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スマブラと共に歩んだ、そして歩む人生

「自己紹介をゲームで語る」というテーマに沿って、エッセイ形式で今回は書かせていただきたい。

肩書きや記事のタイトルを見たらお察しの方もいらっしゃると思うが、紹介するゲームは当然スマブラ一択である。

『大乱闘スマッシュブラザーズ』

日本を代表するゲーム会社任天堂がこしらえた英知。『スーパーマリオシリーズ』『ゼルダの伝説』『星のカービィ』などあらゆる人気ゲームを取り揃えているこの会社、任天堂。そんな任天堂のあらゆるキャラクターが集まって一斉に戦う・・・これ以上に豪華かつワクワクさせるフォーマットをもったゲームがあるだろうか。ディレクターである桜井政博氏も、「スマブラは『ゲームを越えた何か』になりつつある」と述べており、ゲームとしてのスゴ味が伺える。

スマブラは1999年に初代が発売されて以降僕の身近なところにあり、これまでの5作品は全てプレイしてきた。今回は、僕が今までの人生でどのような形でスマブラに触れていったか振り返っていきたいと思う。

幼稚園~中学時代 ースマブラは持ってなかったけどもー

両親がゲーム嫌いの家庭で育った僕は、小4でゲームボーイアドバンスを祖母に買ってもらうまでゲームを持たせてもらえず、ゲームをするのにはいつも友達の家に行っていた。今思えばおっさんと呼ばれてもおかしくない年齢の現在でもゲームに夢中なのは、遊びに飢えていた子供時代に自分のゲーム機を持っていなかったことがが反動となっているのかもしれない。

幼稚園時代に友達と一緒によくやっていたのはニンテンドー64、通称ロクヨン。僕が最初に触れたゲーム機であり、四人対戦が可能なコンソールである。64の名作品は数多し。特にパーティゲームの面白さに関しては、現在でも他のハードの追随を許していないと思っている。コントローラーの形がちょっと歪なのもまた粋だね。

記念すべき最初のスマブラが発売されたのは1999年。64があってスマブラがない家庭はほぼないと言っていいだろう。友達の家にゲームのためにしょっちゅう通っていた僕は、やがてスマブラをプレイすることとなる。当時幼かったとはいえ、任天堂の人気キャラが戦う、というコンセプトにはワクワクさせられたものだ。最初に使ったキャラクターはカービィ。キャラクターの能力をコピーするという部分が子供心に刺さったのだろうか、その日はカービィしか使わなかったことを記憶している。あらゆる名作ソフトを生んだ64の中でも、スマブラは幼年期の僕の一番お気に入りだった作品で、みんなが他のゲームをやろうとしていてもダダをこねてまでスマブラをしたいとせがんだものである。

やがて僕は幼稚園を卒業し、小学校に入学。しばらくするとゲームキューブ専用ソフトのスマブラDXが発売。

コンソールが新しくなればクオリティも当然上がる。グラフィックの綺麗さ、BGMの音の圧、キャラクターの多さ、そしてDXを特徴づけるゲームスピードの圧倒的速さに衝撃を覚えた。

小学生時代には多くの名作ゲーム、コンソールが発売されたが、発売から数年経ってもみんなで遊ぶゲームといえばスマブラDXだった。立地的に友達が集まりやすい、という理由でみんなの遊び場になっていた僕の家では、毎週のように休みの日に友達がわざわざスマブラを持って来ては夕暮れ時までひたすら戦っていた。同じゲームでこれだけ遊べるのはいつやっても楽しい、何度やっても楽しい。そんなゲームシステムを搭載してこそだろう。

そして、六年間の小学校時代が終了。中学に入り、一年生終了間近でWii専用ソフトで発売された『スマブラX』。

ソニック、スネークといったニンテンドー以外の他社キャラ参戦、スマッシュボールを取ることで繰り出される「最後の切り札」、そして長編ストーリーモードともいえる「亜空の使者」。前作プレイ時に思ったこんなものあったらいいな、の実現から予想外の嬉しすぎるコンテンツまで、新作が発表される度に毎回新しいものを実装してくるからスマブラはすごい。

中学に入ればコミュニティも変わる。小学校時分に『スマブラDX』をプレイしていた仲間よりも、必然的に休日が重なる同じ部活の仲間と過ごすようになっていた。既に僕の自宅は皆の集合場所ではなくなっており、僕が友人の家に行くことの方が多くなっていた。家に行ってすることは当然スマブラ。中学生にとって毎年楽しみな夏休み。特に遠出をすることもなく、朝は部活→昼にスマブラ→ミスド→スマブラというルーティーンが確立されており、スマブラで埋め尽くされた夏休みを過ごした。

