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初めまして,中村でございます♪


神奈川県平塚市在住で心・魂のセッションをしています♪
初めてnoteに投稿させて頂きます(*´꒳`*)

自己紹介と在り方をお話しさせて下さい♪

私は福岡生まれでして,血筋としては九州人です。
と言っても,暮らしたのは3歳前?位までなので殆ど記憶がありませんが^o^

父・母共に意識の世界へ戻っており
父は私が15歳の春に
母は今年の3月に。

私がどの様な家庭環境に育ったかと言いますと
一言「波瀾万丈」です(°▽°)

同じ父と母の間から
10人兄弟の六番目として生まれました。

私には兄が四人・姉が一人・弟が2人・妹が2人
います。
私は中間子にあたります。
昔では珍しく無い人数だったかもしれませんが,現代では中々珍しい大家族だと思います笑。

そんな大家族の中で幼少期〜今に至る訳ですが
人数も多い為,人間関係のやり取りは通常の数十倍に及ぶかもしれません。
色々色々あり過ぎました笑。


幼少期から相当感受性の強い子どもだった事もあり沢山のものを拾い過ぎて,当時は変な子どもにうつったかもしれません。
いつも違和感を感じていて「なぜなの?」を沢山抱えていた子どもでした。

今でこそ,インナーチャイルドや様々な連動した思い込みからくる不安定な感情人生からは卒業出来ましたが,長らく長らく「苦しんでいた」事があります。


3歳まで福岡で育ち
3歳〜9歳まではスリランカ🇱🇰と言う異国の地へ家族全員で引っ越す
(父の決意で始まりは豊か気味でしたが,スッカラカンにまで発展していきます)
9歳〜12歳までスリランカ🇱🇰から日本へ帰国・真鶴町へ(ここでかなり厳し目のイジメられ体験あり)
12歳〜現在40歳までは神奈川の平塚
(何人かの家族と暮らしていたが家から五年前に母と共に出て2人暮らしを始める。母が長らく平塚の病院に通院していてその関係で同じ市内にとどまる)

その大好きな母とは
4年半位2人暮らしを楽しんだのですが
今年の3月に亡くなりました。

私の過去の仕事面は特に
好奇心の赴くままに仕事を変えるような人間だったので
住み込み仲居・足裏マッサージ・エステサロン・自然派食品販売・ホステスetc…
忘れてるのも沢山あります笑
いわゆる定職に就かず
社会的には…な感じなのでしょう笑
ただ,一生懸命に取り組むからか
どの職場でも重宝がられていたように思います。
だからと言ってこれと言って発表出来る功績もありません(・∀・)

昔から,団体・組織・集団・会社・学校みたいなものがとても苦手で苦手で
そういう「何か大きなもの」からはなるべくなるべく避けるように生きていました。仕方ない所は折り合いをつけられていましたが,なるべくなるべくという感じ。

だけど人間が大好きで
無性に愛おしく
けれど大勢は苦手で
沢山会うと疲れ過ぎてしまう

という矛盾・葛藤が
20代いっぱい迄続いてました。

そんな感じだったので
心の事には強い関心があり,10代の終わり〜心の本や様々なブログを読み漁り,日々日々「なるほど!」とお勉強に勤しんでいました。
スピリチュアル関係ももちろん。

不思議と「今回で地球🌏は最後」って言う感覚が10代の頃からあったので,当時人に話すと「⁇⁇」顔をされていた事を思い出します( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

話が前後しますが,私が22歳位の頃に
母が大きな病気(透析)にかかり
当時はまだ弟や妹も学生だったし,上の兄弟はほぼ家を出ていたため
誰かが家事全般をやらねば間に合わない!となり
私がそれらを引き受けざるを得ない流れとなり,それから2年位は母代わり業でした。

母の透析食も別に用意したり
透析患者さんは栄養管理と水分調整が中々厳しいのです。(22歳で初めて透析という言葉を知ったくらい)
何も分からないながら,塩分表などと睨めっこして試行錯誤に励んでみたり,こっそりアンパンを食べる母と口論になったり笑。
22・3歳ですからね,ほとんど遊びにも行けず・行かずに居たら,それは何かがおかしくもなります。


母の食事管理もコツを掴み慣れて来た頃,家から出ない私を心配してか,友達から声を掛けられ数年ぶりに働いてみると
ま〜楽しくて笑 息抜きみたいな感じでした。

ただ,母代わり業は引き続きだったので
夜〜明け方にかけてのスナックみたいな夜のお店のバイトでしたけれど。

そうやって外に出始めると
だんだんに弟や妹協力してくれて
ひょっこり兄が戻って来たりで
私の大まかな母代わり業も少しずつですが,軽くなっていきました。

年月とともに家に居る家族の構成は変わり
妹や弟が家を出,兄や姉が戻って来て
私の役割も変わっていき,フルタイムで働くようになっていました。
ただ,何故か「どうしても母の側に居る必要がある」と感じていた為,家を出る事を考えた事はありませんでした。
(家にお金を入れ続ける必要もありましたし,今だから分かりますが私の依存です)
引き続き,基本独学で心の事に取り組んでいました。

