街を歩く(A街・夕)

   ***

 昼を十分に堪能した俺たちは、それから適当にA街を探索することにした。
 実のところ、これが今回の旅の醍醐味というか、俺と朱里が一番やりたかったことでもある。二人とも、普段はあまり来ない街を気の向くまま歩き回るのは好きだし、それこそ朝から晩まで歩きっぱなしでもそれほど苦にならない。
 それに、歩いていればいろんなことを忘れていられた。
「藍くん、さっきの店って名前なんだっけ?」
「名前? 見てない」
「ひぇー、何だってぇ!? せっかく写真撮ったのに呟けないじゃん!」
「別にいいだろ写真だけでも……ていうか歩きスマホやめろ」
「へぇい」
 やる気のない声を出す朱里。携帯をポケットに入れると、手持ちぶさたになったせいかスキップし始めた。子供だ。
 A街の昼過ぎは思ったよりも閑散としていた。この時間に歩くのは初めてだからなんというか、意外だ。きっとここにいる人たちはみな、建物の中か車の中にいるのだろう。閉塞感のある日常。少し息のつまる思いがした。
「藍くん藍くん」
「どした」
「次はどこ回ろっか」
「あー、怪しげな店?」
「民族的な?」
「民族的な」
 インドっぽいやつとかかなー、と朱里が独り言のように言う。それだとたぶんカレー専門的とかになるんじゃないか? でも飯はさっき食べたしな。いろいろと考えていると、道路をはさんだ向かいの道に雑貨店らしき建物を発見した。
「あれ、いいんじゃないか」見たところ、アクセサリーかその類のものを店先で売っているように見える。
 朱里は「ほお……」と息をつき、特に何を言うでもなく近くの横断歩道へと向かった。ちょうどその横をジョギングしていたジャージ姿の女性が走り去っていったので、途中から朱里のフォームがプロっぽいそれに変わった。
 こんなことを言うのはなんだが、朱里、影響の受け方まで雑だな。