高校~大学。スマブラから離れた時期

中学校を卒業して高校生。第一志望校に落ちた僕が入学したのは、私学のいわゆる自称進学校。勉強に継ぐ勉強に継ぐ勉強である。友達の家で集まる機会はほとんどなくなってしまったため、スマブラからは離れてしまった。いや、仮に家にスマブラがあっても勉強に追われプレイすることは難しかっただろう。両親も徐々にゲームに寛容にはなり、自分のゲームを持たせてくれるようになったものの、テレビでプレイする据え置き機は買ってくれることはなかった。スマブラにはほとんど触れない三年間を過ごした。

そんな特に思い出もなく勉強しかしてないため、卒業式では微塵の涙も流さないまま高校を卒業。勉強量も相まって大学が希望のところに入れたことが救いか。

大学生として暮らすために、地元の愛媛から大阪へ。親元から離れることとなる。親がいないとどうする?そう、据え置きゲーム機の解放だ。新作よりやや古めのゲームが好きな僕は、ps4発売が発表されていたにも関わらずps2を購入。ps1とps2両方の対応ソフトがプレイできるのが素晴らしい。FFやドラクエ、ペルソナといった今までリアルタイムでプレイできなかった名作RPGを片っ端から攻めていった。

そんな大学生生活を過ごしている最中に、新しいスマブラ、『スマブラfor』が発売される。それも3DSとWiiU、二つのコンソールでの発売だ。当時バイトをしていなかった僕はあまりお金がなく、3DS版を購入。

感動だった。

これまでの人生で、所持していないゲームの中では最もプレイ時間が長かったスマブラ。そんなスマブラが、初めて自分の所有物となった瞬間だった。親の目を気にせず、友達の家にわざわざ出かけなくても存分にスマブラができる。しかも3DSという携帯機。家でなくともいつでもどこでも俺の人生スマブラ一色だ!!そう思うとワクワクが止まらなかった。

が、

『スマブラfor』は、買って数カ月でプレイを辞めてしまったのである。

対戦ゲームよりも壮大なストーリーのあるRPGにハマっていたことも考えられるが、大きな要因は一緒にプレイする友達があまりいなかったことかもしれない。そもそも友達は多い方ではなかったし、学生の遊びといえば飲みやボウリング、カラオケなどなど。ゲームに夢中な奴らは少なかった。友達とガヤガヤプレイするのが好きだった僕は、孤独にプレイし続けることに飽きてしまったのである。今思えば、当初からスマブラのオフ対戦コミュニティに携わっていればまた結果は違ったのかもしれない。

気づけはいつの間にか3DSはどこかへ行ってしまい、(多分今は実家の押入れかどっかにある)多くのRPGを学生時代にクリアした僕は、やがて現実逃避キラーの就職活動に直面することとなる。

無難な進路選択→ワーキングホリデーへ。

ダラダラと学生時代を過ごした僕は将来何がしたいかを真剣に考えないまま、紆余曲折あり上京して、とあるIT企業へ就職。給料はそこそこよかったものの、本当にやりたかったことではないことをやっていることが苦痛だった。もっと将来のこと考えときゃぁよかったなぁ、、と思いつつも時すでに遅し。モチベーションが上がらないため、仕事でのミスも多発。上司には怒られっぱなし。今日もまた怒られるのか・・・と、常にナイーブな状態でどよーんとしたまま仕事へ向かう日々。

そんな生活を過ごしていたある日の休日、渋谷を歩いていたときのことである。

冷凍都市東京のビッグシティの一角、渋谷。井の頭線付近のエスカレーターを降りたところでは、様々な企業や団体がティッシュやチラシを配っている。タダでもらって損なものはない精神の僕は極力それらをもらうようにしていたのだが、そんなもらったチラシのうちの一枚の、「ワーキングホリデー」という文字に目が留まった。

「ワーキングホリデー?なんじゃそりゃ」

ワーキング・ホリデー (英語: Working Holiday)とは、2国間の協定に基づいて、青年(18歳~25歳、26歳、29歳または30歳)が異なった文化(相手国)の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める査証及び出入国管理上の特別な制度である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

端的にまとめると、海外に長期滞在しながら就労も可能な制度である。惰性で働く日々の中で、たまたま目についた海外に滞在できる制度の情報。こういったふとした偶然には何か理由がある・・・僕はそう考えている人間だ。渡航の決断までには時間はかからなかった。就労ビザの獲得難易度が比較的イージーなことから渡航先はオーストラリアを選択。2018年11月にジェットなスターで豪州の地へ降り立つこととなる。今思えばただ働きたくない、という現実逃避だったのかもしれないが、やがて僕はオーストラリアで自分の情熱を傾けるべきものを知ることになる。

ケアンズでの忘れられない経験

僕が最初に降り立ったオーストラリアの都市は、ケアンズ。グレートバリアリーフやキュランダといった世界遺産を抱えていることに加え、日本からの飛行機の直通便も多いことから、日本でも観光地としてポピュラーな地域である。

11月に到着してしばらくすると12月。オーストラリアは北に行けば行くほど赤道により近いためこの国の北東に位置するケアンズの気候は熱帯寄り。そして南半球では北半球と季節が真逆のため、12月は真夏。サンタもサーフィンしてるほどである。元々暑い気候の地域の暑さのピーク期に、待ち望んでいたものがやってきた。

