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自分に 向けて

不安感の共有より 安心感の共有を。

今、自分がどんなに不安な状況か、訴えて訴えて
「大変だよね。わかるよ。あなたは頑張ってる」
って言われると、そこで少し安心する。

それはそれで、良いような気もするんだけど
その次が 大切な気もしてて。その前、かな…。
これじゃ、外側の状況が自分に都合のいいカタチに
変わるまで、ずっと不安は消えなくて。
新しい不安のタネが 出てきたりもして。

なんか、不安のタネって、多分消えないから。
みつけようと思えば、いくらでも みつけられるし。

不安不満を主張してくる人は…(毒あるな。…笑)
不安、不満で自分を保ってるんじゃないかと
思うことがあって。
って、今のこの私も、わざわざその不満を持ち出して、これを書いてるわけだけど…。

この不安、不満があるから
私は幸せじゃないんです、って…
「幸せであれない自分」を正当化する武器みたいに…
そのタネ…そこにあるままでも、幸せになれるでしょ?

不安感を共有して、どこかに敵をつくって
それを責めることで なんとか保つ安心より…
安心感を共有して、え?この状況でも、
敵、作らずに 安心できちゃいますか!っていう方が
心も体も、健やかでいられると思うんだよな。

簡単なようで、けっこう覚悟もいるけど、
同じ時間(いのち)を使うなら、そっちに使いたい。

なんて、今日は少し荒々しく書いてみました。
自戒をこめて(^^)

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