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ジムノペディ


こういうの、クズエモって言うのかな

換気扇にあっけなく吸い込まれた声。なんとなく言葉に出してみたかっただけ。深い意味はない。クズエモを書く君が現実でクズエモじゃないことくらいわかっている。シンクの前、計量カップでお茶を飲む私、君は振り向かない。そう言えばいつも肩を並べていたから、振り向いてもらうことなんてなかった。換気扇の下で煙を吐くスーツ姿の君をなにより守りたいと思う瞬間がほんのたまに訪れる。私はクズエモの先にあるポンコツな君の愛が好きだったよ、正統派な愛を振りかざして嘘ばっかりな世界より、疲れた君を並行の世界から眺めるクズエモがいい。

半日一緒にいればすぐに分かることだ、この人はこの業界でのしあがっていく人なのか、途中で足止めをくらう人なのか。前者は器用に少しだけ体温のある愛に似た何かを大勢に手渡す能力があって、後者は手の中にある愛全てを誰かひとりに託そうとする。私の尊敬する人は必ず前者で、私の愛する人は必ず後者。きっと前者の感覚としては、「不誠実」なんかじゃなく、淡い「誠実」をたくさん持っているだけで、後者はそれを「不誠実」と捉える、それだけなのだろう。

どちらも否定はしない。でも、どうしても私は前者を尊敬してしまうし、後者を愛するしかないのだと思う。私はビジネスの女にならない、それを選んだ方が上にいけるとわかっていてもそれはできない、私は頂上を知らなくていい、そんなことしてまで自分を都合よく「見せるクズエモ」にしない。クズエモは、ポンコツな愛たちの微妙なズレ、ただそれだけで、タイミング、時代、季節、言葉の前後ろ、順番、そういう些細なものの結晶だから人を惹き付ける。私はクズエモの向こうにいる君にしか興味ない。成功のためのビジネス恋愛なんてしない。私は惹かれた人にしか懐かない。だから君のことも尊敬だけしている、愛は持たない、知っている、知ったつもりでいる、その気になればいくらでも恋みたいなものをつくりだせる。賢いから。でも、敢えてそれをしない、それくらい、君の才能が尊くて、ずっと尊敬していたかった。

空になった計量カップを静かに置く。君はやはりずっと振り向かない、換気扇の音だけが私たちの、時間の証明。


いま、ジムノペディとか流したらちょっと映画みたいじゃない?


君はいいね、やれば、と呆れたように笑うだけだったから、私は音楽をかけないことにした。そうだよね、つくられた雰囲気を好まないのは君も私も同じだったから。

もう、「どんな君でも受け入れるよ」なんてフェーズはとっくの昔に通り越していて、今はただ、好きも嫌いも同じこと。


...


いま、ジムノペディとか流したらちょっと映画みたいじゃないですか?


過去にそう言ってみたとき、その相手は、なんと答えただろう。たしか「流すより、生演奏しようぜ、俺カホンたたくわ」と言った気がする。ピアノジャックのジムノペディはまた別物やわ、そう曖昧に私も笑って、それ以来会っていない。ピアノジャックを教えてくれた人。ピアノジャックを演奏する私を褒めてくれた人。才能なのか努力なのか分からない人。明かそうとしない人。「指先天使、心は悪魔」そんな、どこかでよく耳にするキャッチフレーズが似合う人。いま、その人が前者のままなのか、それとも後者になったのか、私には知るよしもない。
でもこれは言える、私はその人の才能が好きで、同時に人柄も好きだった。前者も後者もひっくるめて全部好きだと思うことなんて人生で一度きりだと思う。そして、私がその人の愛の対象になることはこの世の中で絶対に、ない。


ほんとうに?



誰のことかんがえてるの

知らぬ間に私の方に向き直っていた君の瞳の奥が淡い。
換気扇をぶちっと雑に切って、君は少し笑った。

いま隣にいない人のこと考えてたでしょ、これこそクズエモって言うんよ

可笑しそうに軽々しく空気を遮った君のこと、やっぱり何も分からない。さっきまでの守ってあげたい君は換気扇に吸い込まれたのだろうか。私のこと、すきでもなんでもないくせに、そんなこと今君に言ってしまったら、本当にクズエモみたい、だね、なんてね。



―――――

【「君」のジムノペディ】


【「過去のその人」のジムノペディ】



ゆっくりしていってね