2020年、物理的な「場所」の効力がゼロになったいま、考えること


■年末雑感

これまでのように、「みんなでワイワイ」と楽しむことができなくなったいま、わたしは、このアトリエを続けていけるのだろうか?と考えました。
それだけの価値があるのかな、って。

たくさんの材料に囲まれ、いろんなジャンルの見本に囲まれ、これまでに見たことのないモノが作れるのがみちくさアートラボの魅力でした。

「一回完結のハンドメイドワークショップ」であることは、当初から変わらずでしたが(ですが、それ以外のことはけっこう変わりました)、ハンドメイド初心者の方から、ハンドメイドの達人まで、いろいろな背景の人が集まり、そこではじめて触れる情報に刺激されて生まれた活動も多くありました。

しかし、そんなワイワイとした楽しい時間は2020年2月が最後でした。
3月から、学校も休校になり、退屈するこどもたちをどうにかなだめて、一気にオンライン化が進み、今ではあたりまえのように、こどもたちがスマホを使いこなしたり、オンラインで遊ぶようになりました。

もちろん、大人のわたしたちも同じで。
みちくさでは、3月から出来ることから...、これまでアトリエで行っていたワークショップを少しづつオンライン化していきました。
みちくさアートラボで学べる講座一覧

オンラインワークショップをはじめて、これまでアトリエにお越しいただいて常連さんたちが「いまはアトリエに行けないからオンラインで」とお申し込みくださいました。
また、これまで、遠方や家庭の事情で「東京(浅草橋)には行けないから諦めてた」という方にも、オンラインでみちくさの楽しさをお届けできるようになりました。

そんなありがたさを感じながら半年が過ぎた9月頃、「この場所って必要かな?」と考えるようになりました。(それまでは慣れないオンラインのことでいっぱいいっぱいで考える余裕がなかったのかもしれない。)
もちろん、オンラインのキットを作ったり、動画を撮ったり、たくさんの材料とスペースがある環境はとても便利でありましたが、その分、「続けていくことの厳しさ」も、ずっと前からそれは分かっていました。

■浅草橋にアトリエをはじめて10年目

なんだかんだ10年間「続けていけるのか?」と毎年考えていました。
それは、2020年だからではありません。
もう少し前、2018年、わたしは続けていくべきかどうかを考える出来事が、個人的にありました。(2018年、長めの夏休みをいただきました
コロナは関係なく。
個人的な事情で、やめたいな、と思ったのです。
やめたい理由があったというより、もっと大切にしなければならないことがあったので、そっちを優先して。
その結果、やめはしなかった。
でも、事業は縮小し、具体的には、ワークショップのクラス数を減らしたり、7年続けてきたカフェはやめました。
「ハンドメイドもできて食事もできる」というスペースだったのが、カフェの機能はなくなってしまいました。
あのとき、無理矢理カフェスタッフをやめさせてしまって、それは本当に申し訳ないと、今でも思っています。
ただ、カフェとしての売上が「黒字」になったことは一時もありませんでした。
でも、本業があるからなんとかなるというか、カフェはブランディングのようなもので、「ハンドメイドもカフェもやってる」という響きが気に入っていて、
7年、続けてきたのです。
カフェをやめたのは2018年、コロナは関係ありません。
ですが、偶然こうなったいま、やはり続けていくことはできなかったのだな、と、ふと思います。

■カフェをやめてわかったこと

カフェを続けていたのは、正直「もったいない」からでした。
みちくさを好きで働いてくれる人がいたし。(こんな人はもう出会えないくらいの人財だった)
食べ物は美味しかったし。
メニューの研究もしたし。(カフェの研究成果
ごはんも食べれてみちくさみたいなハンドメイドできる場所はこの世にないし。

カフェをやめたことは本当に悲しくて悔しくて、人生で一番泣いたのが2018年だったけど、「もったいないから続ける」ことが一番もったいないんだなと思いながら、自分を納得させていました。
ちょうどその頃が、飲食の営業許可の更新の頃で、更新しませんでした。
そして、やめてみたら、とても心が晴れやかになっていました。
もうここではカフェをすることはない。
そう分かったら、もし飲食をやるなら別のカタチだな、と心に決めました。(その頃は2018年だから今ではまた考えは変わっていますが…。でもカフェは好きだし、またやりたい気持ちはあります。一番悔しかったことだしね)

