石渡未来さんとプレジレイル/一食千会
「有名になることも、地位や権力も、わたしは興味ないんです」
2019年の1月。代々木にあるイタリアンレストランで食事をしているとき、石渡未来さん(以下みくさん)はそう言った。およそ半年ぶりに会うことになり、話したいことはたくさんあった。おもに業界についての話から、みくさんの今後の展望など。
ある期間、世界じゅうに展開している某有名ホテルのペストリー部門の監修を任されていたことは知っていたが、直接その話を聞いたときは、このひとの並外れた行動力と精神力がうかがえて脱帽した。
そして彼女は、おだやかだが、確かな意思を持った声で言った。
「でも、もしわたしのお菓子を気に入ってくださる方がふえて、名前が知られるようになったそのときに、東京ではない、まったく知名度のない場所で、ひっそりとちいさなお店が持てたとしたら、それはそれでかっこいいですよね」
※
彼女とはじめて会ったのは2018年6月だった。きっかけは若山加奈子さんのnoteだった。
加奈子さんは将来飲食業の経営を目標にしている元パティシエールで、ある日Twitterで、
「一日カフェをやりたいので、メンバーを募集します!」
というツイートをされているのを発見し、そこに紐づけされているnoteを読んだ。
当時、いわゆるポップアップイベントに関心があった僕は、たまたま彼女のツイートを見かけてとても興味をひかれた。
みくさんもこの企画に参加したメンバーのひとりで、顔合わせの際にはじめて会うことになった。
結局そのイベントは開催時期が急だったり、みんなが集まって話し合いをすすめたり、メニュー開発の時間が十分にとれないといった障壁などもあり、僕とみくさんは抜けることになってしまったのだが、LINEで連絡を取り合ったりなどのやりとりはつづいていった。
そんななかで、みくさんがモンゴルで仕事から帰国してしばらくした折に、ふたりで食事をする機会をいただいた。それが上記のイタリアンで、じつはサシできちんと話をするのはそれがはじめてだった。
聞きたいことは山ほどあった。そして話してくれる話はどれも興味深かったし、
彼女がただお菓子をつくるのが好きなひとではない
ということも理解できた。
とくに労働環境面についての話。女性が女性であるというだけで受ける偏見やある種の差別、立場を利用したパワハラやセクハラに対する怒りが、彼女を奮い立たせていること。それらの理不尽な仕打ちによって痛めつけられていく後輩が、耐え切れずに好きな仕事をやめていってしまう現状。
「わたしのお菓子にかかわるひとたちは、みんなしあわせになってほしいんです」
と彼女は言った。
つくり手は、基本的に「対お客様」という考えがとてもつよい。なかでも飲食業はそのスタンスが非常につよい。
しかし彼女のメンタルは「対わたしにかかわるすべてのひと」であり、これにはスタッフもふくまれている。こうしたメンタルは、彼女がくぐりぬけてきた環境や状況が作り出したものであり、わたしが変えてやる、わたしたちを傷つけるやつらに好き勝手にはさせておかない、という一種の「反骨」なのだった。
※
そのつぎに会ったのはその年の9月だった。
彼女はそのころには全国の農家、生産者さんをめぐって、そこで手に入れた食材をつかって月一でデセールのイベントをおこなっていた。9月は桃を使ったパンケーキやパフェを出していた。
イベントではあまり長くは話せなかったけれど、元気に活動しているようで安心した。おおきな仕事もひかえているようで、順調そのものにみえた。
翌年、2020年3月。時間をあわせてもらい、レストランで食事をした。
その日、僕はnoteのインタビュー記事を書くため、みくさんに取材をしよう時間をあわせてもらったわけだが、みくさんのインタビューはさきにパティシエントさんがやっていて、それを読む限りではほとんどのことは書き尽くされていたのでインタビューはやめた(僕なりの観点で書く余地はまだあったが、そこに意味があるのか正直微妙な線だったし、自信もなかった)。
だからかはわからないけれど、その日はとくに業界の話なんかもろくにしないで、マックが世界でいちばんおいしい(ミチムラ)とか、このお店のお肉がおいしくて(みくさん)とか、そんな話ばかりしていた。同業者というよりも、ともだちみたいな感じで。
そんなとき、彼女がふと口にしたのは、あのおおきな仕事が流れた、という話だった。つい最近のことで、先日やっと立ち直ったと聞き、僕はなんとも言えない気持ちになってしまった。
じつはその話から逆算してイベントを組んでいたり、農家さんと話をつけて果物なんかを仕入れる算段だったらしく、この計画の破綻は相当なダメージだったはずだ。
じゃあ、これからどうしていく予定なんですか? と僕はきいた。
「フランスに行こうかと思っていて」
と彼女は言った。
知り合いがある有名なお店を紹介してくれるという話だという。しかし、そのころにはコロナの不穏な影は世界を取り巻いていて、もしかしたらフランスには行けなくなるかもしれない、とも彼女は言った。
僕たちは5月に会うことに決め、みくさんのおすすめの焼肉店(とにかく肉とすしが好き)を紹介してもらうことにして別れた。
つぎ会うのが、まさかみくさんの開業したお店だなんて、そのときはまったく想像してもいなかった。
※
4月から5月。コロナは世界で猛威をふるった。日本も緊急事態宣言で経済が大打撃を受け、ほとんどの飲食業が瀕死状態、あるいはほんとうに死んでしまった。
僕は決まっていた転職さきへの入社が先送りになり、この春からパリの三ツ星レストランに修業に行く予定だったサービスマンの知人も予定が延期になり、みくさんのフランス行きもなくなっていた。
そうしたなかで、みくさんがもともと所有しているラボを改築しているツイートを見た。
まさか、開業するのか?