2018年12月7日。ニンテンドースイッチ専用ソフト、『スマブラSP』発売。

スマブラから離れていた時期があったといえど、自分の中で新作の発表があってから、必ずスイッチと一緒に買おうと心に決めていた。やはりスマブラは自分の中で特に思い入れの強い作品だったのである。

発売日には海外に持ってきた日本版スイッチで購入していたソフトをダウンロード。のめり込むようにプレイし、ストーリーモード「灯火の星」をまたたく間にクリア。存分にスマブラを楽しんでいたものの、数年前と同じ問題に直面する。

対戦する友達がいない・・・

一人用の作品であるRPGやシミュレーションゲームの類と異なり、対戦をすることを主軸に置かれたゲームを一人で続けるのはちょっと空しい。

だが人間は成長するものである。思考の幅は広がっていくものである。学生時代に至らなかった思考が僕の頭をよぎった。

友達がいなけりゃ、ネットで探せばいい。

ケアンズは小さい町とはいえど、スマブラは任天堂のビッグタイトル。国が違えどどこかに好きな人がいるはずだ。マーク何とかバーグとやらが作った顔の本でコミュニティを探してみると、

あった!

できて日は浅いコミュニティだったが、数日後近くのバーでスマブラのトーナメントをやるとのこと。ぼくはスマブラ大好き少年だよーい。ぼくが行かなきゃ誰が行くってんだい。

トーナメント迎えた当日。中途半端な英語で何とかコミュニケーションを取りエントリー。現地のオージーたちと対戦をこなしていく。結果はというと、、、勝てたのは1回戦のみ。結果だけみると散々だったが、結構強い人といい勝負までいったので、初めての大会の結果として自分ではそこそこ満足していた。

自分のトーナメントは終了。帰ろうと思い、その場を去ろうとする僕。

すると、そのトーナメントのオーガナイザーが声をかけてきた。

「君上手いね。今度俺の家でもスマブラするから来なよ!」

初めてオーストラリア人の友達ができた瞬間だった。

日本と豪州。文化の壁を越えて、当時英語のコミュニケーション力もあまりなかった僕とその友人をつなげたものは、スマブラだったのである。

現在の夢

ケアンズではその後数ヶ月ほど過ごし、僕は別の町へ旅立つこととなった。そこで出会った友人たちとは今でも連絡を取り合っているし、時折ネット回線を通してスマブラでオンライン対戦することもある。

「頑張って日本最強のクルール使いになってね」

と言われて友達から別れ際にもらったキングクルールのamiiboは今でも大切に所持している。

(ちなみに今のメインはスネークなので約束を破ってしまうことになってしまったのは申し訳ない(笑))

やがて僕はオーストラリア第三の都市ブリスベンで暮らすようになり、そこでの大会に参加するようになった。ケアンズより規模も大きく、プレイヤーのレベルも高い。

(実際ストリーム配信された試合がこちら。ヘタクソなのはご愛嬌)

スマブラを真剣に練習し、プレイする人たちとの出会いは、いわゆる「ガチ対戦」、eスポーツにおけるスマブラへの興味関心を大きくした。日本やアメリカなどで、スマブラだけで生計を立てている人がいることや、それを様々な形で支えている人がいるのも知ることができた。

そして、ブリスベンでも新しい出会いがあった。日本語を専攻しているオーストラリアの学生。日本からやってきた交換留学生。そして、世界最強のキングクルールなどなど。それぞれが違った形でスマブラに関わっており、スマブラコミュニティという唯一無二の団体を創り上げている。

オーストラリアでの経験を通して、僕は抽象的ではあるが、目標、夢を見つけることができた。

ゲームを愛しているプレイヤーたちを、何らかの形で支えたい。

ゲームを通して、人をつなげたい。

現に僕はスマブラを通して一生モノの友人と出会うことができた。また、この考えはブログを書くモチベーションにもつながっている。そして、嬉しいことに最近、日本語を勉強しているオーストラリアのトッププレイヤーに僕のブログの記事を気に入ってもらい、実際に話したことがないにも関わらずSNSを通して仲良くなることもできた。絆がブログを書くきっかけを生み、新たな絆を作ったのである。

(ちなみにこちらがその記事。スマブラで使用される用語を英語で何というかを解説しています。)

恥ずかしながら、20年以上の歴史がある作品にも関わらず、スマブラを「ガチ対戦」という形でプレイし始めたのは1年と少し前からであるが、スマブラは間違いなく僕の情熱を捧げれるもの。そして海外という場で絆を生んでくれたかけがえのないものである。

オーストラリアで暮らせる日数も半年を切ってしまった。人との出会いを大切にしつつ、グローバル言語である英語力の向上にも努めつつ、真剣にスマブラと関わっていきたい。ケアンズのトーナメントに参加した時のように、行動が僕の未来を変える。今はとにかく将来のために行動あるのみ。前へ!前へ!前へ!

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