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651/1096 ダメ出しをする自由

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で651日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

651日目!600日目台も後半突入だ、ウェイウェ~イ!(年齢
700日目がとても楽しみ。なぜかそこで、ガクッと気分が変わる気が!
600日目台では起こらなかった、「ラストスパート感」が徐々に湧いてくる気がする!楽しみ、楽しみ・・・

最後の日はどんな気分なんだろう、、、と考えない日はない気がする。これを始めて、こんなソワソワを自分に与えられることが良かったと思う。

毎日その日のためにバトンを渡しているとも言えるし、その日その日の淡々とした歩みも自分にとっては学びになっている。書いていて楽しいときに、諦めないでいてくれた自分に「でかしたぞ!ありがたや!」と思うことができる。三日坊主だっただけあって、こんな感じは人生初だ。。

今日もそんな自分の気持のために、それから今日の自分のためにも書こう!
地道に真面目に、という、自分を修飾するにはいまだにフレッシュな形容詞が、今日もまだまだ眩しいぞ~!

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みなさんには、ご自分のことを、ダメだなあ!と思うことはありますか。
わたしにはたくさんあります。

文を書いても、絵を描いても、いつも今もそう思います。
好きなことほど、ダメ出し多しです。

先日チラッと、それもまた自己否定なのではないかといった意見を目にする機会がありました。ひとつの優しい観点ですよね。みなさんは、どう思いますか。

わたし自身は、ダメ出しがある意味でとても楽しく、たとえば絵を描いていて、あかんあかん!!この陰は表したいのと違うぞ!みたいなことを思います。仕上がった絵にも、くっそーもうちょっとこうやれたかな、などと思います。そうなると、「なにくそ」と思ってあれこれと試行錯誤します。

そんなときに、力がみなぎってきます。試行錯誤していると、ポロッとできるようになったり、脈絡なく新しいアイデアが湧いてきたりします。じわじわと慣れてうまくなることもあります。そういうときに、子どもにかえったみたいな感覚で、やったあー!!と思います。

だから、ダメ出し自体にちっとも悩んでいないんですね。

わたしは、人が自分にダメ出しをすることは、なんら問題ではないと思います。むしろ、ダメ出しをいくらでもして良いと思うんです。わたしたちには、ダメ出しをしたり、失敗したり、苦悩したり悲しんだり孤立したりする自由があります。

ダメ出しをしてしまうのを、「良くないこと」「完全になくせること」として扱うほうが、不自然でとてもつらいことのように思います。ダメ出しするたびに、「ああまたやってしまった」と思うほうが、わたしは大変です。

だから、あくまでも、自分にはもちろんダメ出しの自由もあるんだ、そこから一生懸命になったっていいんだ、と思っていられる方が、気楽です。わざわざそうして毎度のように意識などしていませんが(笑)、「ああ、また自己否定してしまった、、」などと思っていないのです。そう思うとしたら、それはそもそもその前に、自分を否定しているからなんですね。

ダメ出しは、単なるダメ出しです。それが起きてもなんともないか、それが起こると傷つくのかは、その人がそもそも「自分をどう見ているか」、に依ってきます。

だから、ダメ出しがなくなれば自己否定もなくなる、のではありません。
自己否定があると、ダメ出しで傷ついてしまうのです。
順序が逆なんですね。
 

やめたほうが楽になるダメ出しというのは、そのダメ出しでセルフイメージが悪くなるとき、自己評価が下がるとき、そこから楽しみが生まれないときです。

そんなダメ出しは、どこかでもらってきた、自分の本質とは関係のないものが元になっているので、パンチを食らわしたりましょう。

そのどこかでもらってきた楽しくないダメ出し、アンパンチを食らわせてやっつけたときにとても爽快なので、その快感はあなたの素敵な人生の1シーンに加えてあげても良いものかも知れません。

たとえば、掃除ができないなんてダメだ!と思ったときに、よっしゃーどうすれば綺麗にできるかな!!と思えてやる気が漲ってくるのならどんどんダメ出ししましょう!こるぁ~!ここも汚い!あそこも汚いぞ!と、鬼教官になって大丈夫です。はい!教官!わたしはドジでのろまな亀です!だからドンドンしごいてください!ってなもんです。(スチュワーデス物語参照。いや古いけども)

でも、掃除ができないなんてダメだ!と思ったときに、がっくりと嫌な気持ちになるのであれば、それは相手にしなくていいのです。

掃除とわたしの価値とは関係がないぞ!と考えて、潔くアンパンチです。

掃除と自分の価値とを関連付ける観念と本当にバイバイできると、どうなるのでしょうか。そうです!義務感とはまったく関係なく、汚れた部屋とまたまっさらに出会い直すことができるんですね(*^^*)

そこで感じるものを尊重して、「あ?義務感からじゃなくて、汚いの嫌だったわ!掃除したいわ!」と思うか「ああ、なんでも手が届いて居心地がいい!」と思うか。いろいろですね。そこで改めて、したいようにすればいいのです。

というわけで今日は、ダメ出しがあるのが良くないのではなく、ダメ出しの自由のあるわたしたちが、自分のダメ出しとどんなお付き合いをしてゆくのかが大事ですね。という感覚のシェアでございました。
気楽にいけるといいですね!

それではまた、明日ね。

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