■アトリエがなくなったら

そんな2018年のわたしにとっての「みちくさ廃業の危機」があってから2年が過ぎ、あのとき細々と縮小して続けていく道を選んだけれど、本当に続けていくことが正しかったのかと、ずっとモヤモヤしていました。

カフェをやめてから、こんどは「アトリエ」と呼ぶようにして、ハンドメイドのワークショップを楽しむ場所になりました。
わたしが、ハンドメイドの研究をしたり、みんながハンドメイドを楽しむための場所です。

そんな「アトリエ」である、みちくさアートラボが、わたしにとって(みんなにとって、ではなく)どんな場所なのかと、わたし自身も考えるようになりました。

もしもアトリエをしめることになって、その後どうするか?
何度も何度もシュミレーションをしました。
手続き的なこと、モノはどうするか?
たとえばオンラインだけはあり?
どこかレンタルスペースを借りる?
自宅教室?
…と、みちくさアートラボの活動自体を続けることは可能で、そんなモデルケースもたくさんありますし、たくさんたくさん想像したけれど、どれもピンとくるものはなく、シュミレーションした結果、確実に分かったことがあります。

わたしは、みちくさアートラボ(浅草橋のアトリエ)をやめたら、ハンドメイド自体をやめるな、って。

そこまでして、「ハンドメイドを続けている自分」が、全く想像できなかったのです。

ちょうどその時期、2018年は、自宅の引っ越しをしなければならない事情(マンションの建替え)があり、じつは、次の住まいとして「店舗つき住宅」なんかも考えていました。
または、古民家をリフォームしたり...、なんて案もありましたし、「仕事と家庭のバランス」を考える機会は、わたしとっては、2020年ではなく2018年だったのです。

いろいろ考えて、シュミレーションはしたけれど、図面も書いたし、資金の算段をたてたりもしたけれど、いっぱいいっぱい考えたのち、「これはなし!」となったのです。

だから、今「リモーワーク」として、自宅で仕事ができる環境を、みんなが考えている最中ではありますが、わたしにとっては、それは「選ばない」という答えがもう出ているのです。

仕事と自宅、仕事とあそびが繋がっている感覚は、悪くはないし、わたしは「遊んでいるかのように働きたい」とずっと思っていたので、「いいかも?」といっとき考え、考えたんですけどねぇ。
でも。
どうしても想像ができなかったんです。

元々、ハンドメイドが好きだからはじめたことではありません。
気づけばこうしてできることが増えましたが、超不器用ですし、ハンドメイドは苦手。
そんなわたしがなぜ?っていまでも不思議(笑)

わたしがなぜハンドメイドをしているのか?
その理由は、「求めてくれる人の声に答え続けてきたら自然とこうなった」というだけです。
「こんなことできますか?」と聞かれたり、出会った人とお話する中で、「この人にコレをおすすめしたいな」とか、「あれをこうしたらみんなが驚くかな?」とか、そういうことが源泉だから、わたし自身が「これやりたい」という気持ちは全くないのです。
分からないことを調べたり、情報を整理整頓したり、コツコツと何かを観察し続けたりすることは真面目になるタイプなので、内容は「ハンドメイド」でなくても、そういった研究自体が好きなのです。
ハンドメイドだったのは偶然。

だから。
ハンドメイドを趣味で続けるということは全く想像ができず。
自宅で、ハンドメイドをしている自分も「ない」だった。

では、わたしは何をするのか?
わたしはシングルマザーなので、何らかの仕事はもちろんすることになります。
テーマは何でもいいわけではなく、できればわたしの興味のありそうなことで、いくつか想像し、シュミレーションしました。
これはただの妄想なので、それがうまくいくかは分かりませんが、「別の仕事をしている自分」は、想像することができました。
これまで、たくさんの仕事をしてきましたから。
何でもやってきました。
本当に何でも。
仕事を選ぶことなんでできない暮らしをしていましたので、「この仕事がしたい」という夢はもったことがなかったのです。

だからこそ、何でもできる、と思えるのかもしれません。
いい意味でもわるい意味でも、こだわりがない、というのでしょうか。

■「もったいない」ってほんとうにそうかな?

