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エッセイ2./安アパートと満月


先日、スーパームーンということで月がいつにもましてはっきりと夜の空にあった。

僕は月が好きなのでよく空を見る。見上げた空に月がないとかなしくなったりするくらいには月が好きだが、月のない夜もわるくはない。ちいさな星々がかがやいているすがたを見ることができるから。そういう夜は月が休んでいると考えている。

満月を見ると、むかし住んでいたアパートを思い出す。まだ保育園に通っていたころ住んでいたアパートだ。それは誰がどう見たってボロで、階段や手摺りは以前どんな色だったかもわかならいほど錆に埋もれ、夜などは天井をかさかさ、かさかさ、と数匹ものねずみが仲睦まじく走り回る音が響く、そんなアパートの一室にて僕は幼少期をすごした。

なぜ、満月を見るとそんなときのことを思い出すのかというと、そのへん一帯で見えた満月のことをよく覚えているからだ。

そのとき僕は自動車の後部座席に乗って、外を見ていた。たしかアパートに帰る路のことだったと思う。

ふと空を見上げると、そこには満月があって、その月の色がいやに赤みがかっていたことを覚えている。僕はそんな月を見て、とてもこわくなった。月があんなに丸くて、赤い色をしているというのが信じられなかった。絵本で見た月はもっと親しげでやさしそうだったから。

それまで月というものを真剣にみつめたことがなかったということもあるのかもしれないが、僕はあのとき目にした月のことをいまでもはっきりと覚えている。

でも、それは像がはっきりとしすぎていて、逆に夢だったのかもしれないとも思う。幼少のときの思い出など、それ以外のことはよく覚えていない(父親にひどく怒られて外に追い出され、鍵をかけられたこと以外)ので、むしろそれはつくりものの記憶であるような気もするのだ。

月を見てアパートを思い出すのは、その当時の生活様式を思い出したときにいちばん思い浮かぶのがあのアパートだからだろう。

そういえば、あのアパートは取り壊され、そのあとには小綺麗な立派なマンションが建った。

それを知ったのは5年か6年かまえのことだが、僕はそのマンションを見たとき、ふと月を思い出した。月を見るとあのときの生活を思い出すように、そのマンションがアパートを思い出させ、アパートの記憶が月を思い起こさせたのだった。

幼少以降、あれほど赤みを帯びた月を見たことがない。僕の見る月はいつも白くてぴかぴかと明るい。まるで新品のように穢れがない。

もしかしたら、月もあの安アパートと同じタイミングで取り壊されて、そのあとに新品の月を夜空に配置したのではないかな、なんて僕はときどき思っている。ちょうど電球の切れた照明を取り替えるみたいに。

あのおそろしい月の赤色は、アパートの階段と同じ錆びついた赤色だったのかもしれない。

月を取り替える作業というのがどれくらいの労働力を要するのか僕にはいまいちわからないけれど、そんなふうに空も新陳代謝を繰り返していると考えると、おもしろいなと思う。


ミチムラチヒロ

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