   ***

「お嬢さん、悩みごとがあるんじゃない?」
「へっ、……はい?」茫然ってのはこのことを言うんですかね。
 藍くんの見つけたお店をちらっと見ようと中に入ったのですが、目の前に現れた謎のローブ姿のお姉さんに、あいさつする間もなくそんなことを言われてしまいました。
 お姉さんがふふふ、と笑います。そこはかとなく、魔女っぽいです。
「ごめんなさいね。私はこのお店の店主をやっているんだけど、ちょっとばかり、人の心が見えちゃったりするの。気を悪くされたかしら?」
「え、あー、いえ、大丈夫ですよ?」にがわらぁい。仕方ないよね。
 紫ローブのお姉さんは驚くほどに肌が白くて、顔の化粧はずいぶん濃い感じです。首元にペンダントらしき金属がちらりと見えますが、服の中に隠れてしまっています。お姉さんは後ろをくるりと振り向きながら、わたしと藍くんを店の中へと招き入れるように手を動かしました。
 なんとなく不安です。不思議な気持ちがします。わたしと藍くんは顔を見合わせ、とりあえず中に入ってみることに決めました。
「普段はただの雑貨店しかやってないのだけど、たまにいるのよ。あなたたちみたいに、このお店に惹かれてやってくる人たちが……」
「惹かれて……ですか」
「そう。まるで磁石みたいに、すうっとこのお店の中に入ってくるの。そうすると、私はその気配、オーラを感じ取ることができる。何かを抱えてる、そういうお客さんがやってきた、そういう空気がね」
 わたしたち二人はお店の奥まで行き、案内されたテーブルに並んで座りました。向かい側にお姉さんが座り、どこからかカードの束を取り出して、テーブルの上に並べ始めました。
「それってもしや、タロットカードってやつですか?」
 わたしがそう聞くと、お姉さんは首を振ります。
「違うわ。タロットも出来ないことはないのだけど、今のあなたたちには合わないだろうと思って。これは私のオリジナルカード」
 オリジナル……なんというか、うさんくさい香りがしますね!
「ふふ、やっぱりそう思うでしょうね」
「へっ!? こ、心読まれた……?」
「アホ、声に出てんだよ」藍くんにアホ呼ばわりされた……こんなことって……もうやだ……。ひたすら絶望的な顔をしていると後頭部を叩かれました。今のも声に出てたっぽい。やっぱりわたし、アホかも。
「仲の良い兄妹ね。羨ましいわ」
 お姉さんは微笑みながらそう言うと、テーブルに並べたカードを一枚めくりました。カードには奇妙な模様が描かれていて、面全体が薄い赤色で塗られています。
「赤は情熱、ってよく言うけれどね。本当はとても静かな色でもあるの。轟炎というよりは、暗い部屋の中で穏やかに灯っているろうそくの火のようなもの。風が吹けば消えてしまうような、ささやかな火を表す色。それが赤」
 それからお姉さんは、その隣の、わたしの目の前にあるカードをめくっていきます。今度のカードには模様がなくて、全体が灰色でした。
「灰……あまり良いイメージを持つ色ではないわね。残り物、霧のかかった風景、不確定なもの、形にならない……不完全さを表す色。何かが超過している。あるいは何かが欠けている。上手く収まらない……不安、心配、そういった感情が残っている。曖昧ね。知っているけれど知らない、それとも知らないふりをしているだけなのかしら……」
 ゆっくりと話すお姉さんの声が、わたしの耳にはっきりと入り込んできます。言葉の意味はよくわからないのに、頭の一部分が熱くなってくるような気がします。
 カードから視線を上げると、お姉さんと目が合いました。その目を見るとわたしは途端に怖くなって、藍くんの腕をつかんでしまいました。
「おい、どうした朱里? 顔色悪いぞ」
「あっ、ご、ごめん……ちょっと、嫌な感じがして……」
 わたしたち二人を見ていたお姉さんは、仕方ない、と言った顔でカードを片付けはじめました。
「ごめんなさい、なんだか無理やりだったわね。途中だけどこれ以上はやめましょう。……悪いことをしてしまったわ、許してくれるかしら?」
 わたしは、恐る恐るお姉さんの顔を見ました。さっきとは全然違って、お姉さんの表情からは怖さを感じられませんでした。お姉さんは、本当に申し訳なかった、というような顔を見せています。そこには陰りとか悪巧みとか、そういう感じの印象はまったく無いように見えました。
「い、いえ……わたしこそすみません、こんないきなり」
「いいのよ。もし、あなたたちさえよかったら、また遊びに来てちょうだい。そのときはちゃんと、お店の方のお客さんとしてね」
 わたしと藍くんは、見送られながらお店を出ました。五分も歩くとわたしの気分はすっかりよくなって、ずいぶん気が楽になりました。藍くんの腕を掴んでいた手にもっと力をこめると、藍くんがこっちを振り向きました。
「どした、朱里」
 やさしい声です。藍くんの声です。わたしはすっかり安心しました。
 わたしはいったん藍くんから離れて、それからもっと強く抱き付きました。藍くんは何がなんだか、という感じの顔をしてましたが、すぐに笑って、わたしのことを受け入れてくれました。
 やっぱり、藍くんと二人で旅をしてみてよかったと思います。わたしについて、藍くんについて、いろんなことをちゃんと確認できたから。
 これはきっと、わたしにとって、とっても良いことなんだと思います。

   ***

 それからいくつかの店を回って、駅に戻ってきたのは5時半を過ぎたころだった。俺と朱里は切符を買う。俺はK駅、朱里はO街行き。今朝の待ち合わせ場所はK駅の改札前だったが、帰りは二人とも、それぞれの家へと帰ることになる。
「次はいつだっけ」朱里がたずねる。
「再来週の土曜だから、……何日だ? いいや、自分で確認しとけ」
「へーい。あ、そだそだ」
 朱里がポケットからメモを取り出す。受け取って中を見ようとすると、朱里に制された。
「帰ってから見て! ちょっと、恥ずかしいこと書いてるから……」
「……おう。そうか」
 無機質なアナウンスとともに、ホームに電車が入ってきた。銀色の普通電車だ。二人で乗り込み、空いている席に座る。
「楽しかったね、藍くん」
「まあな。たまにはいいな、こういうの」
「ねー。次はあれか、藍くんが場所決め?」
「おう。まあ、大した場所でもないけど期待しとけ」
「よっしゃー! 今から楽しみだな~、んふふふぅん」笑い方がキモい。
「ま、とりあえず……あれだ。母さんによろしくな」
「うん! お父さんにもお願いね」
「おうよ、任せとけ」
 それからK駅に到着するまで20分ほど、俺と朱里は電車に揺られた。ふと横を見ると、疲れのせいか朱里が眠っていた。俺はつい笑ってしまって、子供のように眠る朱里の頭を静かに撫でてやるのだった。


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