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男は女を好きになり、女は男を好きになる?

ティーンエイジャーの娘が女友達の一人から、私はもしかすると男より女の方が好きかもしれないというカミングアウトをされたそう。ほかにも私はバイセクシュアルであるとか、そもそも好きになるのに性別は関係ないとか、そんな人もいて、彼女の中での、「男は女を好きになり、女は男を好きになる」という常識が完全に崩れたようだった。そしてもちろんそういったLGBTQを支持しないという考えの人たちもいて、自分のセクシュアリティの趣向と立ち位置について考える機会になったようである。彼女自身はストレートみたいだけど、友達がゲイだろうとバイだろうと関係ないということだった。またその友達がそのカミングアウトをしてくれた勇気をすごいと思うとも言っていた。それをきっかけにセクシュアリティについて色々調べていったらその対象は五万とあるみたいで、object sexualityなんて人もいてエッフェル塔と結婚した人もいると教えてくれた。世界は広い!

だいたい人の好きなものに対して周りに文句をいわれたくないよね。関係ねえだろって話よな。その人の好きなものはその人が好きと感じるものであって、周りが変だと言おうが何だろうが、その人が好きなものはその人だけにしかわからないこと。人の幸せはその人の感じるその気持ちにあるんだから、周りの人がどう感じようとその人が幸せならそれでいい。そこに世間の常識を当てはめようというのがおかしいということに気が付かなくてはいけない。

私はというといたって普通に無類の男好き。でも人間の個体差なんてほんと誤差みたいなものだろうし、人種の差や男女差も誤差ともいえると思う。ものさしの尺度が変わってくると人の「普通」の幅はまったく違うものとなる。世間の物差しの中で納まる間はその当たり前には疑問を抱いたりすることはないだろうけど、そこから自分がはみ出ていたときにそれをはじめて意識することになる。海外で暮らすというのももしかするとそいう体験の一つかもしれない。マイノリティに身を置いてみると、世間の信じる常識やら普通が、あくまでその人の生きている世界での常識や普通であるということに気が付く。私にも日本で育んだたくさんの常識があって、でもそれは日本人のものの見方の癖のようなもので、世の当たり前ではない。その自分の持つ当たり前やものさしに疑問を持つようになると、どんな人に対しても否定したりすることなんてできなってくる。理解できない相手は自分のものさしのスケールを広げてくれる存在になる。まだまだ理解できない、受け入れがたい考えや出来事があるうちは、自分のものさしはまだまだ広がる余地があるということだろう。そしてその尺度が広がれば広がるほど人は自由になれるのだと思う。
またそういった物差しが広がると自分に対する認識も変わってくる。自分にとって当たり前なことが実はすごく素敵なものだったりするんだよね。日本人の周りへの心遣いなんかはきっとそれにあたる。もちろんいろいろ一長一短ではあるけれど。とにかく自分の物差しを見直すということは自分のものの見方にたいして一石を投じることになるわけで、自分を客観視するいいきっかけになったりもする。

自分も世界も多様性の時代がもう始まっている。すでに多様性を受け入れ、自由度が高い子どもたちが担う未来は本当に明るいものだと思う。大きく時代が変わっていて、わくわくする。自分の好きなものを好きだといい、お互いに尊重できる世界はきっと今の世界よりもずっといいところだろう。楽しみだな。

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