野口竜平「富士吉原滞在まとめ」

ー 振り返り ー

このレジデンスプログラムは、「土地」「プレーヤー」「よそもの」「表現者」がもつ可能性と、その掛け合わせによって起こる可能性を、可能性として単に信じる、というおもしろいものであった。そこで突発的に生じる現象、縦横無尽に撒かれる種、いつか芽生えてくるもの、それら全部まとめてを見守っていく、伸びやかで懐の広い、静岡によくマッチしたプロジェクトだと思う。

そしてそれは同時に、「土地に人が住み」「その土地を人が通りすぎていく」ことで起こる事態を照射する ━ めいめいの「態度」を浮かびあげるような性質も持っていた。「制作-発表」以前の、しかし確実にそこに繋がっている個々のスタンス。それは例えば、この世界との繋がり方、見方、間のとり方、あるき方、たち方、佇まいなど。
普段の肩書きを離れ、単なる「旅人」としてその存在を肯定されたとき、あなたはいったい何をするのか、しないのか、そんな問いを向けられているような気持ちにもなる。

「遭遇の方法をつくる」を標榜する私はどうしたらいいのだろう。
それと「旅」は、「旅人」は、どう違うのだろう。

ただ元より、最終的な目的(作品?)よりも、リサーチ-制作の過程や周縁で起こる出来事の方により関心がある私にとって、これらの問いは、自らの態度を社会的な水準で認識する良い機会でもあった。
発表が求められるレジデンスなら、いちいち注意を向けていられない自らの言動の、その根源にある態度に向き合える時間になったように思う。
変わり移ろう街と心身の交感については、日々の記録の方にいくらか書けたような気がする。

今回の1週間の富士吉原滞在の経験をもとに、2つの作品制作プランを作ってみることにした。再訪の際にはこのプランを実行するべくまた色々あるき回ってみたい。

ー 月色の蛸みこし ━ 富士山を登る(仮) ー

富士市吉原には竹採物語の伝説の地がある。この地のかぐや姫は月ではなく富士山に帰っていくとのこと。
かぐや姫の地は各地にあるが、吉原のものが最も古く、さらに、その竹取物語自体が日本最古の物語と言われている。
物語は、「一人称では語りえないこと」を共有するときによく機能し、それが他の風土でも求められるなら広く伝播し、なにかの教訓があるなら後に伝承されてゆく性質がある。ならなぜ、最も古く有名な物語がこの地で生まれたのか。いったいその時何が起こっていたのだろうか。私の興味はそんなふうに、竹取物語に向いている。
古来より続く富士山への信仰が関連するのは間違いなさそうな感じがするし、そこからこの列島に住むものが大切にすべきなにかが見出せるような気もしてる。富士山は昔から堂々としていて、それは今もそうなのだから。

〈蛸みこし〉を切り口に、そのことに迫って行けたら良いと思う。

(1)蛸みこしについて
私の作品に、〈蛸みこし〉というものがある。「蛸の脚はその一本一本に独立した知性がある」という話から着想した、8人で担ぐぐにゃぐにゃした御神輿であり、これを担ぐ8人はみんなで息を合わせる、バラバラなまま一緒にいるなどを繰り返すことになり、そのときそのときの関係の様相は蛸の踊りとなって顕れてくる。計り知れない異質な他者としての蛸をモチーフに、人間の個と集団の関係を、身体的な経験を通じて考えることができる活動である。

(2)竹取物語から捉える、蛸みこし
蛸みこしは、竹を使ってつくっている。竹が軽く、柔軟なことと、日本列島大体どこにでもあることが、蛸みこしの素材としてちょうど良かったからである。
しかし私は、この三年間の制作の日々で、「竹」は蛸と同じくらい不思議な生き物なのかもしれない、思うようになっていた。
天に向かってまっすぐ伸びる、すごいスピードで成長する、食べられる、軽くて丈夫、中が空洞、木なのか草なのかわからない、地下で繋がっている、個体の単位がわからない、花が120年に一度しか咲かない。等々、例を挙げ始めたらキリがない。
蛸みこしは、蛸をモチーフにして、人間の集まりを考える活動として成長してきたが、次第に私は「竹の生態や物語」をモチーフとした蛸みこしの可能性を考えるようになっていたのだ。そんな時、私はこの土地を訪れ、竹取物語と遭遇するのである。

