スサノヲとカミムスヒ――フェミサイドの神話

 スサノヲのオオゲツ姫殺しは、偏執的な女殺し=フェミサイドの神話である。これは性教育の中で教えるべきものと思う。フェミサイドを過去の人類が乗り超えた文化、しかしいまでもそこに戻ろうとする力学が働いているものとして教えること。

『古事記』はカミムスヒをスサノヲの世話をした姥神と位置づける。天から追われたスサノヲは、出雲降臨の途中でオオゲツ姫のところに立ち寄り、姫によって歓待されたが、彼女が鼻・口・尻の穴から食事の材料を取り出して調理するのをみて、オオゲツ姫を殺してしまう。しかし、彼女は大地自体であって、それらの「穴」は大地の生産の力自体をあらわす。それ故に、その遺体から「頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆生りき」(『古事記』)という結果になったのは大地を傷つけることによって「富」を獲得するという含意であることになる。
 スサノヲが高天原で姉のアマテラスを「岩屋戸隠れ」に追い込んだのは一度殺したということであるから、二度目の女殺しは、その暴力性の証明であるが、『古事記』はそれを同時に太陽の復活と、五穀の獲得として語るのであって、ここにはスサノヲを英雄神として語る原初神話の心意が表現されているといってよい。溝口のいうように高天原神話の真の主役はオオゲツ姫虐殺をふくめてスサノヲなのである(溝口二〇〇九、一二二頁)。

 しかし、『古事記』が語りたかったのは、むしろ同時にその裏の主役がカミムスヒであるという神話でもあった。この物語の結論は「故(かれ)、是に、神産巣日御祖命、これを取らしめて、種と成しましき」なのであって、カミムスヒはこのオオゲツ姫の遺骸の世話をし、その遺体から種をとったという。地上における五穀の種がどのようにうまれたかという起源神話としては、その主人公はカミムスヒなのである。

 これは典型的な女への暴力的支配と依存の物語、女殺し(フェミサイド)の物語である。それを至上神カミムスヒが遺骸から「種」を作る神秘の物語として語る『古事記』は倒錯しているが、ここには「殯(もがり)」という死者の遺骸の腐を清め世話する役割を負っている王族・豪族の女たちの経験が反映しているというべきであろう。

 宝姫大王(斉明)も持統女帝も、夫の殯を世話しており、葬送の際の殯に死者の妻あるいは女性親族が遺骸の世話と清拭を担当するのは根強い神話の風習であった。

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