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現地で感じた、スウェーデンの民主主義と教育。一人ひとりが「声」をあげられる身近な場、それを届ける仕組みへの信頼。

EDUTRIP in Swedenから帰ってきた。
記憶のあたらしいうちに、現地で感じたこと・考えたこと・引っかかったことを言葉にしておきたい。
 
EDUTRIP自体の行程やどんなふうに過ごしたか、など旅のレポートは以下のFacebookページにまとまっているのでそちらを参照してもらえるとありがたい。ここではあくまで私個人の主観に振り切って書く。時系列もバラバラです。念のため。

また、この記事は、現地での経験や現地の方に聞いた話はもちろん、今回の現地コーディネーターとして旅に同行してくれた北欧研究者・両角達平さんによる解説や、彼のブログ「Tatsumaru Times」からの情報もベースにしています。1つ1つの訪問先についての解説もここでは丁寧にはしないので、興味を持って詳しく知りたい方は「Tatsumaru Times」へ。

この国の民主主義の基盤は「スタディサークル」。

スウェーデンでは、バンドやりたいとか、読書会しようとか、絵を描こうとか、ダンスやろうとか、そういうグループが友達同士やこの指とまれ方式でとても気軽にできる。これがスタディサークルというもので、いうなれば自由にハードル低く余暇活動をグループで楽しめる仕組みだ。

もちろん勝手に集まって勝手にやってもいいわけだが、全国的に10個ある中間団体(それぞれ特色がある)にそのスタディサークルを登録すると、その中間団体が持っている場所や道具を無料で使うことができる。また、例えば読書会をするのに「コピーがしたい」とか国際政治の勉強をするのに「講師を呼びたい」とかいう時にもお金も出してもらうこともできたりする。
10の中間団体をさらにまとめている、成人教育協会という機関もある。
成人教育協会によれば、全国で100万人が参加していて、参加人数はどんどん増えている。高等教育を受けている人よりもスタディサークルに入っている人の方が多い計算になる。(スウェーデンの人口は約1000万人)

スウェーデンには「Folk Buildning」という言葉がある。「folk」は民衆。「buildning」はeducation, enlightenment, empowermentの意味を含む。「folk buildning」には生涯学習という意味もあり、かなり独特の言葉だ。

スタディサークルのルーツは19世紀の民衆運動

スウェーデンでは19世紀半ばに、労働運動、自由教会運動、普通選挙権を求める運動、女性運動、禁酒運動など、社会変革を求める様々な民衆運動が起きた。当時、問題意識を持った人たちは、誰かの家に集まって、キッチンで輪になって、一緒に本を読んだり、問題意識をぶつけあったりして、互いに学び合っていた。そのような場に社会状況の異議や不満が持ち込まれ、変革のためのアイデアが生まれ、グループ化/組織化が起きて運動になり、社会が変わってきたという歴史がある。

だから、今でもスタディサークルは、「民主主義の学校 =民主主義の実践 / 練習の場」だと言われる。それが例えバンド活動であっても、絵画サークルであっても、それは民主主義のムーブメントなのだと。

10ある中間団体の1つ・学習促進協会での説明によると、民衆教育の目的は2つ。

・教育格差を減らすこと(Reduce gap of education)
・民主主義を高めること(Increase democracy)

さらに民衆教育は、このようなことに特徴付けられる。

・自立的、自発的な参加
・活動内容に参加者が影響を与える
・相互作用的な活動環境

というか、民衆教育たるものこうでなければならない、こうでなければ民衆教育とは言えない、という感じだろうと思う。

ちなみにお隣の国・デンマークでは・・・

実は、スウェーデンには「Folk Buildning」にあたる言葉がデンマークにもある。「Folke Opplysning」。意味はほとんど同じで、民衆教育を指す。
どちらの国でも、民衆教育こそが民主主義の基盤をつくってきたと言われる。