(3)吉原での竹との遭遇
今回の滞在では、竹取物語の他にも興味深い竹との遭遇がとても多かった。
・吉原祇園祭(おてんのさん)の竹を刺した神輿
・竹の染色を行う東海染工
・春なったら筍と蛸の酢の物を作ってくれるという蕎麦屋さん
・凧職人(竹ひごを使う)
・トマトの親戚の竹細工職人
・庭師さんの語る沼津垣
これらとの協働から運ばれる物事もたくさんありそうだ。

(4)村山道ツアー
瀧瀬さんとイッペイさんは、山伏である西川卯一さんと共に「山伏ガイドと歩く "村山道" トレッキングツアー」を企画している。富士山信仰と山伏の視点で、富士山の修験道(修験者たちが通っていたルート)をあるくという興味ぶかいツアー。
今回はコロナに罹ってしまい参加できなかったが、次回は是非とも参加したい。
ちなみに、おれは来年から福岡と大分県にまたがる英彦山で修験道のリサーチも始める予定。色々繋がるとよい。

(5)ほかジャンプのための妄想
・月に帰るかぐや姫は宇宙人?
・宇宙人のモチーフとして登場する蛸っぽい形
・蛸の足は8本
・富士山の象徴として用いられる「八」の字

こんな感じの興味を元に富士吉原のかぐや姫のリサーチを進めてみたい。
計り知れない他者 ━ 信仰の対象としての富士山、吉原の風土と気質から見る現代社会への問い、などを浮かびあげることから「蛸みこし富士山ツアー」的なものをつくれるかもしれない。


ー 30年後の富士市を上演する ー

今回の滞在の直前に私は豊岡演劇祭というイベントに参加していた。これが門外漢なりにも演劇について考え実践する良い機会になったのだが、そこで感じたことは、「物語を共有」し「それぞれが演じてみること」の無限の可能性である。芸術探検家である私は、地理的な極地に依存しなくてもできる探検を模索しているのだが、この演劇の構造が、人間がつくりうるシンプルで根源的な遭遇の場の一つであるように思ったのだ。
今回の滞在発表会ではその興味をひきつぎ、「物語を共有」し「それぞれが演じてみること」を、行き当たりばったりながらもやってみたのだった。

滞在発表会は、イッペイさんに30年前の富士市になりきってもらい、彼のお悩みを聞き、そこで出てきた要素を、会場内の人で演じてみるというものをやってみることにした。
30年前の富士市であるイッペイさんにヒアリングをしていくと、なかなか激動のハイテンション状態のようで、
・富士山
・豊富な湧水
・製紙工場
・効率化
・パチンコ
・お金
・土木工事

などの要素が熱く絡まりあって猛烈な今がある、とのこと。

30年前の富士市であるイッペイさんの現在を再演するように、それぞれが役割を演じる。瀧瀬さんは富士山として激動するみんなを動じずに見下ろし、俺は湧水として製紙工場に行ったり、海に流れて蒸発してまた富士山に降り注いだりしていたが、効率化をしていた久保田さんに、「製紙工場を通過した水はドロドロのヘドロになるから、もっとドロドロを表現しなさい」と言われて目から鱗。

身体を動かしながら、それぞれの要素が互いに関連しあいながら、身体的に街の成り立ちをイメージしてゆく。それがきっかけで多くの気づきが誘発されて、新たなコミュニケーションが生まれてくる。
ここに集まったバラバラな8人と、30年前の富士市が遭遇しあい、まとまりきれない感じを体感しあうような良い場になったような気がする。

野口竜平「30年前の富士市を上演する(6日目)」

・知らない人同士でやってみたのにもかかわらずなんかたのしい
・まとまり切らない物語を、まとめないまま共有し、それぞれの遭遇にすることができる

って感じの印象だった。
次回は、ファシリテーションの方法や適切な会場とかをもっと検討し、「富士市の今」「富士市の30年後」をやってみたい。

バラバラな富士市を型にはめようとせず、一言で語ろうとせず、バラバラなまま表現し、共有し、たのしく皆で考えるきっかけをつくれたら素敵だなって思う。




こんなおもしろ企画をつくり実施するアーツカウンシルしずおかの皆さん(特にお世話になった若菜さん)
吉原中央カルチャーセンターでたのしくバイブスで受け入れてくれ、これからも末長く仲良くしたいと思える瀧瀬さん、イッペイさん
やんちゃで、気さくで、テキトーで、ひょうひょうとしてて、ハードボイルドで、おしゃべりで、不思議な、吉原のみなさん

たのしかったです、大感謝です、どうもありがとうございました、!