義理歩兵自伝(6)

義理歩兵自伝(1)はこちら!

義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい ○○○の世界

幼馴染みの 観音様にゃ
俺の心は お見通し
背中で泣いてる 唐獅子牡丹
 
 
当時から(ということは今も)私は、この高倉健さんの唄う
「唐獅子牡丹」が大好きで、
頭の片隅に繰り返し流れることがしょっちゅうでした。
(※ちなみにもう一つヘビロテなのがロッキーのテーマ)

まさに、自分の心のテーマソング、人生のBGMでした。
でした、というか、です。(笑)
本当にこの場に不要だとわかっているのにどうしても我慢できないので書き添えますと、

この歌詞の中の「背中」の読み方は、せな、です。
これはもう・・・・どんだけかと。
どんだけ渋いのかと。
まずですね、私が思う男たるものはですね、
−中略− 

そして「彼氏の人生を変えてしまった」という罪悪感を背負ってクラブで働き出した当時の私は、この昔から聴き慣れていたはずの唐獅子牡丹の歌詞のうち、どうしても○○○の部分が思い出せませんでした。
 
あとになってその思い出せなかった理由が分かるまで、仕方なくその部分は流して口ずさんでいました。
 
 
 
まあこのような感じで、その責任感を「渡世の義理」などと言って「プチ健様気分」に酔うことで中和しつつ夜の世界で働きはじめた私でしたが、
 
(5)にまとめたように、お店のホステスさん達は見るからに極妻的で恐ろしく、しかも初日にひどい屈辱感をかっ食らってしまったために最悪のスタートを切りました。
 
 
お店には、私の面接を担当してくれた色白浮きパーマの他に、
 
・藤岡弘にかなり似た顔、きつね色の肌は仰天するほど脂っこく、かつ髪の毛までもが固焼きそばのようで、つまりは藤岡弘をそのまま素揚げにしたかのような姿だった、話に驚く程なんの面白みもなかった中年の専務

・動作のすべてが非常にゆっくりとしていて、ムチウチでもないのに首を左右に振らないで動くという不思議なクセがあったため、後ろや横を見るときはいつも時間をかけて体ごと向くという、なにか別の動物に似た動きをするギャグセンスはあるが他人のことには冷たい年老いた常務

・顔も体型も千原ジュニアにそっくりで、そこにきっちりとしたおかっぱ頭を組み合わせていて、滑舌が悪かったため「お客さん」を「おかくさん」としか言えなかった、当時60代だったと思われる悪い噂の絶えない社長

・白魚の幽霊を擬人化したかのような姿で、白く、小さく、細く、存在感の薄かったボーイ長

などの男性幹部が在籍しており、彼らがまったく一丸とならずにそれぞれ思い思いに働き、お店を仕切っていました。

 
 
長年ナンバー1を誇っていたお店の女王は、一瞬本気で「これはネタなのか?!もしや笑いを取りたいのではないか?!」と思ってしまうような、肘を曲げて片手を肩の高さにもってきて、その手のひらを外側に向け、さらにその手の親指の先と人差し指の先をそっと合わせた状態で腰をくねらせて歩く、というような、モンロー風?の身のこなしを極めた達人でした。

店の最も重要なお客さんの多くを顧客に持つ彼女は、口調や座る姿勢や冗談の質まで、その言動のすべてがモンロー風の色気と品を帯びていて、なのに容姿は超極妻風という激しいギャップを持っており、その独特の雰囲気が目に見えない結界となって、彼女の接客する席を強い磁場にしていました。あの結界内ではまずコンパスは使えなかったに違いありません。
歳は50頃の、全盛期の浅丘ルリ子を手段を問わずに派手にしたような華のある顔をした美人で、業界での勤務も長く、女王の地位は鉄板のようでした。
 
 
ナンバー2の椅子に座っていたのは、身長の高い、バービー人形のようなモデル体型と、今すぐそのままシャンプーのCMに出られそうな美しく輝く長い髪を持った、東南アジア系の血を連想させる日本人離れした男顔の美人で、歳は30ちょっとの女性でした。
言わずもがな、ですが・・・派手、とにかく派手でした・・・視界の端に金色の物が動いているときは、きちんと確認しなくてもそれが彼女だとわかりました。髪色や服色や装飾品の色などを合わせると、表面積のうちの30%以上が常に金色で、話し声も笑い声も存在感もゴールデンなホステスさんでした。
 

そして不動のナンバー3は、豊満な、・・・・かなり肉付きの良い、・・・・少々肥満気味な、・・・・まあぶっちゃけ太った女性で、自信たっぷり、貫禄たっぷり、乳房もたっぷりの、態度のデカさのツマミがデフォルトでMAXに設定されていて常にのけぞったような姿勢+上から目線をキープしている、プロのホステスさんでした。
キラキラと光る高級なスーツを着て、首・耳・手首・指にダイヤモンド(大)を身に付け、いつも乗り回しているBMWの鍵をポーンとボーイさんに預けて駐車させ、お礼に高い焼肉を奢るような、絵に描いたような羽振りのいい夜の女でした。