デンマークには教育の父と呼ばれるグルントヴィという人がいて、スウェーデンで民衆運動が起こったのと同じ頃、これまでの書物中心・暗記中心だった教育を批判し「生きた言葉と相互作用による対話」の重要性を説いた。彼がつくったのがフォルケホイスコーレ(民衆の大学)と言われる独自の教育機関だ。18歳以上なら誰でも学べる。学位や資格は得られず、テストも成績もなく、寮で生活を共にしながら対話を通して学び合う。
スウェーデンにもフォルケホイスコーレはあり、スタディサークルと並んで、民衆教育の一翼を担っているのだが、デンマークのそれとは、ちょっと違うのかもしれない。寮制ではないのが一般的なようだ。

デンマークでは、このフォルケホイスコーレの影響がとても強く、その思想と方法が公教育/義務教育学校にも大きく影響を与えたと言われている。今回はっきりとは分からなかったけれど、おそらくスウェーデンにおいてはスタディサークルがこういう役割を担ったのだと想像した。

北欧の民衆教育は、従来の学校教育≒Banking Educationへの批判であり、オルタナティブ。

さきほど、民衆教育の特徴として、以下が挙げられたことを書いた。

・自立的、自発的な参加
・活動内容に参加者が影響を与える
・相互作用的な活動環境

これは「伝統的な学校教育」へのアンチテーゼだと私は思っている。

・依存的 / 強制的な参加
・教師が決め、生徒は従う
・一方的な知識/価値観の注入

これがなぜまずいか。どうまずいか。
それは民主主義にとって「まずい」のだ。
 
"正しい価値観"や"正当な知識"を教師(権力者)が決める。生徒(被抑圧者)には選択する権利がなく、教師はただ空っぽの器にコインを入れていくように知を伝達する。生徒は与えられたコインを無批判に受け入れ、与えられた環境(抑圧状況)に順応してしまう。自分は適応するしかなく(もしくは適応もできない不出来な人間だと思わされ)、置かれている抑圧状況を読み解く術もなく、社会を自ら変えられるとは露ほども思わなくなる。
これで、権力者にとって都合のいい人間一丁上がりという訳だ。
  
ブラジルの教育者のパウロ・フレイレはこのような教育を銀行型教育 (Banking Education)と呼んで強く批判した。
 
北欧の民衆教育が、「民主主義の土台」とされるのは、こういう視点で見るとよくわかる。権利を求める社会運動と、「権力者による教育」を「民衆たちによる学び」に変える教育運動は、互いに支え合って今の北欧社会をかたちづくってきたのだ。
  
そして、民衆教育においては、「即、役に立つ学び(資格をとるといったような)」「選別に勝ち抜くための学び(いい大学に行くというような)」ではなく、「それ自体を楽しむ学び」「余暇的な活動」に重きが置かれている。
どこか別のところにある目的のための手段として学ぶのではなく(もちろんそれも全否定はしないのかもしれないが)、学ぶことそれ自体が目的であるかような学び。そこでは、学問的権威はどうでもいい。
「よく生きる」ということそのものと、学びが、深く結びついている。
(だからバンドも絵画もダンスもスポーツも、民衆教育の範疇なのだ)

では、スウェーデンの学校教育はどんな感じ?

スタディサークルの影響があってかどうかはよく分からないが(いや、多分あるだろうけれど)、スウェーデンでは学習指導要領の中に「民主主義を教えるという使命」が盛り込まれている。項目としてはこんなことが書いてあるそうだ。

・全ての人に平等に価値があること
・社会的連帯
・他者を理解できる力(異文化へのオープンさ/相手への思いやり)
・多面的な物の見方 / 研究で証明されたものを教えること
・民主主義の方法でものごとを進めていくことができる力をつけること
・影響力を持つということ(選ぶこと、責任をもつこと)
・グループへの貢献  など

各教科においても大きく位置付けられているらしい。例えばこういう感じ。

・生徒は自分の意見を伝えることをしなければならない
・倫理的な問題や今社会にある問題についての知識を教えなければならない
・生徒は教えられている内容を批判的な目で見て検討できる必要がある
 など

民主主義は、平等・連帯・個人/多様性の尊重・他者への寛容など目的としての価値であり、学校は、社会においてこれらの価値が実現/維持されていくために、一人ひとりの生徒がそれを実現できるスキルや力量を高めていくことができる環境づくりや働きかけをするという使命を持っている。

「それって学校教育の中でどれぐらいの重要度なの?」と聞いてみたところ、かなり大きいと言われた。すべての活動・すべての授業において意識されておくべきことだという認識だった。

民主主義を教えるって、例えば、どんな感じ?

