弟とぼく、ふたりでひとつのアトツギへ
プロローグ
アトツギ、100年以上続く企業を経営する者の長男。
長い間、ぼくはその立場が原因で、将来に自由を感じることができませんでした。
「お父さんの会社に入って、社長になるんだろうな」
幼い頃からこどもらしく将来の夢を語ることができず、自分が事業を継承しなければならないと感じる反面、自由への憧れは日に日に強くなっていくばかりでした。
二人三脚の第一歩 、2021年
こんにちは、株式会社エナテック アトツギ(予定)の榎並 幹也です。
アトツギ(予定)としてエナテックに入社した2021年も残すところあと1日。
今年はぼくにとって本当に大きな一年になりました。
この1年の間、本当にさまざまなことを経験してきました。
製造に始まり、生産技術、生産管理、人事そして新規事業開発…
まだまだ知識も経験も乏しくはありますが、それでも多くのことを学ぶことができたと感じています。
この1年間をここまで充実させることができたのは、たった1人の弟が同じ会社で先にアトツギのひとりとして働いていてくれたおかげです。
ふたりでひとつのアトツギへ。
今日は、そんなぼくたち兄弟がようやく足を揃えて進めるようになった2021年と、これまでを振り返ってみたいと思います。
機械加工とぼく
さかのぼること5年。
2016年の春、オーストラリアの大学を卒業したぼくは、(株)エナテックのアトツギにふさわしいように近畿職業能力開発大学校に入学することになりました。
もともと物理が大好きだったぼくにとって勉強はそれほど苦ではありませんでしたが、汎用機と呼ばれる機械を用いた実習で、高速で回転する刃物や金属を見て吸い込まれそうになっている自分がいることに気づき、徐々に機械加工に対して怖さを感じるようになってしまいました。
学友たちが就職活動を進めている頃になると、完全に「機械加工に向いていない」と感じるようになっていたぼくは、アトツギをやめて、全く別の業界に就職活動をしてもいいものか悩んでいました。
ふたりの就職活動
ちょうどその頃、3歳下の弟とふたりでご飯を食べにいく機会がありました。
当時、弟はベンチャー企業への内定が決まっていましたが、父の経営する会社のアトツギにならなくてもいいのか、お兄ちゃんに任せてしまってもいいのだろうか、という気持ちを抱えているようでした。
ぼくは自分が機械加工に向いていないと考えていることを弟に打ち明けると
弟は「お兄ちゃんはお兄ちゃんの好きなことをした方がいいよ」「その方がお兄ちゃんの本当の力を発揮できると思うよ」と言ってくれました。
その後すぐに弟は内定を辞退し、エナテックに入社する前提で、機械加工の勉強に大手工作機メーカーに就職することになりました。
兄として、弟に全てを投げ出してしまった自分に対しては情けない気持ちはありましたが、100年以上続く企業のアトツギという立場から、生まれてはじめて解放されたと感じた瞬間でした。
その後、ぼくはまず自分のやりたいことを探すため、業界を問わずに就職活動を始め、いくつかの企業に内定をいただいたものの、結果的にはアルバイトとして勤める中で楽しさややりがいを感じていた塾にそのまま正社員として就職することになりました。
家族の反対と転職
塾講師としては幸いなことに生徒からの評判も良く、わかりやすく丁寧で面白いと非常に高く評価していただいて充実した毎日を過ごしていました。その反面、休日の少なさや給与の少なさ、勤務時間の遅さなどが重なって、家族からは徐々に塾での仕事を「遊び」と否定されるようになりました。
両親は一度自由になることを認めたにもかかわらず、やはりぼくに会社に入って欲しいという気持ちが強いようでした。
友人にも、彼女にも、弟にも、ぼくに転職を勧めるような相談をしていたようで、徐々に周りからの圧力に耐えきれなくなっていきました。
この頃になっても、塾の仕事へのやりがいや楽しさは変わらないままでしたが、ついに父に「家を出る(家族の縁を切る)」か「塾の仕事を辞める」かの二択を迫られます。