わたしがハンドメイドの仕事をやめるとなったら、
「もったいない」
といわれると思います。
物理的なことではなく、「それができる能力」とかそういうことで。
10年やって、やっぱりいろんなことできるようになりましたからね〜
でも。
もったいないとかそういうんじゃない。

もったいなくはないんです。
たぶん、わたしは晴れやかな気持ちになると思います。
カフェをやめたときのように。
そして、もっとそれ以前に、みちくさを始める前の仕事を辞めたときのように。

「みちくさアートラボは、もったいないから続けているのかな?」
とわたしの頭の中この2年のモヤモヤとありました。

■わたしの以前の仕事(苦手なプレゼンを克服した話)

そうそう、わたしの過去に興味をもってくださる方が時々いらっしゃいます。
「どんな勉強をしてきたんですか?」「以前はどんなお仕事をしていたんですか?」って。

ハンドメイド(みちくさアートラボ)をはじまる前は、わたしは、Webサイトをつくる(ことに関わるいろんな雑務)仕事をしていました。
はじめたのは18歳頃。12年くらいかな、続けてきました。
続けてきたといっても、20代は「旅人」だったので、旅をして、アルバイトをする、の繰り返しでした。
何をやっても続かなかったし、何をやっても満たされなかった。
でも、仕事は真面目にコツコツやる派なので、仕事はできるようになっていきました。
わたしが18歳の頃といえば、ウィンドウズ95が出て少し経って、「家庭にパソコンやインターネットが普及されはじめた時代」です。
その頃のホームページって、超レトロなやつです(笑)
教えてくれるような学校は当然なかったし、本なんかもありませんでしたので、すべて独学で、コツコツ(ソース一行一行)分解し、「何をしたらこうなるのか?」を調べ続けたのです。

修行的な経験もたくさんしました。
地図を素材集&販売している会社で、いわゆる白地図のくにゃくにゃ線を永遠とトレースする仕事…。あの仕事のおかでで、わたしはIllustratorが使えるようになりました。ペジェ曲線マスター!

ほかには、わたしは超見知りでいわゆる「プレゼン」が苦手だったので、どうしたら「喋らずにプレゼンしてコンペで勝てるか?」を考えて、超カッコいい企画書を作れるようになったりりました。
パワポなんですけど(笑)
パワポなんですけど、そこには「映像」や「音楽」をのせて、いまでいう動画っぽいかっこいいやつを作って、それをパワポに貼ったのです。
当時Flashというソフトがあって、このソフト自体もう淘汰されてなくなっていますが、それを使ってました。(当時は最終的にはパワポ形式にしなければならなかった。なぜか。)

喋りがうまい人は、喋ればいい。
喋りが苦手なわたしは、音や映像で目を引きつけて、「何これ?」「こんなの見たことない」「なんか人と違う」と思っていただく。
そこで、相手が、興味や好意、共感を感じてくださることで、わたしの緊張がほぐれました。
この作戦はそこそこうまくいって、「え、何これ?なんかかっこいい?」と思ってくださった場合は、その後圧倒的有利になるんです。
それで、何度もプレゼンで選んでいただくことがありました。
気づけば、最初は「超苦手」「絶対無理」と思っていた、「人前で話すこと」への抵抗がなくなっていき、「自分が動きやすい環境を作れば、そこではわたしは有利に効率よく働ける(そして結果も出せる)んだな」ということに気づきました。

■わたしの以前の仕事(プログラミング修行の話)

あるとき、(25歳くらいかな、はっきりとは覚えてない)自身のスキルアップのために、プログラミングの研修に行ったことがあります。
それは、会社に指示されたことではなく、個人的に行きたいなという興味と会社での仕事にも貢献できるかな?と思って行ったもの。
その研修は、ある企業のプロモーションの一環といいますか、お金はかからないものでした。
仕事が終わった夜間に週1で行って、確か3ヶ月。

これがね。参加してみたら、わたしは「超場違い」でして... 、現役プログラマーの人を対象にしたもので、「プログラム素人」のわたしが行くような内容ではなかったのです。
だから、すっごく難しくて。
最初の授業から先生も生徒も何話してるのか全く分からなくて、もう泣きそうになりました(汗)
ほかの生徒さんは現役のプログラマーでしたので。
そんな外国にいったかのような環境でしたが、とにかく分からない言葉をひとつづつ調べて、だんだんとみんなの話がうっすーーーーーーらと理解できるようになり、最後の「課題の発表」の日を迎えることができました。
「あるシステムを作る」というものだったのですが、わたしは自身のやっと出来るようになったいくつかのことを組み合せて、とても稚拙な何かをつくりあげました。
本当に稚拙なものです。
それを、みんなの前で発表しました。

「何を使うとどうなるのか?」とか「これを使うとどんな風に便利になるか?」とか、そういうのをパワポでまとめました。(これはお金をもらってる仕事じゃないからあまり力は入れなかった。というか、時間もなかった。でも最低限、みんなに理解してもらえるように、図を入れたりは工夫しましたけど。)
そしたら。
そのプレゼンは、素人のわたしがいちから頑張ってきた努力も先生は認めてくれて「さすが、プレゼンが上手ですね」と言われたのです。

稚拙なシステムに稚拙なパワポ資料、喋るのも得意ではない。
でも、実はそのクラスでわたしは一番にプレゼンが上手だったのです。(褒められたのはプログラミングの技術ではありませんが...)