彼女にLINEで聞きさえすれば一発でわかる。でも、僕はそれができなかった。いま、この時期に開業するということに、ポジティブな側面がひとつも見当たらないからだ。
そして5月17日、みくさんがTwitterで公式に開業を宣言。noteには開業にいたる経緯と、その想いが綴られていた。
開業についてのnoteを読んで、泣きそうになった。しかし、僕は彼女に、
「開業おめでとうございます!」
とすなおに言っていいのか悩んでしまった。けっきょく、開業おめでとうございます、とLINEで送ったが、そのときの心境を、正直きちんと覚えていない。
――東京ではない、まったく知名度のない場所で、ひっそりとちいさなお店が持てたとしたら、それはそれでかっこいいですよね。
あの言葉が、思い出された。開業という選択は、実質選択ではない。そうぜざるを得ないという状況が生み出した道であることはわかりきっていた。
※
2020年5月24日。
東京都椎名町にて「パティスリー・プレジレイル」はこじんまりとオープンしたが、初日から行列ができるほどの盛況だったという。僕はひとまず安心した。自分のことのように安心した。そもそも僕が心配することなんておこがましいくらいにタフなひとではあるのだけれど。
あらかじめ30日にうかがうと連絡し、椎名町へむかった。考えてみると、電車に乗るのは1か月ぶりだった。たいした道のりではないが、陽射しがつよく、やたらあかるい日だった。
店が見えてくると、そのまえには6人ほどの列ができていた。店のまえに置かれた開店祝いの花々。そして看板のとなりに置かれているのは、尼崎の洋菓子店「リビエール」からの花で、なんだかそれだけでぐっとくるものがあった。
もともと彼女が活動拠点としていたラボを改装して作り上げたとあって、規模感は都内のパティスリーと比較すると非常にこじんまりとしている。
僕はブールドネージュをレジで渡し、マドレーヌとフィナンシェを購入した(個包装ではなく、その日焼いたものを買うことができる)。
その際、レジの後ろ側で作業をするみくさんと目があった。そして、
「ありがとうございます!」
と彼女は言った。マスクはしているが、それはまちがいなく気持ちのいい笑顔だった。
そのとき、僕はつよく感じ入った。
この決断自体がポジティブであるかどうかは関係なくて、いまある状況を自分の手で、どれだけポジティブなものに変えていくことができるのか、それが大切なんだ、と。
たしかに、彼女がとった「開業」という決断は一見すればネガティブだ。このタイミングで切るカードではないと思う。しかし、それが最善策であるといちど決めたのなら、最善策であると信じて突きすすむしかない。そして、その行動によって最善策を「正解」にまで持っていくことがもっとも大切なことなのだ。
僕は彼女からたいせつなことを教わった。それだけで、彼女の開業には意味があったし、これからも、プレジレイルはいろんなひとにとって「意味のあるお店」になっていくだろうと確信した。
あまりにもいそがしそうで、まったく話すことはできなかったが、むしろそれはよろこぶべきことだった。
【最後に】
みくさんと出会うきっかけから振り返り、それを言葉にしてみて、僕たちが知り合ってから約2年しか経っていないことにおどろいた。
そしてもっともおどろくべき点は、彼女がこの2年でこなしてきた仕事の数だ。農家をめぐり、イベントを行い、海外で監修をし、自分で営業にまわって仕事を手に入れ、開業までしてしまった。
これまでの手数にくらべれば、彼女にとって開業のハードルはそれほど高くはなかったのではないだろうか。
フリーランスとしてうまくいっていると、まわりから、
「めぐまれてるね」
「運がいいね」
などと言われることも少なくないという。
ある日、Twitterであるセクハラ問題が浮上した際、みくさんがそれ絡みのツイートをすると、
「なにかあったの?」
「だいじょうぶ?」
という連絡が多数きたという。そのとき彼女は気づいた。
ふだん口にしないというだけで、わたしもセクハラや女性であるというだけで理不尽に扱われたりしている。しかもそんなのは日常茶飯事で。でも、まわりのひとはわたしが口にしないというだけで、わたしにはそういうことが起きていないと思ってしまう。そして、わたしのしてきたこともすべて、めぐまれているとか、運がいいとか、そういう言葉でかたづけられてしまうんです。
と。
だから今回の開業を、若いのにすごいね、とか、女性なのにつよいね、とか、修業が足りていないのに無謀、とか、そんなつまらない言葉で語らないでほしい。
そして、機会があれば彼女のお店にいちど、足を運んでみてください。
彼女は僕もふくめて他人には理解のおよばないほど努力し、涙を流して、いま自分の店に立っている。
彼女のお菓子を食べてほしい。そう、こころから思っています。
Patisserie Plaisiraile(パティスリープレジレイル)
東京都豊島区千早1-3-7 1階
ミチムラチヒロ
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