今回訪れたストックホルム郊外の基礎学校(小中学校)では、こどもたちが、生徒会(Student Council)給食協議会(Food Council)について説明してくれた。これらはいずれも、生徒側と学校側が学校生活に関して意見を交わすための機関だ。基本的には学級ごとの代表が集まり、さらにその代表者が学校側と話し合うと言うスタイル。

例えば生徒会ではこんな意見が出て議論するそうだ。

「時計が小さくて見えないから困ってる、どうにかならない?」
「サッカーボールがもう1つほしいんだけど」
「グラウンドの場所の調整をしたい(どう時間や場所を分けるか)」
「毎週木曜日はクッキングやスポーツがある楽しい時間割の日なのに、そこにスクールトリップをそこに入れるなんて嫌だ。日程を変えてほしい。」

スクールトリップの日程は実際に変わったらしい。
オープンに話し合われて結構子どもたちの声は反映される模様。

給食協議会はこんな感じ。

「魚料理が週3回は多すぎるよ、1回で十分・・・」
「いつもフルーツを大皿にグチャって盛るのやめてほしい」
「じゃがいもがいつも固いんだけど、もっと柔らかく料理してほしい」

・・・かわいいんですけど。笑
けど、給食って子どもたちのほんとのニーズが出やすいし、日本でやるにしてもいいテーマだなと思った。
もちろん、食育的な観点も大事だし、シェフや学校側にも考えがあったりするので、なんでもそのまま聞くと言うことではなく、生徒が声を出して、そこから議論が始まる、と言うこと。

これは高校の英語のスピーキングの授業を見学した時の課題プリント。ストレスがテーマで、自分のストレス源やストレス発散法について話した後、最後の質問がこれ。

【D】Stress is not only a problem for the individual. What can society do to help? (ストレスは個人だけの問題ではありません。社会は手助けするために何ができますか?)

What can be done by...(学校は/雇用主は/政府は、何ができますか?)
●schools?
●employers?
●the government?

こういう感じかぁ、と思った。こういう例題の1つ1つの設問に、どんな学校がいいか、会社がいいか、社会がいいか、考える要素があるんだなぁと。また、社会科のクラスではフェイクニュースやフィルターバブルの話をしていた。自然科学系コースの生徒は気候変動について一番習ってると。まさに「今社会にある問題」だなぁ。

ちなみに、就学前学校に言った時も、「こどもたちの影響力を高める」という教育目標が、壁に貼られてありました。幼児教育の段階から、自分で選ぶ・意見を言う・他者と関わりあう、と言うようなことがすごく大事にされているのが感じられました。

高校生にもなると、自分たちは学校や社会に対して影響力を持っていると、ふつうに思っている。

今回訪問させてもらったナッカ高校にも生徒会はあって(ていうか基本どの学校にもあって)学校サイドとの交渉の窓口が当然のようにある。最近は、もっとゴミを減らそうという提案があって、学内にリサイクルコーナーが設置され、リサイクル率が上がったそうな。
 
生徒さんとのインタビューの中で、「あなたは自分が学校や社会に対して影響を与えられると思いますか?」と聞いたら、インタビューした6人のうち全員が「yes」と言った。
「of course」「because we have power to change」と。
 
なんでそう思えるの?と聞いたら、

「学校で、意見を言うことや、選ぶことをたくさんするから」
「実は僕は自分にそんなに大きな力があるとは思ってないけれど、
 例えば選挙に行くことは大切だと分かるし、
 政治のディスカッションもたくさんやるから、投票には行く」
「極右がどんどん影響力を持ってきているから、それを止めたい」
「もうすっかり刷り込まれてるよ(笑)」