あたりを見回せば、ほぼ「何話してるのか聞こえないくらい小声」とか、とにかく「喋るのが苦手」な集団だったのです。クラスみんな。
(元々、プログラマーという職種は、営業的な仕事が苦手な人が多いからではないかと)
そんな中でしたので、わたしのシステムが評価され、プレゼンを褒められたのは、わたし自身がとてもびっくりして、でもすごく嬉しかった思い出です。

「場を変えればいい」というのを実感した経験でした。
ちなみに、そのときのプログラミングの言語は、今ではいっさい忘れました(笑)
あまりに集中しすぎた3ヶ月だったけれど、実務で使うものではなかったので、今では全く覚えていません…
ですが、当時会社の仕事では、知識として役にたち、会社への貢献もできました。
青春の思い出の1ページです。

このプログラミング研修の経験は、わたしがコツコツ頑張る子だな、ってよく分かるエピソードです。
(最後のプレゼンだけでなく、1分で済む毎回の課題の進捗すら、みんなの前で発表するのがいやで脱落していく人もいたので)

それ以外の仕事も、わたしは会社のためになる(お金がもらえる)ことは、何でも頑張ってやってきました。
そして、ほんとうにひとつひとつ出来るようになったのです。

■そして「もったいない」の正体とは

余談が長くなりましたが…
そんな風に十数年(実際には半分は旅をしていたので半分くらいかも)続けてきた仕事をやめるとき、いろんな人から「もったいない」と言われました。
それは、会社に引き止めてくださる気持ちかもしれませんが、「これだけのことができる能力があるのにもったいない」ということは、本心で思ってくださっていたと思います。
わたし自身も、最初、いっこいっこ積み上げてきたことを思い出すと、思い出はいっぱいでした。
まさに「わたしの青春」という感じ。

でも、わたしは「もったいない」とは思わなかった。
「もったいないから続ける」って、やなことだったんです。

そこそこうまくいっていた仕事を、なぜやめたのかと考えると、わたしの中で「熱量が足りない」っていつも思っていたから。
みんなが「なりたい!」と思ってなっているのに、わたしは「気づけばこうなっていた」とか「なりゆきでこうなった」と思っていたので、いつも「みんな(同僚など)より熱量が少ない」と感じていたのです。

「もったいない」で続けるのが一番もったいない。
「もったいない」という気持ちは、ある側面では、可能性を閉じることにもなると思ったのです。
(みちくさのリメイク精神にあるような物理的な「もったいない」と違ってね)

■わたしが作りたい仕事

そのときに、わたしが何が好きで、何になりたいかと考えて、作ったのが「会社」でした。
「仕事をつくる仕事をしたい」と思ったのです。
それは、わたし自身が、「自分が有利に立て働きやすい環境をつくること」でもありました。

最初は、いくつかのできることをやって、残ったのが(一番求められた)レジンの研究だったのです。
レジンからハンドメイドをスタートし、この化学反応を観察するのはなかなか楽しく、面白かったです。
そうしてなんだかんだで、10年、いろいろな技を身につけました。

そんな今。
日々「ハンドメイドが好き!」「ハンドメイドを仕事にしたい!」という方々と出会っていると、わたしは、正直そこまでの熱量を感じていないのではないかと、日々自問自答したのが、この2年くらいです。

そもそも好きではなかったし、才能があるとも思えないし…。
でも、楽しかったのは、心からの気持ちです。
毎日、いろんなハンドメイドにチャレンジし、みなさんにも楽しんでいただけて、「ありがとう」といわれ仕事で、とても幸せな仕事をさせていただいたと、心から感謝しています。
わたしが「好き」なのは、そうした「ありがとうと言われながらお金をいただくこと」です。
そしてそのための研究をすることです。

