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兄の命日を迎え。

おはようございます、ゴリィです。端的に自己紹介すると、色々やっている人で、どっか抜けています(今回も雑)。詳しくはサイトをご覧ください。

さて、今日は兄が天国に旅立ってから7年という節目の日です。

父は僕が高校生の頃天国に旅立ちました。父と兄はお酒を飲み語り合うことが大好きだったので、きっと今夜も一緒に飲んでいるんだろうと思います(笑)。僕はそれができる歳になる前に父が旅立ったので、叶うことはなく。

僕自身も、学生の頃はさておき名古屋に転勤してからは帰省は年3回になり、帰ったときは必ず一緒にドライブに連れて行ってくれたり、僕の旅好きは兄の影響でもあったかもしれませんね。

さて、4歳4ヶ月歳の離れた僕と兄。

僕は今、「兄の生きられなかった歳」を生きています。兄の誕生日は4月28日、命日は8月28日、僕の誕生日は12月28日。うまく出来過ぎてますよね。この計算のし易さ。

兄は43歳4ヶ月という生涯でした。僕は45歳8か月。4つも歳が離れていたのに、もう兄の年齢を越えてしまったんですね。

兄から「食道がんが見つかった」と連絡を受けたときはショックでしたが、「多分初期だと思う」というのでそこまで心配していませんでした。ところが2週間後、「末期で、余命半年と言われた」と兄から電話を受けたときは流石に動揺しました。その週末、名古屋から岩手の実家に帰りました。

元気な兄の姿が、そこにはありました。

逆に僕のほうが自殺未遂をして2014年の春から仙台暮らしになり、月に1度、徐々に頻度は上がり2週に1度高速バスで2時間もかからない実家に帰省しました。

そして、その年の夏、旅立ちました。最期を僕も立ち会えるように仙台暮らしになるまで頑張ってくれたのかどうかは分かりませんが、約2年、命を繋いでくれました。

もう7年かぁ。

最期のあたりから旅立って半年くらいのことは色々と思うことがあり、今年は思い出すのは避けようと思っています。ただ言えるのは、最後まで奥さん(僕の義理の姉)、息子(僕の甥)を大切にしようとしていたのは確かです。

当時、甥は父親が亡くなったことを理解できているかどうかも分からないくらいの歳でした。まだ小学生にもなっていなかったかな?甥も中学1年になりました。コロナ禍で全然会えていないんですよね💦。それは姉も母も一緒のことですが。

今日は実家に帰り、仏壇に線香をあげたいと思っていました(墓参りにはもう行っている時間に帰ることになるため)。でも、宮城県は「緊急事態宣言」の最中。僕は「命日に実家に帰る」ことは「不要不急」だとは決して思っていませんが、母と相談した結果、帰省は見合わせよう、といったんは決めました。

でも、正直今でも迷っています。ひょっとしたら、この後母に連絡し、「やっぱ帰る」というかもしれません。本当に迷っています。でも、相談するのは姉なのかもしれません。小学校の教員という立場があるためです。甥もワクチン接種はまだでしょう。そういったことも考えるとやっぱやめたほうがいいのか。

話は変わって、兄の生きられなかった年齢の日々を重ねていっている僕は、正直「父や兄に合わせる顔がないな」と思っています。さまざまな経緯で、「自力で生活できる状態」にないからです。今、それができるように手探りで「誇れる自分」になろうとしていますが、結果を出すまでには時間がかかるわけで。

ある訪問看護師の影響で2年間メンタルをさらに削られてきました。現在、「請求詐欺」の疑惑を訪問看護会社に調査してもらっています。仮に結果が「クロ」だとしても、客観的にそれを証明するのは難しく、最高で5000円の被害のために何かするのもバカバカしいといえばそうなので、まあ泣き寝入りでしょうね(これについては別途)。

本来ならば、色々やっている僕はその「色々」にそれぞれ「全力投球」しているのが理想です。ただ、今の精神状態でそれをやってしまうと、確実に息切れしてその信用は崩れてしまいます。

「誇れる自分」になるまでの道のりを歩く歩幅は小さくなり、少し迂回も必要になってきました。ここ1年で、僕には毎日一定時間「無駄な時間を過ごす」ことも必要ということも分かってきました。

僕がひとりの人間として尊敬する、ひとまわり以上歳の離れた「仲間」も、色々なことに全力投球しています。その姿には元気をもらえますし、憧れもありますが、今の僕が同じようにはできない、ということも理解しています。人には人の歩幅があり、同じ歩幅では歩けないのは人生も一緒だと思います。

僕が今目指すことの第一は、パートナーとできるだけ長い時間共に歩めるよう、そして「轟RADIO」の仲間とできるだけ多く笑い合えるよう、そして、「仲間」と再会できる回数を増やせるよう、長く命を重ねていくことだと思います。

「早く命を終わらせたい」、つい最近までそう思っていました。それがここ数年で変わりました。そのこころの変化は、きっと天から兄や父が見守ってくれていると思います。

実家に帰らない場合は、今日はいつものように過ごします。整体に行って、無為の時間を過ごして、夜はクイズページの更新をしたりオルゴールアレンジの続きをしたり。

このあと、実家の方向に向かって手を合わせたいと思います。

なんかまとまりのない文章になりましたが、最後までご覧くださいましてありがとうございました。

轟RADIO


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