その間に母は別の病気で手術も重ね,視力もほぼ失いかけていて,透析とは多少上手く付き合えるものの,日々日々トラブルと背中合わせでした。

30代に入ってからは母の基本的にな病院関係も他の兄弟にお願いしていて
朝から晩まで掛け持ちで働き通し[睡眠時間は5時間あればラッキー)の私は中々母と過ごす時間もなくなっていた頃でした。
ある夜,遅くに帰宅すると一人母が声を殺して泣いていたのです。

母は10人産んだ経験をした人ですし
破天荒な父(ストーリーが多すぎるので,父の事はいずれ書きます笑)を最期まで支えた女性で,泣き言を嫌う人でした(当時まではそう認識していました)
その母が一人泣いている…
私は驚き「これはただ事ではない」と母を抱きしめ「何があったの⁈」と話を聞いた所

「苦しい,辛い。あなた(私の事)が居ない時の他の兄弟達の対応があんまりなのよ…」と。
こんな事があって,と話す母の言葉が俄かに信じ難く,ただこの母が泣くからにはとんでもない事が起こっていると感じ,自分の目で確かめる事にしました。(今思えば,私もどこかで察していたはずです。当時は向き合う事から逃げていたのでしょう)

数日後
休みの日に出掛けた振りをして家に居たら
母が言っていた100倍の衝撃がそこにはありました。
直接手をあげる暴力では無いだけで
物に当たる爆音・罵詈雑言・脅し。
それはそれは地獄絵図そのものでした。

私が入っていくと
驚き,ピタっと止めたのですが,共に暮らす限界を心底感じました。
「このままで母が本当に死んでしまう」と。

別に暮らしていた兄弟からの提案もあり
決意の時となりました。

私の方も
これから2人暮らしなら,私が外で働く間母を一人にする不安も出てくるけれど,だからと言ってこの環境ではあり得ないし…と,そして母にとっては私と暮らす事が幸せなのだろうか?とも。

先ず,私自身が自問自答した答えは
「母の側に居たい・母と暮らしたい」でした。


そして
母にこのままでは苦しいし,すぐにでも家を出る必要がある事・別に住んでいる何人かの兄弟達から「一緒に暮らしてもいいよ」という言葉がある事・私の気持ちを伝え,その上で母がどうしたいか?を聞きました。


当時の母は自身を責めに責めていて
静かに暮らせるならそれを望むけれど…
同時に日々罵られる子どもに対して,自分が居なくなって大丈夫だろうか?という心配をし
家を出る事への罪悪感を抱えている。と。
確かに苦しいけれど,もう少し我慢したらもしかしたら良くなって行くかもしれない。という願いみたいなものまで。

この時,私にも罪悪感はありました。

けれど
今は一人一人の気持ちを汲んでいる時間は無いし,いずれ解ってもらえるかもしれない。

私自身の中で危険センサーがビービー鳴っていて
とにかく,今ここから母を連れ出す必要がある。これだけだ。と。

このままここにいたら,エゴに乗っ取られているこの兄弟達が最悪のシナリオを迎える事になってしまう可能性すら見えていて。例えば,怒鳴っている最中に母が目の前で突然倒れてそのまま…なんて事になれば,先ず,彼等が立ち直る事も難しい。
そうなれば罵っていた兄弟だけに留まらず,全てに波及し結果,家族全員が苦しむ事にもなるからです。


とにもかくにも母最優先で私も苦しかったし
母に,ここでは無い別の場所へ行く必要性を何度も何度も伝えた結果,家を出る決心をしてくれました。

そして母は続けて
「他の子達の提案も有難いけれど,私はあなたと暮らしたい。あなたにとってはとても迷惑かもしれないけど,ただ本音を言わせて貰えるなら,あなたが1番楽なのよね。私に何かがあっても,あなたはあなた自身を責めずにその後を生きてくれそうだしね。」と。

この決断を聞いた時
何故か
私の中に深い安堵感が生まれた事を覚えています。そして子ども達に対する母の深い愛を感じました。

魂達のお話において
そうなるようになっていた事が起こったからでしょう。

別の表現をすれば
母はお手洗い事情も抱えていた為
独り身の私(娘ですし)が1番楽というのは頷けます^o^
母が私を選んだ本当の理由はこれかもしれません笑


決めたら早いもので
ほとんど階段の無い一階のアパートがすぐに見つかり
つまづきづらいフルフラットな内装で母に優しい物件が見つかり,話し合いから2週間後には引っ越しちゃいました。

引っ越す前に
多少冷静に話せると踏んだ当時同居中の兄弟一人に経緯と気持ちを伝え,日時と新居の住所は紙に書いて渡しました。
冷静に話せると踏んでいましたが…甘かった笑
私にも怒りがありましたし
当時の相手も怒り心頭に発していましたが,もう引っ越しの契約も済んでいたので飲み込む他無いようで,話し合いと言うよりも報告という感じだったので1・2分で終えてしまいました。



