第一回文フリ福岡・読書感想文その2「グラスの中のカシオペア」

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 文フリ戦利品のうち、一番最初に読ませていただいたのがこちらの「グラスの中のカシオペア」(リンク先は文フリ福岡のWebカタログ)。表紙絵の淡い幻想感に惹かれて購入。

 しかし綺麗な表紙とは裏腹に、中身は実に生々しい人間模様というギャップにたいそう驚きました。「女」という性が持つ醜さや汚らしさが随所に描かれており、その渦中でもがく主人公の姿はどうしようもなく悲痛に見えてしまう。本作の大きなモチーフであるサカサクラゲの生態と、その鏡像のように映し出される現実の姿が印象的な一冊でした。

 以下、本作品のネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。

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 年増ながらも美しく、「女」として男たちに求められる主人公の母。それに比べて、いつも自らを卑下せざるを得ないほど醜い容姿を持つ主人公。それでも自分には母にはない若さがあり、またれっきとした「女」でもある――その事実をまざまざと実感させられた主人公は、「女」としての自らの価値を見定めるべくもがいていく……というのが、僕なりにまとめた本作のあらすじです。

 主人公が飼っているサカサクラゲを筆頭とする水棲生物たちの生態と、主人公の周囲に広がる現実の状況とを二重写しに進めていく様が印象的な作品でした。作品全体にかけて鬱屈とした雰囲気が漂いますが、ラストにはか細いながらも希望の光を見いだせるような気がします。

 とにかくこの作品で印象的だったのは、過剰だと思えるほど自らの「女」としての価値を卑下する主人公のありようでした。そこには容姿、母親、周囲の人間などの様々な原因があり、そのどれを取っても主人公を明確に苦しめる材料となる。

 これがちょっとした被害妄想というか、過ぎた自意識から生まれたものであればまた話も違ってきたのでしょうが、残念なことに主人公の醜さは周囲から見てもおおよそお墨付きであることが徐々にわかってきます。特に主人公が服を探したり、化粧品を買いに行ったりするシーンではそれが顕著でした。それとラストシーンにおける母親の「ブス」というド直球な一言もですか。ほんと色々とずばずば言っちゃいますよねこの母。それが果たして良いのか悪いのか……。

 単なる思いこみだけではなく、客観的な信頼性のある卑下……僕が「生々しい!」と感じたのはまさにこういう部分でして、淡々とした描写の中に主人公の感じている苦さを染み込ませたような書き方、またそれを実際の状況として顕現させる展開作りなどが、まさしくその生々しさを体現しているのだろうと。そんな風に感じました。

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 「女である」という海から脱出し、もっと広い、おそらくは「人間である」という海に飛び出すことを決意する主人公。そこでようやくクラゲへの投影が終わりを告げ、グラスの中から外の世界へと出ていく。その姿は果たしてメデューサかポリプか……。奇しくもその手引きをしたのが、主人公が細々と憎んでやまない母親であったというのが、主人公にとってはどんな気持ちなのだろうな、と考えさせられます。

 無論、その外の世界において主人公が自らの価値を見つけ出せるのか、あるいは主人公の価値を見出してくれる誰かに出会えるのかどうかについては、これといって予感させるようなものがあるわけではなく、その意味で母の手引きはある種無責任であるとも思えます。しかし少なくとも、ずっとグラスやボトル、水槽の中などの狭い世界に漂いつづけているのでは、そのチャンスすら掴めない。そういう気持ちから、母は娘の人生を案じて、あんな風に言ったのだろうなと考えたり。

 今作において主人公と母親の仲は決して良いものだとは言えません(男を釣るためにあんたを生んだのよ、とまで言い切ってしまうくらいですし)。しかし、それでも親子の間には血のつながりがあって、内面的に近しい部分もある。この作品のメインは主人公の精神的な闘争であると個人的には思いますが、それと同時に、どうしたって変えることの出来ない「親子」というつながりについても、ひとつの在り方を提示した作品なのではないかと思います。

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 個人的に印象に残ったのは、母のパトロンである山本さんがアロワナの捕食を見つめるシーンでした。最初、たぶんアロワナというのは山本自身の比喩であり、おそらくは性欲、あるいは男としての実感を満たすための「餌」である主人公の母を、アロワナの投影先であるところの自分自身が捕食する……という状況に満足しているのかな、と思っていました。

 しかし作中でも言及されている通り、山本はどちらかといえば「餌」としての立ち位置に近い。山本は餌とする生き物たちに対してはあまり愛着を持たず、あくまでも中心にあるのはアロワナのことだけ。それを現実に投射するならば、自らが餌を与えることで、あるいは自身が餌になることで、アロワナのような美しい存在を生かしたり、輝かせたりすることができる。その状況自体に山本という男は共感していたのだろうなと。

 山本に男としての魅力を磨こうとする素振りがないのは、「餌」である自分にとって重要なのは、「男」であることよりもお金という「栄養」を豊富に持っていることなのだと考えていたからなのだと思いました。そしてその振る舞いは、「女」であることの執着からいったん抜け出した主人公が、その先の道で歩むことになるかもしれない一つの理想形でもあるのではないか。そんなことを考えつつ、最後まで読了させていただきました。

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 シンプルな装丁の中に、遊び紙として入ってくる鮮烈な赤色。本作を読んだ身からすると「もしやこの赤色は「女」という性の持つ色を表現してるとかそういう……?」とか思ったりするのですがさすがに深読みしすぎでしょうかね。経血の表現などありましたしひょっとしたらと思わないでもないのですが……まあ表紙が青みのある感じなのでそのギャップとしての赤なのかなとか。いろいろ書きましたが特に理由が無かったらすみません作者さん……深読みですので無視していただければ……(土下座)。

 ページ数はそれほど多くはない一方で、なかなかに強い衝撃を受けた作品でした。ぜひ今後のイベント等でもお見かけできればなと思います。ありがとうございました。



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