僕の中の『鉄コン筋クリート』 (2007年ユリイカ1月号 松本大洋特集に寄稿)

『地図にない街』

1988年から12年間、僕はドイツという異国に住んでいた。その暮らしの4年目に電話をつけて、11年目にネットをつないだほど世の中に疎い生活だった。それでも日々の暮らしの中で日本のことを思わないことはなかった。ただ、想い出そうとするその風景は、重なる記憶に妄想が入り混じって、昨日見た風景を思い出すようにはいかない。そんな頃に出会ったのが「シロ」と「クロ」。そして彼らが住む「宝町」だった。その街並みは上京して初めて歩いた新宿のようだった。しょんべん横丁で定食を食って、高層ビルの間を吹き抜ける強い風に吹かれながら歩いた道。新宿ロフト前にはライブを待つパンクス達がたむろしていた。ネオンが溢れる歌舞伎町で補導される家出少女。南口ではいつも誰かがシンナーでラリってた。チンピラと警察の笑えるような追いかけっこ。「宝町」は僕の記憶の中にある町だった。実体験と妄想が入り混じった記憶の中の町。「鉄コン筋クリート」を読み始めた僕は、自然にその町の住人になっていた。

 『シロ?クロ?』

「シロ」と「クロ」、僕はそのどちらなのだろうと考え始める。けれども、自分は悪徳の町に押しつぶされそうな脇役だということに気づく。もちろん「シロ」も「クロ」も自分の中にいるのだろうけど、彼らがあまりにも純粋に「シロ」であり「クロ」であるために、実際の自分はヤクザの木村だったり刑事の沢田だったりする。いや、ヤクザにもなれなかった「チョコラ」こと「たけし」だ。彼は大人と子どもの間に位置していた。そして何かを「シロ」に「クロ」に託して町を去ったんだろうな。そう、きっと誰もが自分の中に「シロ」と「クロ」を住まわせながらも、彼らにはなれないんだ。けれども、彼ら2人を心の中に住まわせている僕らに比べて、彼ら自身はその一極づつで成り立っているがために苦しむ。両極に立つ2人でひとりの2人・・・。無垢で無害な「シロ」に対して、物理的な力が全てのような「クロ」には近づきがたい感がある。その逆という読者もいるのだろうけど、僕にとって「クロ」は得体の知れない怖さを持っていた。それでも一緒に居てほしい存在なのは確かだった。しかしながら、自分の中で「クロ」が増幅するのを僕は嫌がったし、かといって「シロ」に自分を重ね合わせるには、自分は充分大人に成長していると思った。それは物語の中の脇役たちが感じていた気持ちでもあるのだろう。

 『ソコカラナニガミエル?』

日本を遠く離れ「宝町」の中に空想で住み、彼らの後を追いながら僕はたくさんの絵を描くことができた。自分の中の「シロ」と「クロ」を見つめながら、彼らと対話した日々だった。毎日のように「ソコカラナニガミエル?」と自問した。「シロ」と「クロ」の物語は、僕にたくさんのものを見せてくれた。見えた分だけ絵にすることができた。彼らと、物語の作者である松本大洋氏に感謝している自分がいる。物語の最後に「ココカラ ミンナガ ミエルヨ。」って彼らは言う。その言葉は、むこうからこっちへの初めてのメッセージ。その時、初めて自分以外の多数の読者を意識した。そして僕の視点は己の内面から外へ向かって広がっていったんだ。

 『松本大洋という人』

ある雑誌の企画で松本さんとコラボレーションしたことがある。それは、2人で交互に絵を描きストーリーを考えてひとつの物語を完成させるというものだった。その内容についてはここではふれないけれど、その打ち合わせで初めて彼に会うことになり、お互いの住所を結んだ線の中間地点である下北沢で待ち合わせた。そこで僕たちは会い、もちろん打ち合わせをして、漫画や絵の話もしたし、いろんな話をした。今、その時の印象を思い出して文字にしようとしているのだけど・・・。彼は、彼の描く絵の登場人物のようでもあり、見上げる「宝町」の空のようでもあり、広角レンズで歪んだ俯瞰する街並みのようでもあった。具体的にどんな話をしたのかを思い出すのは難しいけれど、彼の描く絵を見ていると、そんなふうな彼が浮かんでくる。その後、コラボレーションのため何度かお互いにファックスでやりとりをして、その絵物語も無事完成したのだけれど、その時受信したファックスは「宝町」から送信されていた気がしてならない。

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