何度観ても Spirited Away しちゃうよ
ふらにーさんとの交換日記、4回目です。一昨日がふらにーさん、今日が私とハイペースで(?)更新していますが、たまたまです。ふらにーさんも、読んでくださる方も、ご自身のペースでどうぞよろしくお願いします。
昨日の記事はこちら。
私は、恋人→友達の順序にけっこう抵抗があるタイプなので、大頷きしながら読みました。友達→恋人の順序はまあわかる。わかるけど、どっちかというと私的には、恋人になる人って最初から友達とかじゃなくて「好きな人」として見ていることが多い気がする。aikoが歌ってるよね、「友達だなんて一度も思ったことはなかった」って。めちゃくちゃわかる。お?じゃあ私はそもそも友達と恋人の間に矢印を持ってこれないタイプか?などと考えてしまいました。あと、シンプルに東出さん好きでした。「桐島、部活やめるってよ」で好きになりました(いらん補足)。
こちとら一世一代の恋愛してんだ!!別れたあとに簡単に友達に戻れると思うなよ!!という過激派(?)の方はぜひぜひお読みください。
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6月から全国各地の映画館で、いくつかのジブリ作品が再上映されている。私は千と千尋の神隠しが大好きだ。これまでに何度も観ているけれど、映画館で観られるのならばやっぱり観たいと思い、映画館に出掛けた。
正直、私が映画館に行くことってほとんどない。年に5回くらいかそれより少ない。なぜかというと、シンプルに私が映画に追いつけないからだ。
私は感受性が脆い。感受性が豊かというより、脆い。映画館で観る映画は、五感全てをぐわんぐわん揺さぶってくる。私は目から入った映像を頭で処理する能力が低い。大きな音にも敏感に反応してしまうし、一枚一枚のシーンの美しさや風景の色合いの素晴らしさにいちいち感動してしまうし、雪山のシーンを見たら寒くなるし、登場人物たちが痛めつけられるシーンで自分も丸ごと痛めつけられる気持ちになってしまう。だから、映画館で観る映画はほんとうはあんまり得意じゃない。なんせ、忙しすぎる。目も耳も心もグルグルとフルで活動して、なんならちょっと酔う。映画が終わったあとには、へとへとになっている。一旦ひとりで落ち着いて考えこむ時間が必要だ。
しかも、映画館に入ると、私の涙腺は面白いくらいにバグる。「悲しい」でも「切ない」でも「感動した」でも、どんな感情を燃料にしても泣けてしまう。挙げ句の果てには「主人公が泣いてるから泣いちゃう」とか、「あるシーンを観て唐突に実家の犬を思い出して泣いちゃう」とか、まじで意味不明な理由で泣いてしまう。涙腺がバグっているので、なんなら映画が始まるだけで「映画はじまったな、冒頭の壮大な音楽染みるな」みたいなアホな理由でちょっと泣く。
そんなわけで、涙腺がバグった私が千と千尋の神隠しを観て、実際に泣いた涙腺大打撃ポイントや、心臓がギュッとなって泣きそうになったポイントを思い出せるだけ列挙してみる。
・最初の「あの夏へ」のピアノの音良すぎん?いやそれよりまずあの音楽良すぎん?ほんとに久石譲って何者だ??あれだけで少し泣いた。
・千尋の両親が露店のごはんを食べ始めて、一人になってしまった千尋が不安げに湯屋の街を歩くシーン、千尋の不安が自分にも乗り移って胸がギュッとなった。千尋の脚の細さを改めて目の当たりにして、こんなに頼りなくてひょろひょろの弱っちい女の子がこれからあんなに強くなるんだよな、と、この映画の終盤でたくましくなる千尋のことを思い浮かべてせっかち泣きをした。
・夜になった湯屋の幻想的であり少しだけ不穏な街並みに何故だか懐かしさを感じて心がきゅっとなった。台湾の街並みをモチーフにしたと言われている景色。大学生の頃、金曜ロードショーで何度目かの千と千尋の神隠しを観て、その勢いで台湾行きの飛行機のチケットを予約した記憶が蘇ってきた。
・湯婆婆の元へ仕事をもらいにいく千尋を見送る時の、かまじいの「グッドラック」で泣いた。今後「やさしさとは?」という問いには、「かまじいのグッドラックだよ」と答えたい。
・なんだかんだで千を大事に見守るリンの優しさ、漏れなく泣けた。かまじいやリンだって過去があって、帰りたい場所があったはずで、自分自身もとても恵まれている環境だとは言えないはず。数十年前の使い残しだと言ってかまじいが千に渡す電車の回数券。いつ、何のために使ったのだろう。それを捨てずに大切に取っておいたかまじいの気持ちってどんなものだろう。もうそれに想いを馳せるだけで一ドラマできる。
・かまじいもリンも、限りなく千に優しい。それに、この二人の優しさっていうのは生ぬるく甘やかすことじゃなくって、大事なことをひとつひとつ教えて、千が良い方向に歩いていける手助けをすることなんだ。え、これって優しさの本質だな??もうそれだけで大きな学びのある映画では??
