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実は、の話


 「リエゾン」という漫画を試し読みしたんです。
ドラマもやってたのを知ってはいたけど、というか勧められていたけど、最近全くドラマを見たくないという気持ちが強くて。
私は何か勉強とかのために勧められてドラマ見るなんてあんまりだと思ってる。ドラマで自己啓発なんてしたくない。ドラマは味わって楽しみたいから。
ただのへそ曲がりでもあるからだけども。

 ただやはり、「発達障害」というワードが、今の私には避けて通れないテーマだった。

 私の子どもたちは実は発達障害です。そう診断されたのは長女は一昨年の夏、長男は昨年の夏ごろでした。

 私には二人の子供がいますが、それぞれ違った特性が出ています。長女は学習障害と自閉症スペクトラムがあります。長男は長女と似ていますがADHDも加わります。とはいえ、発達障害はグラデーションのようなものらしいので、症状の表出には差があると感じています。
私は正直、診断されてから向き合う勇気がありませんでした。彼らの問題を直視出来ずにいた。ずっと混乱しているような感じで。
そしてなによりうっすらと気付いてしまったのです。


私自身がそもそも発達障害だったのでは、と。


 子どもたちの様子や症状を見たり、医師からの説明の度に子供の頃の私に当てはまる点がたくさん出てきて……………それを聞く度に私の中で辛かったり苦しかった記憶が蘇ってきました。

うまく対処できなかったことや苦しみながらなんとかやってきたことを思い出して、向き合うのが辛かった。
私自身が、私と向き合うのが辛かった。そして未だにその症状があると思う。(少しマシなぐらいで、なんとか社会生活はやれています。めちゃくちゃ疲れますが)
長女が診断を受ける少し前から、私はうつ病でした。うつを発症したせいか、発達障害のこれまでなんとかこなせていた部分が苦痛でたまらなかった。あのときは生活する上でその障害が強く出ていたように、今は思います。
 まだ私は発達障害に関する診察も診断も受けていないので、確定では無いです。でもあまりにも当てはまり過ぎているし、特に娘が私に症状が似ているのでおそらく。

 でも、今ではそれを受け容れられそうで、自分を知ればなんとかやれそうだし、なによりも娘の辛さやしんどさをわかってあげられるならば、自分自身とも向き合わなければと思うようになりました。

 そんな中、リエゾンの第一話を読んで少し心が軽くなりました。子供の頃の私が救われたような気持ちになりました。「私の苦しみや居心地の悪さ、痛みは理解されないだろう」と子供心に諦めていたというのに。ふっと子供の私がすくい上げられ、抱きしめられたような気がしました。

だから今度は、私が子どもたちの最大の理解者になれるのでは。いや、なりたい。少し覚悟が決まったような気がします。


なのでリエゾン、今から全巻買ってきますわ。




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