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670/1096【シンプル】悩みは笑えば抜けてしまう

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で670日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

670日目、暑い。乾燥しているけれど、暑い・・・・・
日本の夏とは違って、カラッとしているからその分過ごしやすいのだけれど、なにしろ気温が高い。

それでも夏は気持ちがいい。布団を管理しなくてよくて、ゴロンと寝転がってそのまま眠れる。窓を開け放っておけて、開放感が素晴らしい!!

夏の間だけの、お楽しみだ。
この毎日投稿も、これを書いているあいだだけのお楽しみがある。

チャレンジしていることに闘志が湧いたり、ここまで来た喜びがあったり、続けることで深まる洞察があったり。これを掛け替えがないと思う。

今日もそれを一日分堪能しようと思う!
今だけの、今日だけのお楽しみだと気がついたままで書こうと思う!

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わたしは今の活動を通してご相談を受けることが多いのだけれど、今日はそれによって気がついたことのひとつを書いてみようと思う。 

それは、多くの人が自由にモノを思うことを、とても怖がっているということ。たとえば失恋のことを思えば失恋を招く気がする、貧困のことを考えれば貧困を招く気がする、というように。

だから、そのことを思わないようにしている、という人に出会うことがある。けれども彼らの悩みは、恋人が居ないことや貧困そのものに対する苦しみだったりするのだ。

そこには盲点があって、失恋や貧困に「苦しんで」いるかぎりは、その苦しみが現実になってしまうということ。すでにその苦しみがあるのであれば、考えないようにして避けていても、それが功を奏していないということだ・・・つまり、ずっとそれを考えているのと同じなのだ。。

とてもロジカルでイラッとするくらいかもしれないけれども、ではもしその苦しみを中和することができればよいのだとしたら、どうだろう!

「恋人が居ないのは悲しいし、貧困は辛いのが当然だ。病気だって事故だって死だってそうだ。だから、そう思わなくなるだなんて、不自然だし不可能だ・・!」と思うかもしれないけれど、ほんとうにそうだろうか。

むしろ、それを苦しんでいることによってその物理現実を創り出してしまうのだとしたら、そっちのほうが怖くはないだろうか。・・という考えを入り口にして、こんなふうに考えてみてはどうだろう?

たとえば貧困についてであれば、自分が貧困に苦しんでいるのは、今の収入による暮らしを、自分が「苦しんで」いるからだ、と。

恋人についてであれば、自分が恋人がいないことに苦しんでいるのは、今の恋人のいない暮らしを、自分が「苦しんで」いるからだ、と。

だからもし自分が今の状況に楽しみを見い出せば、それ自体が現実になることはなくなるのだ、と。

貧乏を笑うでもいい、貧困を楽しむでもいい、貧しくとも生きられてはいるじゃないかと思って感謝するでもいい、そして、その収入の生活ながらも希望に向かうことでいい気分になるでもいい(これについては、実は希望に向かって努力したから貧困を抜けたのではなくて、貧しいながらもそこに希望によって楽しみを見出してしまったから抜けているのです)、とにかくその収入ならではの生活上において、楽しみや喜びやイイ気分を見出すこと。

そのときに、それを苦しいと思う自分を抹消しなくていい。
そこにあっていいのだ。消そうとしても消えないし、抵抗によって強まるだけだから。だから、喜びのほうを味わっているうちに、それとその苦しみを両立できなくしてしまうこと。

わたしが貧しかったころ、いちばん好きだったのは家具作りや模様替えや貧乏キャンプやありあわせの料理だった。創作料理と呼んでいたけれど、大根の皮や人参の皮を使った料理だった。わたしはそれに夢中になって、美味しくして驚かしてやれ・・!!というやる気でいつもほくそ笑んでいた。貧困創作料理の時間こそが普通の料理以上にチャレンジングでオモロかった。かくして見つけた最も美味しい野菜の皮料理は、かき揚げにしてご飯に乗せることだった。

それに、貧乏キャンプは慎ましくてとてもハートフルだ・・・!!ちびっとコーヒーを飲む。最高の香りだった。なんでも現地調達するのもサバイバル気分で最高だった。ああいったことはなぜ、こんなにも胸をくすぐる良い思い出なのだろう。

家具が買えないので作るのも面白かった。模様替えは最たる喜びのひとつで、持っているものを使って最大に喜ぶための一番いい方法だった。

そうして楽しむうちにわたしは貧困を脱した。喜びに呼応するように、現実は変化した。(あんなに面白かったのに!)

とても大切なポイントは、バカっぽくて幼稚ないたずら心、これである!!遊び心は、賢い思索よりもはるかに効き目が強い。

恋人だってそう、居ないなら居ないからこその生活を、むしろ恋人なんて要らないと思うくらいに楽しむこと。誰にもヤキモチを焼かれずに済むことを活用して好きにするとか、趣味に思い切り取り組むとか、なんでもいい。今の暮らしのまま、いたずら心を使って遊んでみること、だ・・・!!!

死について思うのすら怖いとき、怖れる自分が居てもいいから、あの世に行ったあとのことを楽しみにするとか、死の概念自体を使って面白いことを考えるとかするのである。不謹慎でいいから、逆に思い切り不真面目に残酷に図々しくおもしろ可笑しく。禁じている考えを開放して、楽しむ。考えたら現実になる気がして怖い、、、という人は、その怖れをもっているくらいならば、笑ってしまうほうがいい・・・

今のその悩み、どうやって笑いますか。
どうやって面白がりますか。
それをするにはえらくバカにならなくてはならないかもしれないし、とても幼稚に、とても図々しく、とても残酷に、真剣味を捨てて調子に乗ったり、人でなしになったりする必要があるのかもしれない。

でも、その悩みはあなたがそのあなたを禁じ、自由でいることを忘れているから現れた悩みなのだということを覚えておいてみて!!重く考えずに、そんなにもシリアスになっているその悩みについて、それを通して遊んでしまうことに、チャレンジしてみてください。

きっと「そんなバカな!!楽しんだら抜けるって!!そんな真っ直ぐって!!許されるかい!!」という想定外の変化に出会うことができますよ。

(こう言ったらきっと誰かに怒られちゃうかもしれませんが、)わたしたちが真面目に真面目になっている人生って、いつもこうして冗談みたいに面白おかしいものなのですね!少なくともそのことに、喜んでみてくださいね。

というわけで今日は、悩んでいるならそれで笑おう!というお誘いのシェアでございました。どなたかに楽しんでもらえますようにー!!

それではまた、明日ね!

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