 
 
その他にも、

色っぽいムチムチした体型と昭和風な美人顔が自慢の、私がこっそり昨夜何を作って食べたかと聞くとなぜか毎度ほぼ100%の率で、ハンバーグもしくは肉団子もしくはそぼろあんかけなどの「ひき肉料理」と回答し、接客中は歯に衣着せぬイヤミで他ホステスを貶めて笑いを取ることを得意とする30代後半の売れっ子女性、

今もあの存在が不思議で不思議でならない、露出の激しいコスプレ衣装を買ってはお店の衣装として使ってしまう上に、キリスト教について「よくわからない」「信じてない」「怪しい」などと言ってしまうと非常に動揺して「あなたはただ知らないだけなの、まず知らなければ」などと信念を改めるように説得してくる、眉毛が生やしっぱなしで髪が腰まで長かったアニメ調の話し方をするホステス、
 
お酒が回ってくると、ヘアマニキュアで髪を完璧な色に染めたければ、一旦金髪にしてからやったほうがいい、わかったかと何度も周囲に確認し、しまいには怒って、最後には何もかも悲しくなっていつもいつも帰り際に泣いてしまう若く色っぽいホステス、

などなどの魅力的で個性的なメンバーが多数在籍していました。
 
 

はじめ私は彼女らと同じ席で接客をするのが恐ろしく、ビクビクしてばかりいて、問題が起こらないように、無難に勤務時間が終わるようにと気遣うだけで精一杯で、ヘトヘトに気疲れしました。 
 
夕方の6時に開店し、12時に閉店するまでの6時間が、長くて長くてたまりませんでした。
心の中で、1000回もため息をついては、早く終わって欲しいとそればかりを考えていました。
 
 
 
 
藤岡揚げ「新人さん、胸をしゃんと張って、堂々と接客してご覧。それだけで女性は美しく見えるものなんだから」
 
首固定老人「そうそう、下を向いていたってお金なんか落ちていやしないんだから(笑)ウハハうまいこと言ったな(笑)」
 
ひき肉昭和美人「この子に胸を張れって言ったって、張る胸がないんじゃしょうがないんじゃな~い?ホッホッホッホ(笑)」

常連客N「新人ちゃん!ひき肉姐さんに言ってやれよ、貧乳巨乳も金次第、同情するなら金をくれってさあ!(笑)」
 
ジュニアがっぱ滑舌悪「Nさん、実はうちのボトルには女の子が飲むと巨乳になる成分が入ってるから、新人さんのためにも入れてやってよ」

バービー金色率3割「じゃあお酒いっぱい飲まなくちゃ~♡」
 
常連客N「お前はもうシリコン巨乳だろ、飲まなくたっていいよ!」
 
全員「ぎゃっはっはっはっは」
 
 
 

と、とてもじゃないが、ついていける会話じゃない・・・
愛想笑いしているのが精一杯だ・・・・

しかし、このまま安い時間給をもらっているだけでは、当然お金などためられはしない。
稼ぎを得るには、このホステスたちの中で、自分を選んでくれるお客さんを作らなくてはならないのだ。
だが現実的には、それはあまりにも厳しく困難だ・・・・・・

そして稼ぎのことはもちろん、
「この場所で売れないということは、素敵な女性と楽しい時間を過ごしたいと考えているお客さんたちにとって、その対象外ということだ。女性として、男性から要らないと思われているということだ。こんなに情けなく、悔しく、悲しいことがあろうか?」
 
私の心にはそんな被害妄想がとぐろを巻いていて、それが自分を内側から傷つけました。
しかし、今更弱音を吐くわけにはいきません。
人の人生を壊しておいて、逃げるわけにはいかない・・・・

それがあんまり辛いので、次第に私は眠る前にあることをするようになりました。

これが今でいうところの「引き寄せの法則」なるものを、知らずにちょっと実践していたのだといえるのかもしれません。 
 
 
 
眠る前に私は、辛い気持ちを吹き飛ばすように、職場での理想の状態を想像するようになりました。その想像の中で私は、お店のナンバー1で、お客さんにもてはやされ、名実ともに女王の地位にありました。楽しくお仕事をして、身につけるものから出ているオーラまで、いろんな意味でキラキラ光っていました。
あんまりにもその想像が嬉しくて、涙を流しながら最高の気分で眠りにつくのが習慣化していました。現実はその真逆でしたが、そんなものは棚の上に置いておいて、楽しい想像に溺れました。
この現実逃避力の高さに自分でも驚きました。(笑)

 
 
するとどうでしょう、まもなく私はこのお店で怒涛の快進撃を見せ始めました。
前に進むこと、少しでも自分に勝つこと。
それしか考えられなくなり、自分の心を包んでいた恥ずかしいと思う気持ちも怖いと思う気持ちもハンマーで殴り壊しながら、悔しくて悔しくてお店を休むなんて考えられず、お酒に負けて血を吐いて救急車で運ばれてもそのまま出勤して、接客に夢中になりました。