怒涛の流れであれよあれよと
始まった母との2人暮らし。
あまりの平穏さに不慣れで戸惑っていた事が思い出されます。

私自身に沢山のインナーチャイルドがいた事。
潜在意識の中にある無数の思い込み。
2人暮らしを始めてから,せっせとせっせと取り組みました。
エゴを観察する視点を持ち,色々な事が私の中で繋がっていき,どんどんと理解が顕れて来ました。
家族の中にある,先祖からの観念や連鎖的な想念など。

母自身も深くに押し込めていた深い悲しみ・怒り・憤り・憎む気持ち・我慢・耐える美学などが沢山沢山あり,少しずつ溶けていきました。

母の病気の量を考えると
どれほど本音を無視して我慢をしていたかが分かります。

もちろん
病気になる方が全てそうである訳ではないですが,母に関してはそう感じます。


ただ
母も中々に自身を許せずにいる部分も根強くあり
2人暮らしを始めてから,2年半の間に心臓の病気で3回ほど手術と入院をしました。

そしていよいよ
2019年の3月に余命一か月未満と宣告されてしまいます。

私と2人で話を聞いた母は帰り道に (目はほぼ見えなくなっていたので2人暮らしを始めてから,私の右腕に掴まるのが外を歩く時の常でした)
「先生もわざわざあんな風に言う事もないよね〜!こちらは言われなくても,いつ死んで良い心持ちで生きてるっての!さぁ!お寿司食べ行こ!!」と,私を気遣ってくれたのでした。


その宣告を私の中から60%くらいは消せたのでしょうが,しかしどうしたって100%は消せませんでした( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

ただただ母との暮らしを丁寧に
古い観念や色々を自身の中から益々手放し
母と共にせっせと軽くしていく暮らしの中,年末の〜2020年にコロナ騒動勃発でした。
春くらいには肌感覚でオカシサを確信していたので,母にも色々な真実をシェアし
2人で夜中まで語り合った事が懐かしいです。

ちなみに母は細川先生の大ファンでした^o^

母には様々な病気がありましたが
気持ちと脳力は本当ーーに若々しかったので
母と話す人は「本当に病気なのかな?」と疑うほどでして笑


余命宣告から亡くなる3週間前までの
2年は入院する事もなく,とても穏やかで
楽しそうに暮らしていたと思います。

定期検診の際,お医者さんが
「奇跡を更新中ですね!!」と驚かれていましたし。


余命宣告を受けた後に
一つだけ母との間に決めたルールがあります。
どんな雰囲気であっても
例えケンカの直後でも
おやすみの挨拶では
「今日も一日ありがとうございます。また明日,おやすみなさい」と伝え合う事。

これは
本当ーーに一日も欠かさず出来ました。
途中からは習慣になるので,意識せずにですが^o^


色々あった兄弟達も
最期のお見送りの時にはすっかりと本来の姿に近づいていて,とても温かく皆で母を見送る事が出来ました。本当ーーに温かい時間でした。


私の方は
一人になり,やはり数ヶ月
強烈な寂しさと恋しさで泣かない日ないくらいな日々でしたが,漸く芯がスッとしました。

ふつふつと静かな情熱が上がって来ています^o^



私自身の自己紹介となりますが
改めて振り返っても
本当に何の功績もないのですよ笑
全く見当たらない笑

もちろん他にも出会いや,して来た事
好きな事・恋愛など色々あります。
ただ「私」を説明するなら
「私」のメインを話すなら


私=家族=母
でしかないのです。

何か他にお話し出来れば良いのですが
母の事を書かずして,何も無いのです。

そして今,言えるのは
何ら一切の後悔はなく
私の人生に起こった事の全てを愛している。
という事です(*^^*)




最後に

私には特別な学歴や資格,功績も何もありません。

これからも今までも
自身の人生を一生懸命に生きて行く中で気づいた事・内発的に起こったインスピレーション・理解・様々な情報・メッセージを自身の中で繋げて,潜在意識を活性化し,意識の純度をあげ,魂の世界を広げていくだけです。

そして
私達がどんどん本質の自身で生きて行く必要がある今だからこそ,意識の世界への理解が必須なのです。

私が大好きな対話・セッションを通してお相手から感じる本質のエッセンスに触れる感動たるや
何ものにも変え難い深い喜びがあります。



その人その人の
本質が放つ温かい振動があるのですが
本当ーーにそれぞれに美しく深く沁み入る味わいがあります。


あなたにはあなただけの振動があります。
あなただけの音色があります。


それぞれが
正しく本質の音色を奏でたなら
宇宙は一瞬で変わります。


私自身も自身の音色の純度をあげる事を励みつつ大好きなセッションを通しても誰かのお役に立てたなら幸いです。

長くなりましたが
最後まで読んで下さり
ありがとうございました(*´꒳`*)

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