あまりにも重く苦しい二択でしたが、流石に家族の縁を切ることは選べません。ぼくは転職を決断することになりました。
家業を継ぐ
塾に退職の意思を伝えたのち、弟とふたりで出かける機会がありました。
この頃すでに弟はアトツギとしてエナテックに入社しており、家業の現状や課題などを肌で感じているようでした。
またぼく自身の転職の意思は弟にもすでに伝わっていましたが、この時点では家業を継ぐのか他の企業に転職するのかは決めかねているような状況でした。
「お兄ちゃんは自由にしてな。」突然、弟は切り出します。
「会社のことは俺1人でも頑張れるしさ、やっぱりお兄ちゃんはもっと優秀な人が集まるところで頑張った方がいいと思う。」
それと同時に、弟は会社で感じていた課題や危機感をぼくに打ち明けます。
従業員のレベルや企業としての体質、風通しの悪さなど、聞いていくうちにぼくは「弟に全てを投げ出して逃げてもいいものだろうか」と感じるようになっていきます。
そんな状況でも弟は強制しませんでした。
自由にしたほうが活躍できると信じて、お兄ちゃんの好きにしたらいいと言ってくれました。
そんな弟を支えるのが、兄としてぼくに与えられた役割なんじゃないだろうか。
こうしてぼくはエナテックにもうひとりのアトツギとして入社することを決心しました。
弟とぼく、ふたりでひとつのアトツギ
弟とぼくは3歳違いの2人兄弟です。
幼い頃はしょっちゅう喧嘩していました。
理不尽な怒り方をしたことも少なくはありません。
それでもいつも優しい兄だ、と慕ってくれています。
弟を心の底から尊敬するようになったきっかけは、弟の高校野球生活最後の大会でした。
その大会では、弟の下に多くの友人や知人、親戚が応援に来ていて、弟の人間としての器の大きさを知ることができました。
敗退が決定した直後、自らも号泣しながら、チームメイトを慰めている弟の姿に感動し、ぼく自身も泣いてしまいそうになってしまいました。
派手で目立ちたがり屋、飽き性だけど天才肌のぼく。
堅実で真面目、正義感が強いリーダーの弟。
全く性格の異なるふたりですが、お互いがお互いの良いところを知っているつもりです。
ぼくにはぼくにしかできないことが、弟には弟にしかできないことがあり、お互いに尊重しあえるそんな兄弟だと思っています。
そんなぼくたち2人だけができるアトツギのカタチ、ふたりでひとつのアトツギ。
お互いに助け合い、支え合い、ひとりで背負うのではなく、ふたりで手を取り合って困難を乗り越えていく…
2021年はそんなアトツギへの第一歩になりました。
2021年を振り返る
2021年はエナテックにとっても、ぼくたちにとっても大きく変化する年で、たくさんのことに挑戦した年でした。
初めてといっていい新卒採用に成功し、中途採用でも大成功を収めることができました。
新製品の開発は、これまでのプランを刷新して、1からのスタートにはなりましたが、デザイン経営という新しい観点を持ち込み、今までにない挑戦をしていくことが決定しています。
システムの運用についても、これまでの運用方法を見直し、さらなるレベルアップを見越して、勉強会を進めています。
ぼく個人としては、様々な部署を転々とし、責任のある立場も経験しましたし、アトツギとして会社の顔としての第一歩を踏み出しました。
弟は製造課の係長に昇進し、よりリーダーシップを発揮し、プライベートでは子どもが産まれ、一家の大黒柱として大きく成長しているように感じます。
たくさんの方々に支えられ、成長することができた2021年。
2022年はこの歩みを止めずに、互いに手を取り合いながら、前に進んでいくことができるよう頑張っていきたいと思います。
最後に
最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
皆さんのおかげで実りある2021年を過ごすことができました。
2022年もどうぞよろしくお願いいたします。
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