■紙だけデコパージュの研究

調べものしたり、何かを研究するのが好き...、それがはっきりと分かったのは(もう分かっているつもりではいたけど)、先日11〜12月にやっていた、新しい「紙だけデコパージュ講座」の研究で、これがとにかく大変で、デコパージュってボンドなので、まぁいろいろ大変なんです。(時間がかかる、事故がおきる etc.)
この、ゴミ箱を新しくしたのがきっかけ。
でも、あれをやってるとき、わたしの気分は高揚していて、「早く実験結果が見たい!」という気持ちで、朝7時に出勤していたり(ワークショップ自体は暇で誰も来ない日が何日もあった)、1日ボンドを観察して、それでも家に帰るのがほんとうに惜しくて(もっと見ていたい)、娘に「最近帰りが遅い」と小言を言われたりもしました(笑)
そのくらい、夢中になったのは、久々で。
もちろん、どのワークショップも、わたしが一生懸命考えて実験して発掘した研究成果ありますが、あのくらいの高揚感は、そんなになかなかなくて。

これまでを振り返ると、
・紙だけデコパージュの研究(こないだ)
・カフェのドライカレーとスコーンの研究(カフェをはじめたとき)
・レジンの研究(みちくさをはじめたとき)
・前途のプログラミング研修
・ネット黎明期のHTML
くらいかな、って。
もっとあるといえばあるけど、絞るとこのくらい。

■絞ったものの中に本当にやりやいことがある

その絞ったものの中に、共通する「高揚感」が確かにあって。

そのとき、はじめて、わたしがやりたいのは、こういった研究(しかもめんどくさいやつ)で、それを誰かに届けていくことなんだな〜と、しみじみ思ったのです。
(「もったいないから」ではなかったよ)
もちろん、届けた誰かには、喜んでもらいらいし、自身の仕事に活かしたりして欲しい。
「人の心が動く瞬間」をずっと見ていたいから、わたしはコツコツ研究できて、毎日いろんな人に「一回完結のワークショップ」で何かを届けることができる。

分かっていた気ではいた。
けど、最近本当に痛感したのです。

そして、そんな研究はおそらく「ハンドメイド以外」でもできて、わたしは他の仕事でも、楽しく高揚感を味わえることができるのだと思います。

(どちらかというと「仕事向き」というか、「こういう仕事がしたい」というのがない分、何でも、お金をもらえれば嬉しいし、頑張れるんです。あまりイヤな仕事とかないし。)

■お家で働く、家族で働く

そうして、話は余談(思い出話)の方が長くなっていますが…、
「わたしが浅草橋のアトリエをやめるときは、わたしはハンドメイドをやめます」という話に戻ります。

趣味でやるかは、「趣味でハンドメイド」をしたことがないので分かりませんが、なんとなく...やらないんじゃないかな(笑)

「誰かに研究成果を届けたい」のが源泉だから、自分のためのアクセサリーを作るとか…あまり想像がつきません。きっと買っちゃうと思うし。素敵な作品はたくさん売ってますし。
そうして、わたしが以前の仕事からはかなり離れていったように、ハンドメイドからも自然と離れていくのだと思います。
それは決してネガティブなことではなくね。

さて、そんなコロナ禍の2020年、もうひとつ考えたことがあります。
「お家で働く」というのが「ない」なと2018年に分かったのと同時に、子どもが成長していくこととか、少し先ですが老後のことなんかも自ずと考えるようになりました。

わたしには娘がいますので、みちくさへお越しのお客さまとは「娘さんもハンドメイドがお好きなんですか?」なんて雑談をしたりもします。
娘は、たぶんそんなに好きではない気がしますが、まぁ出来る環境があるので、少しはやりますかね。
生まれた瞬間からハンドメイドに囲まれた、人によっては羨ましい環境ですね(笑)
「やはりお母さんの才能を引き継いでこういうお仕事をするんじゃないかしら?」なんて言われることもあります。
娘が保育園の頃に「大人になったらママと一緒にお店をやる♪」なんて言っていたこともあります。(今ではもう大きくなり、別の夢があります。)

そんな会話をするたびに、わたしは頭の中で、娘が成長して、一緒になにかハンドメイドをしている姿をシュミレーションしますが、これが何度考えても、答えは「ない」なんです。

娘が将来何になりたいかは、まだ分かりませんが、たぶんハンドメイドを選ばないんじゃないかな〜と、わたしからはそう見えます。
でも、それは全く分からないですよね。小学生の夢ですから。
一応今は、別の夢があるので、その夢に向かって欲しいと思っていますし、その夢は、娘に向いているのではないかと、見ていてそう思います。

でも、もしも、娘自身が、いろいろ考えて、「ハンドメイドを仕事にしたい」と思ったのであれば。
わたしはもちろん応援しますが、わたしがやってきたことを引き継ぐことは全く想像できません。
たとえば、みちくさアートラボを一緒に経営するとか、絶対にない…!