学校教育を理由にあげていた子も多かった。

こんな調査があるけれど、今回行ってみて、実感としてはもっとずっと開きがある。それは投票率にはもっと如実に現れている気がする。(日本40%弱、スウェーデン80%超え)
 
ちなみに、先生へのインタビューの時に、「先生たちは、生徒が意見を言える授業づくり・生徒の影響力を高める工夫をどのようにして学ぶの?(研修とかあるの?)」と聞いたら、

「高校生に上がる頃には、みんな意見が言えるし話し合いのスキルもあるのが普通。だから、そんなに教師が手を施すことはないけど、まあ意見を言うことを奨励したり、否定したりしないということかなぁ。」

と言われて、「そ、そうですか。。」となりました。笑
まあ、もうちょっと教師のスキル的なことと、それをどう習得するのかを聞きたかったわけですが、民主的な学校運営・授業づくりをすることを、そんなに難易度高くは感じていない様子で、少々カルチャーショック。

気候変動へのアクションとしての学校ストライキを、先生も応援。

最終日、#FridayForFutureに行ってみた時に出会った高校生たち。
気候変動に対してできることをしなくちゃ、と学校ストライキをしている真っ最中。下の記事の高校生・グレタさんが呼びかけたもの。先々週はスウェーデンだけで1万人以上が集まったとのこと。このアクションは世界中に広がっていっている。

ナッカ高校の生徒の中にも参加したと言う子も。また、先生も「学校としてオフィシャルには"学校に来なさい"とは言うけど、個人的にはグレタのアクションを素晴らしいと思うし、生徒たちにもどんどん参加してほしい。思ってたほど参加しなくて、ちょっと内心がっかりしてる。笑」と言っていた。そう言えるって素敵だ。
#Teacher for Future という、このアクションを応援するネットワークもできている模様。

スウェーデンは、すぐグループをつくる。そして中間団体が盤石で、「意見吸い上げ力」がすごい。

最後に。スウェーデンは、スタディサークルにしても学校の中の取り組みにしても、一人ひとりが声をあげられる小さなグループやコミュニティがたくさんあるんだなと言うことを感じました。友達グループ、とはまた違う、枠組みのある小さな組織がたくさん、無数にある。そして、就労時間が短いこともあって、多くの人が何かしらのグループに属している。で、そこで日々意見を言い合い、擦り合わせると言う民主主義の実践をしているのだ。
 
そして、それを束ねる傘組織/中間組織みたいなのがあって、その上にさらにその中間組織をまとめる機関があって...みたいな感じで、より大きなところへとボトムアップで声が上がっていく。学校の生徒会とかもそうなってるし、労働組合とかもだし、多分、業界ごとの声を吸い上げるのにも、おそらくあらゆるところがこうなってる感じ。(ちなみに上の写真のスライドは、ヤングイーグルスという若者団体が去年の国政選挙の際に主張した政策提言。内容は、学校での無料の朝食提供など。)
  
それはつまり、アドボカシーのチャンネルがとても多いということ。それが吸い上げられて反映される仕組みができていて、その仕組みをみんなが信頼している。

EDUTRIPの参加者間の振り返りの時に、ある人が、テコの原理を持ち出して、スウェーデンの民主主義を説明していた。声を出して、意見を言ったら(力点)、それがちゃんと反映される(作用点)。それは力点に加えられた力を作用点まで運ぶ仕組み (支点)があって、機能しているから。そして、「ここに力を入れたらこれが動く」と思えるから、人は力を入れるんだなぁ。
  
その「支点」が、小さなグループや中間団体の存在なのではないかと思う。そしてスウェーデンはその小さなグループや中間団体の重要性を国が認めて、かなりのお金を出しているというのも大きそうだ。
帰ってきてから調べてみたら、スウェーデンは「組織の国」とも呼ばれているらしい。納得。

社会構造がかなり違う&日本には中間組織があってもあまり機能していないので、一朝一夕に変えられるわけではないかもしれないけれど、少なくとも教育現場で、授業の工夫や学級運営、学校運営の中で、スウェーデンを参考にできることは、いろいろありそう、ではないだろうか。

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