・お馴染みのおにぎりのシーンでは盛大に泣いた。このシーンがくることは分かっている、何度も観ている、それなのに何度観ても泣く。だらだら涙が流れてマスクがびちゃびちゃになった。濡れたマスクは不快。
・おにぎりのシーンの後の、千尋の「わたしがんばるね」が泣ける。この気持ちの正体ってなんだろう?不安でいっぱいなはずなのにハクやリンやかまじいの優しさに触れながら前を向こうとしている千尋のいじらしさと、確実にたくましく強くなっている頼もしさと、ひとしきり泣いて晴れやかになっているようにも見える千尋の心の持ちようへの尊敬と、それ以外のいろいろな感情が一気に押し寄せてやばい(語彙力がない)。
・千尋が、お父さんとお母さんに食べさせようと思って大切にとっておいた薬草団子、お父さんとお母さんにあげる前に、ハクとカオナシに半分ずつあげてしまうところ。千尋の、目の前の大切なものに向き合って行動する姿に泣いちゃう。ハクへあげた半分は、心から大切なもの(人)を助けるため。カオナシにあげた半分は、ノーと言える優しさと、相手の寂しさに寄り添ってより良い方向へ導くため。団子を半分ずつ、まったく違う存在(千にとって心から大切なハクと、まわりから疎まれ恐れられているカオナシ)に差し出すこと、千尋はさらっとやってるけど、これって意外と難しいんじゃないかなって思う。なんかここでも優しさの本質を見た気がするなあ。
・銭婆好きだなあ。銭婆の家で糸を紡いだり編み物をしたりするカオナシを見ていると、存在を認められて安心してそこに居られる場所ができてよかったねっていう気持ちで胸がいっぱいになって泣けた。みんなで紡いだ糸が編み込んである髪留めを、銭婆が千尋にプレゼントするシーンでは号泣。
・その流れから、ハクが銭婆の家にやってきて千尋と再会するところまでノンストップで号泣。ああ感情が忙しい。
・ラストシーン、千尋とハクの手が離れるところ、分かってはいるのに泣いてしまうよね。ハクの川はもう埋め立て地になっている。千尋はこれから新しい生活が始まる。この先ふたりがまた出会えますようにと願う気持ちが止まらない。「一度あったことは忘れないもの、思い出せないだけで」って、作品中で銭婆が千尋に言うの。これ、とても名言じゃない?そうか、そうなのか。
・エンドロールの木村弓さんの歌声の伸び、凄すぎん?「ラララ」とか「ほほほ」とか、一文字で人泣かせにかかることができるの凄すぎん?
...え?これ、私すごく感動して泣いた場面の数々なんですけど、羅列の仕方が頭悪過ぎてちゃんと伝わってるか不安だな?千と千尋の神隠し、何度観ても良い映画だけど、大人になるにつれて考えることも視点も広くなってきている気がして、観る度に感動ポイントが増えている。すごい。深い。語彙力がない。
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はい、まさかの私が映画の話をするという珍しい回でした。読んでくださっている方は、映画といえばお茶ではなくふらにーさん、というイメージが強い方が多いのでは?と思ったけれど、感動が新鮮なうちに書きたかったので勢いで書いています。久しぶりに映画館で観る映画を全身で受け止めました。
みんな、映画館に行く時にはマスクつけてね。座席は一個飛ばしで選ぶことができました(私が行ったところは)。あと、入場前に検温をされました。しっかり対策をして感動しに行こうね。
それでは、次回もお楽しみに。