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「新しい機器を使えないのを年齢のせいにするな問題」について。

個人差はあるけど、年齢を経ると「新しいことを理解し覚える」
のに、もんのすごーく時間がかかるようになります。
これは当人になってみなければ分かりません

そして新しいシステム、機器を拒絶する人たちの多くは、
単純にやりたくない、めんどくさいというよりは、
「なかなか前進しない自分にガッカリする」のを拒絶しているんじゃないかなと思います。

初老以降の人間にとって、新しいシステムを覚える・やってみるって、
ほんっっっと「ガッカリすることの連続」なのです。
そして、どんだけガッカリするかは、やっぱり当人じゃないと分からないと思います。

「若い時はもっと色々出来ていた」という人は、相当「濃いガッカリ」と向き合わなきゃならなくなるんじゃないかな?
(パッと思い出せないって、超キツイですよー。)


さて、新しいことに目は向いているけど、出来るだけガッカリしたくない人に必要なものは

1:シンプルな仕組み
2:分からないことを気楽に聞ける環境
3:交流する場所・応援してくれる仲間
だと思います。

1について私がイメージするのは、
昔のシンセサイザーと、今のキーボードみたいな感じです。
ボタンやつまみを少なくして、「音楽という目的までの距離」を短くしたいのです。

出来そうなことは、
仕組み自体をコンパクトにするか、
コンパクトなパッケージを作るか、
でしょうか?
私にとっては、どちらもすごくありがたいです。

noteにもそういう要素がたくさんありますよね。
シンセサイザーの部分は私には見えませんが、
ユーザーとユーザーの目的までの距離を短くする仕組みを作り、
実行して下さっているんじゃないかなと思います。


また1と2については、
仕組みを作る側、答える側が
ユーザーの「何がどのように分からないか」を知る必要があると思います。
「ん?それのどこが難しいの?」という視点だと、溝がどんどん広がって、

知りたい方はますます聞きづらくなり、
応えたい方は、謎とイライラが増える、
という悪循環から抜け出せないままになってしまうと思います。

たくさんサンプルを採り「分からない集」を作るといいと思います。
これは回答のマニュアルを作るため、というよりも、
お互いの視点のギャップを埋める、つなぐためです。

そして、よりよい「分からない集」を作るためには、
分からない人は、「何がどう分からないのか、どうなりたいのか」を
言語化する力をつける必要があると思います。
これはIT機器関係なく、日常生活の中で出来る取り組みですね。


まず視点のギャップがあるのが前提。
そして、「ギャップの姿かたち」をクリアにしていく努力を、
お互いがしていくという方向性ですね。


3は、色んなプラットホームが出来つつありますから、
何かを発信した人が「是非見てね」って声を出しながら、
色々試していけば、自分に合った場所がきっと見つかると思います。
さらに、3が2の役割を担ってくれる場所にもなり得ると思います。

私にとってnoteはすごくいい広場です。
こんなつたない発表でも、きっと誰かしら見て行ってくれる。
そういう通路が出来ているんですよね。


そしてもうひとつ、私が願っていることは
著名な方々が、
「ここをもっとシンプルにして欲しいな」

「やりたいけど、ここが結構大変なんだよ~」

「自分はこういうやり方を試してみてるよー」

と声を上げてくれることなんです!!


「あの人たちは、きっとみんな出来ている」
「分かってないのは、出来てないのは自分だけ」

と思っている人が多いからです。
視点の孤立ですね。

視点の孤立が濃くなっていくと、人は自分の弱みをどんどんさらけ出せなくなっていくと思います。
「あるある」、「そんな深刻な話じゃないよ」と言ってくれる人の存在はありがたいです。

大槻ケンヂさんが以前、noteの「のほラジ!」で、
「僕にはデジタルの英知がなさ過ぎる」と仰っていて、
心の底からホッとしました。


有名なミュージシャンでもIT機器に苦労することがあるって、
とても勇気づけられます。
また大槻さん独自の様々な工夫にも感心しました。
「今出来ることを駆使してより楽しくする」姿勢には励まされるし、
こういう工夫をもっと知りたいなと思っている人は
きっと私だけじゃない、と思います。


「もう分かっている人たち」と「本当は分かりたい人たち」の
「視点・意識のギャップ」を埋める、つなぐ、壁を薄くしていくこと。
そしてなによりも、
視点の孤立をなくしていくこと。

これが、
「新しい機器を使えないのを年齢のせいにするな問題」
の解決の糸口になるような気がしています。

お互い努力していないわけじゃない。
だから努力の方向性を変えてみる、ってことですね。


誰かの目にとまって、楽しんでいただければ幸い。 そして、もしもサポートをいただけたとしたら、天にも昇るような気持ちになるでしょう。