新規のお客さん、古いお客さん、常連さん、どんなお客さんももはや関係ありませんでした。
彼らは次々に自分の指名客となり、私の売上成績はどんどん上がっていったのです。
 
 
しばらくして私は、すべての先輩ホステスを押さえ、数字の上でもはっきりとお店のナンバー1になりました。
泣いてトイレから出られなかった初日の出勤から、わずか3ヶ月後のことでした。
 
 
 
もうかれこれ10年以上もお店のトップだった、渡り歩くすべての店で女王の座についてきたことで有名だったルリ子似のモンローの達人は、名ホステスらしく、この時できっぱり、お店を辞めていきました。 
 
 
 
 
この時の私は、退屈どころか目まぐるしく忙しくて、一人のお客さんの席に5分とついていられませんでした。次々に訪れるお客さんの席に、ちょっとづつ顔を出して挨拶して回っているような状況でした。
もちろん、ほとんどの時間は私がお相手できないため他のホステスさんが接客することになるので、その数分のご挨拶のみで自分の指名をキープしてもらわなければならず、接客には高いクオリティを求められるようになっていました。
 
 
たった3ヶ月の間に桁違いに給料もあがって、着物や宝石やブランド品などのプレゼントに囲まれるようになりました。
あの初日に、お店から貸出してもらった地味なドレスですら着るのが恥ずかしかった私は、その頃には自分ではとても買うことのできないような金額の着物などを着て、毎日重要なお客様たちと同伴出勤をするようになっていました。
 
 
お店が終わってからも、お店にとって大切なお客様たちやお店のオーナー・幹部たちに付き合って飲み歩く毎日。帰るのはいつも朝でした。
 
 
彼氏はそこでボーイとして下働きをしながら、私を支えてくれていました。

私は周囲に彼との関係を隠したまま、その時も同じ窓割れアパートに住んでいました。
住まいを変えることなど、夢にも思いつきませんでした。

私が帰ってくるまで、彼は決してアパートの中に一人では入りませんでした。
私が残業している間一人で家の中で休むのはあまりに気が引けるといって、どんな天候の下でも深夜から朝まで、外で待っていてくれました。

私はもらった給料を、貧しかった時に始めた習慣通り、空の靴箱にためていました。
お金を入れるたびに、シシシ・・・(//∇//)とほくそ笑みました。

私たちはそれを狭い畳の部屋で一緒に数えては、二人で喜びました。
貯金が増えるたびに、エアロスミスを爆音で流して一緒に歌い踊り、バカみたいな夢を語って燃えて、質素な自炊料理をバカ食いして爆笑して、変わらずに過ごしました。
職場は派手なところでしたが、家に帰れば、歩兵×2の小隊の結束はそのままでした。
 
 
 
お店での私の売上上昇の勢いはとどまる事を知らず、1年近く経つ頃には、お店の殆どのお客さんが自分のお客さんだという異常な状況になってしまいました。
大きな企業同士の大事な接待から、その界隈を牛耳る暴力団のトップを代行している人物の席まで、様々な接客をこなしていました。

こうなると一部のホステスのやっかみで、まったく事実ではないことをたくさん吹聴され、規則を破って営業の妨害を受けました。そうして失ったお客さんもいました。
私はその詳細を知るたびに悔しさで焦げそうでした。
お店側はそんなことは無視・・・対応の術を知らないようでした。
私はそれらには目をつぶって、ひたすら接客に集中し、お店に売上を入れ、自分も稼ぎました。
いつか辞めるとわかっていても、私は手を抜きませんでした。 
 
 
限られた人数で、狭いところで数に限りのあるお客さんを奪い合う。
クラブでホステスを始めた時の、私の仕事への印象はそういったものでした。
 
働き始めてすぐにその印象はひっくり返り、
私は、お客さんはお店の外に無限にいるものだと感じるようになっていました。

売上が芳しくないホステスたちは、いつまでも奪い合いのイメージの中にいるようでした。彼女たちは、自然とお店を去りました。
 
 
こうして1年が経って、私と彼はお店を辞めることを考えました。
お金も少しは貯めることができて、目的は達成したのだ!
昼夜逆転で毎日何時間もお酒を飲む生活・・・・いつまでも居るべきところではない。
体もきついし、なにより早いところ未来の準備にとりかかろう!
 
 
 
その頃の私たちは、初めてお店に面接に来た頃とは違いました。
これをお店に告げるのは、危険なことだと分かっていました。

私一人がお店に入れている売上を考えれば、当然タダでは済まないと思いました。

私たち歩兵は、その危険を承知の上で、心の防弾チョッキを着て、
全幹部にその旨を伝えたのでした・・・・
 
 
つづく!!!

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