました。身体を動かすことによる疲れは爽やかで、それによってお腹が空くことにも幸せを感じました。

次に、「暮らしている土地を語れるようになりたい」ということです。
大川村には、村出身の方もいれば移住者の方もいます。でも、皆同じように土地のことを語れて、質問に対して答えに詰まる人はいませんでした。
「ただ住居のある場所=土地」ではなく、土地と共に暮らしている姿が生き物らしくていいなと思いました。

3つ目に、「どのように食べ物ができているのか知りたい」ということです。
生きている黒牛を見た後の謝肉祭では、スーパーで肉を買うときには感じていなかった感謝を抱きました。
食べ物ではありませんが、地域の方のお宅で狐の皮を見たことも印象に残っています。動物が好きという気持ちや獣害駆除、殺してもきちんと皮まで処理する気持ち...私にはまだ未知の世界ですが、いつか知りたい世界だと思えました。

最後に、「美味しいものを作れるようになりたい」ということです。
大川村でいただいたご飯はどれも美味しかったです。作り方を聞いても「適当だよ」という回答でしたが、絶対に消えてほしくない味です。
今後、長く関わる土地と出会い、消えてほしくない味を見つけたら、自分もその味を出せる人になりたいと思いました。

この5日間での出会いや体験を通し、これからの生き方について考えることができました。

30年後、どんな土地で暮らしているかはわかりませんが、大川村の方々のように暮らしを楽しむおばあちゃんになっていたいと思います。

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私の人生へのモヤモヤに諸塚が教えてくれこと

【宮崎県諸塚村】
諸塚で過ごさせていただいた5日間で、私の心はポカポカに温まりました。

それは、私が東京で毎日慌ただしく働く中で徐々に抱いていた、今の生活は私に合っているのだろうか?という想いに対して、様々な角度からヒントをいただいたからだと思います。
その中でも、特に心に残っている気づきが3つあります。

1つ目は、人と人の心と心の繋がりが諸塚中にあることです。
私は、自分の住む地域で知っている人は、親戚と学校の友人程度です。街で偶然誰かと出会い、ふっと会話を交わすということは、滅多にありません。諸塚では、地域の付き合いが当たり前にたくさんあり、皆さんすれ違うと何気ない会話を交わし、知らない人同士でも些細な会話を交わす場面を何度も見かけました。
何気ない交流に見えるけれど、とても日常を豊かにしている心と心の繋がりなのだろうと思いました。

2つ目は、大自然の中で五感をフル活用して生きることの豊かさです。
私は、次は何しよう、これはどうするべきかな?など、考えることに時間のほとんどを使っていて、自分の五感を使って感じることが少なくなっていました。諸塚の大自然は、五感が自然に動いてしまうような美しいもので溢れていました。
風を感じ、小鳥の囀りを聞き、木の匂いを嗅ぎ、季節の食べ物を頂き、綺麗なパッチワークの山々を見て、五感がフルで動いていました。五感を動かすと、心が穏やかになり、頭が整理されてすっきりしました。五感で自然を感じることは、心が豊かになる、なくてはならない時間だと実感しました。

3つ目は、諸塚で出会った方々の働く姿勢です。諸塚では、農業や林業などを営む、様々な方に出会わせていただきました。その中の多くの方々は、生活のために働いているというピリッとした緊張感と共に、諸塚の自然でやりたいことをしているワクワクした情熱を持ち合わせて働く方が多く、大変感銘を受けました。大変なことも多い中自然と向き合いながら、自然とコラボレーションして何かを作りあげているような仕事だと感じました。

諸塚で出会うことのできた皆様、この活動を企画・運営してくださった皆様に、感謝の気持ちでいっぱいです。

これからは、諸塚で感じた気づきを、私の人生においてしっかり形にしていきたいと思っています。

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スローじゃない!

【福井県坂井市】
21歳、これからの人生の進路に何となくもやもやしていた私は、友達の紹介でふるさと協力隊の存在を知りました。
自然が好きで、都会より田舎でのびのび暮らしたい~!と漠然と田舎に憧れていた私はすぐに応募しました。
今コロナ下でグランピングとか、田舎の丁寧な暮らしとか、はやっているような気もして、私もYouTubeで観ては、癒されていました。
この時点で田舎→自給自足→スローライフ→最高という安易な考えだったんです(笑)。

フラグがたっているので、予想がついてしまうと思うのですが、竹田に着くと私のスローライフはどこかへ消えました。

とにかく熱い!季節は冬です。

関係ありません。多分、竹田は年中熱々です。

何が熱いのか、、、人です。

しかも皆さん人生の大大大先輩というような方々です。言ってしまえば年配の方々なのですが、竹田にいるときは年齢を気にすることがあまりなかったように思います。
それくらいエネルギーが爆発しているんです。
もう、負けましたね。生きていく熱量に年齢は関係ないのだとひしひしと感じました。
同時に毎日オンライン授業をしなしなと受けている自分がなんとも、もったいなく感じました。

竹田で出会った方々はみんな竹田を盛り上げよう、どうすれば竹田をもっと知ってもらえるか、どうすれば竹田の魅力を伝えられるかと本気になって考えていました。
実際に彼らが取り組んでいることを教えてもらい、体験していく中で、心からかっこいいなあ、と感じたんです。うらやましいとも思いました。

年齢に関係なく、竹田のことを愛して夜中まで熱く語れるんです。都会に住んでいたら、地域のご近所さんとこの関係ってないんじゃないかな、当たり障りのないこと言って何となく過ごすんじゃないかなって思いました。
具体的な活動についての振り返りが何もなくて、ごめんなさい(笑)。
でも竹田の人たちの熱さ、温かさ、結びつきを全ての活動に共通して一番感じ、印象に残ったのだと思います。

振り返ると、竹田にいながら自分のこれまでの生き方やこれからについてばっかり考えていました。
それくらい竹田が刺激的で温かくて、私の平坦な人生に雷を落としてくれたんだと思います、いい意味で(笑)。
人との出会いなんてたかが知れてると謎に冷めていた人生でしたが、出会いっていいなあとも思いました。

他にもいろいろな価値観がぐるぐるしました。
答えが出ないようなことについても仲間とたくさん考えて、かけがえのない時間です。これを書きながらほっこりします、みんなにまた会いたい!また竹田に行きたい!熱々な竹田に。
参加して本当に良かったです。ありがとうございました。

若葉のふるさと協力隊 大場舞 写真1 (002)

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