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始まらなかった昔話『桃太郎』

むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました、というのは昔話の始まりにありがちなんだけど、私は住み慣れた部屋に一人で暮らしていました。ねえ、山へ芝刈りに行く?それとも川へ洗濯に行く?そんなことを話し合える相手もいません。そもそも芝刈りの方法もわかりませんし、コインランドリーが大好きな私には、川での洗濯も必要のないことでした。

とりあえず散歩でもするかと、私はいつものように、深夜二時のモノレール沿いを歩いていました。

深夜の一人歩きは危ないから気をつけな、鬼が出るからな、そんなことを言われるのにももう慣れました。危ないことは分かっているのです。それでも深夜の散歩は私にとって欠かすことのできない日課でした。

最終モノレールの時間はとっくに過ぎていました。私は左耳だけにイヤホンをつっこんで、We met by chance... とケイコリーを機嫌よく歌っていました。空には星々が瞬いていました、とでもいえば絵になったのですが、あいにく曇り空でした。絵にならないのが人生なのです。

昔話の桃太郎のタイミングであれば、ここで桃が流れてくることでしょう。しかしモノレール沿いには川がないので、運良く桃が流れてくるようなことはありません。私はそれはそれは平凡に桃に出会いました。道端に桃がコロンと落ちていたのです。

あ、桃だ。ちらっと道端に落っこちている桃を見て、それだけ思いました。ただ、それだけでした。落ちているものを拾って食べるのは行儀が悪いことを知っていたので、私は桃を拾うことはしませんでした。私は華麗に桃を素通りしました。

しかし、素通りした後に考えました。これでは何の物語も始まりません。私に課せられたのは、昔話の桃太郎なのです。それなのに、桃を素通りしてしまいました。肝心の桃をスルーした後、物語はどこに進めば良いのでしょうか。

私は立ち止まり、さっきの桃を振り返りました。私は元来真面目な性格です。自分に与えられた役割を果たしほっとするような小心者です。自分はきっとこうすべきだ、と空気も読もうとします。私はさっき、桃をスルーすべきではなかった、桃を拾い上げて、桃の中から桃太郎を探し出すまでが私の役目だったのだと、少しだけ反省しました。引き返してあの桃を拾おうか、とも思いました。

...数秒間、件の桃を見つめましたが、考えるのがなんだか馬鹿らしくなってきました。どうして私が桃太郎の話をアシストしなければならないのだ、私でなくとも、もっとワクワクしながら道端の桃を拾う人が現れるだろう。昔話『桃太郎』は、その人に託せば良い。私はワクワクもしない決められたストーリーの上を歩いて何が楽しいのだ。自由に生きたくて私はこんな真夜中に歩いているのだろう。よく見るとそんなに美味しそうな桃ではありません。それに私は桃よりも梨が好きです。この先いつか、道端に梨が落ちているようなことがあればその時は拾おう、そう思いました。

深夜二時、私はモノレール沿いを歩いていました。残念ながら、私は桃太郎を構成する登場人物になることはできませんでした。登場人物にならないと、自分で選択しました。我ながら良い判断のような気がしていました。

人生なんてこんなものです。すれ違った人たちのこと全てを知ろうなんてもってのほかです。出会った全ての人たちの物語の登場人物になろうなんておこがましいことです。私たちは選んでいかなくてはなりません。誰の物語の中で光り輝きたいか、自分で選ぶことができます。他人のよく分からない物語にのせられて、空気を読んでその役割を全うしようなんて無駄です。失礼なことです。歩める人生を歩め、歩みたい人生を歩め、私は桃は拾わない、でもきっと梨なら拾います。それで良いのです。始まらなかった物語にも、ちゃんと意味はあるのです。





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