それは、わたしがやりたいこと...というか、出来ること(どうにかお金がもらえて生活ができること)を見つけて、それがしやすい環境をいっこいっこ整えていったように、自分にしか自分のやりたい環境をつくっていくことができないからです。

わたしがそうしてきたように、自然と彼女もそうするのではないかと、そっちの想像の方がずっとつきやすいのです。

これは、いじわるをしているとか、厳くしているとか、自立させたいとか、そういう気持ちではなく、ナチュラルに、「そうするのではないかな?」とわたしが思うだけ。

まぁ一緒に仕事をすることは可能性としてはゼロに近いと思っています。
もしも懇願されたら気が変わるかもしれませんけどね。(たぶん...されない…笑)

■友人の死

そして、わたしが「将来みちくさアートラボをどうしていきたいのか?」というのは、やめるのかどうかを考えるのと同時に、ここ数年考えてきたことです。

その答えは、友人の死を通して考えたことの中にありました。
数年前になりますが、同性代の友人を病気でなくしました。
同時期に起業をして、全く別の業種ですが、ともに頑張ってきた仲間です。
彼女は、創業した頃から病気を煩っており、誰にもそのことを告げずに、闘病と自身のサービスを続けてきた、とても強くて優しくて素敵な女性でした。
そんな彼女が、病状が悪くなり、この仕事を続けることができないと自身で分かったときに、自分の生み出したサービスを「どう終わらせるか」について、どんな風に考えて、最後を過ごしてきたのだろうと、何度も想像し、泣きました。
その答えは分かりませんが、そのときに、「もしもわたしだったら…」と考えました。

わたしだったら、例えば「創業者」として、みちくさアートラボの名前だったりやってきたことだったりを残したいかと考えると、それはありませんでした。
むしろ消したい。
わたしはそう思いました。
出会ったみなさんの心の中には残って欲しいと思いますが、わたしのやってきたことを誰かが引き継ぐのは、全く考えられませんでした。
それは、前途の娘のパターンと同じように「やりたいならやればいい」ということですけどね。
誰かが勝手にマネして使うのは全然OKなので、まぁやりたいならやってもいいんですけど。
でも、わたしから誰かに引き継ぐものではない、と。
はっきり分かりました。

2016年、こんなことも書いてました。「奪う」より「与えたい」そして「景色」になりたい。
あ、わたし、景色になりたいんだったな。
景色ということは、ずっとそこにあることなのかな?それでも、やはり、どちらかというと自然に帰るというか、みちくさアートラボは終わって欲しい。

■2020年ありがとうでいっぱい

物理的にアトリエを続けられなくなったとき、そのときはみちくさアートラボ、およびわたしのハンドメイドの活動が終わるときです。
でもそれはネガティブなことではありません。
だから、もしもそのときは、ライトに見守っていただけたらな、と思います。
あ、ただそんなことを書くと、「やめてしまうのではないか?」「経済的にほんとうに難しい状況なのか?」と心配されてしまいそうですが、そんなことはありません。
また、気持ち的に、やめたいな…と落ち込んでいることもありません。
(むしろ、苦しかったのは2018年だったらか、今ではないんです)

どちらかというと、2018年から続くモヤモヤが晴れて、いまはとても心がすっきりした気分です。

わたしの最新のオンラインワークショップ「紙だけデコパージュ講座」の研究の中で気づいたことのおかげです。
(この講座はすごくおすすめですが、何か革新的なことがあるわけでもないし、すごーーーく単純。そういったら、みちくさの講座はそうなんですけど。)

いまのところ、みちくさアートラボがいつ終わるかは決めていません。
ともかく、続けられれば、続いていきます。
誰かが求めてくれたら、自然と続いていく。
でもそれは、ひとりふたりでは無理で、たくさんの人…たくさんの人がそう思ってくれたら、自ずとそうなるものです。
だから、これからも、たくさんの人にアトリエWSとオンラインWSをお届けしていきます。

続くといいね、みちくさアートラボ。

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