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エッセイ1./雨の路は水面


むかしから雨が好きです。

なんの用事もなくて、することもなくて、ひまだな、どうしようかな、と思いながら部屋のなかから雨をながめている、そんな時間が好きです。

なのだけれど、雨の日はたいてい仕事で、朝方から降る雨というのはとてもつめたい。歩いているだけでスキニーがしわしわと濡れていき、電車に乗ってもずっとその湿り気でうんざりとしてしまう。

どうして雨はきょうでなくてはならなかったんですか?

車窓を流れる中央線の味気ない景色をながめながら、そんなことを考えています。

なんでか知らないけれど、休日はたいてい晴れています。僕はアウトドアなほうではないのですが、家にはあまりいません。ではなにをしているのかというと、そのへんのカフェとか、マックとか、マックにいて、本を読んだり、ものを書いたりしています。家でそういうことをするのが苦手で、基本的には外に出ています。消極的アウトドア、とでも言えばいいのかな、よくわからないけれど。

だから休日に晴れていようが僕にはまったくメリットがないわけです。生活圏内からほとんど出ることがなく、誰かのともだちである他人ととなりあわせになってコーヒーを飲んだり、本を読んだりし、誰かの恋人である他人ととなりあわせになってハンバーガーをかじったり、ものを書いたりして。

ときどき僕は晴れというものから無意識的に逃げているのかなと思ったりします。たぶん、晴れって落ち着かないんですね、なにかしないといけないような気がしちゃって。それにくらべれば、雨って楽ですよね。雨が降っているだけで、ゆっくりとなにもしないことをゆるされているような感じがします。そういうの好きです、仲のいいともだちみたいで。スマホいじってても怒らない、みたいな安心感。僕にとって雨はともだちみたいなものなのかもしれません。

部屋の外で降る雨もいいのですが、最近、夜の雨も好きになりました。

雨の夜、比較的あかりの多い通りを歩いていると、濡れた道路が街のあらゆるひかりを反射してきらきらとうつくしいんです。

信号機、街灯、路面店の照明、飲食店の看板、自動車のヘッドライトやテールランプ。

ひかりは輪郭をうしない、色がさまざま混濁しながら真っ黒な路に浮かびあがるさまは、水面に反映した花火の断片のようにあざやかな情景です。

しかしひとびとは目の前に展開されている色彩にまったく気づいていないし、いつもよりも気持ち歩調をはやめているようす。

僕はそんな情景を立ち止まりながらながめていると、街はこれだけの輪郭をもってきちんと存在しているのに、雨が降ったという、ただそれだけのことで、すべてはあいまいなもの、儚いもの、と思わせてしまう、その自然の圧倒的なちからに魅入られてしまうのです。

まあ、そういうのを見ると、妙にかなしくなっちゃうよね、って言いたいだけなんですけどね。

みなさんにとって、僕でいうところの雨と同じ位置に属する天気や情景はなににあたるのでしょうか。もしよければ、すこし考えてみてはどうでしょうか。いつも鬱陶しいと感じているものも、見方をかえるだけで、なにかうつくしい側面を見いだせるかもしれません。

ミチムラチヒロ

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