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512/1096 好きじゃなくても愛してる

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で512日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

512日目、今日は最近のちょっとした気温の上昇に伴ってふつふつと上がってきたやる気に付き合って、夜の執筆。さっき数時間前に記事を上げたばかりなのに、仕事の打ち合わせのあとすぐに書いているという、このやる気!!

わたしは毎日やる気があって、毎日投稿もサクサクと続けられているわけではなく、時間がないときなどは、今日はとうとう無理かもしれない!!と思うことがしょっちゅうある。毎日書こうと決めた自分を呪っている日もある。(・・・と、ここから下は昨夜書いたものがあまりに長いので削除し、次の日に書き直している)

でも、そんなふうにやる気が下がったりする日も、それでバッチシ絶好調だ!その日は、やる気が下がった状態になることがベストなのだと思う。

今日のわたしは左肩が緊張して張っているからゆったりしようと思うのだけれど、それで絶好調なのだ。ただ、必要なことがこれだった、という思いを感じると、安心感が広がる。こんな日は、毎日投稿を気楽に書こう!

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今日は朝から午後2時近くまであれこれと他にやることがあったため、ものすごく時間がない。タイムリミットまで、あと90分ほどだ。

今日は、このツイートについて補足を書いてみよう!

みなさんはご自分のことを「好き」だと感じるだろうか。

好きなところも嫌いなところもある、という方が多いのではないかな。

わたしは子供のころから、自分のことがあまり好きではなかった。わたしのこんなところが好きーッ!と思ったことはなく、いつも「ああ嫌だな、自分はどうしてこうなんだろう」と思ってばかりいた。

ああ嫌だな、自分はどうしてくせ毛なんだろう。
ああ嫌だな、自分はどうして気が弱いんだろう。
ああ嫌だな、自分はどうしてダサいんだろう。
・・・・・(無限地獄

その感覚がほとんど変わらないまま大人になって今に至っているので、今もあまり自分のことを「好きっ」と感じたりすることがない。

相変わらず髪質が嫌い。肌質も嫌い。顔も嫌い。いろいろありすぎていろいろ嫌い。・・な感覚のまま。

でも、わたしは自分を愛していると思う。

どうしてかって、そんなに嫌いなのに、こうしてこの人を自分と見なして、一心同体で生きているからだ。病めるときも、貧しいときも。
いつも幸せを願って、生涯離れない。これを愛と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。この愛は、自分を好きか嫌いかとは関係がないところにあるものだと思う。

わたしは自分のくせ毛が嫌なのに、その髪を整えてあげる。
肌質も嫌いなのに、少しでもきれいに見えるように化粧品を買ってあげる。
体型も嫌いなのに、できるだけ素敵に見える服を選んであげている。
気が弱いのが嫌いなのに、人から傷つけられると悲しい。

あれこれ嫌いなのに、生きてほしくて食べ物をあげる。
あれこれ嫌いなのに、いいことがあると心から嬉しい。
あれこれ嫌いなのに、少しでもいい思いをさせたくて本を買う。
あれこれ嫌いなのに、幸せを願っている。
あれこれ嫌いなのに、寒さから守ってあげる。

嫌いなのに、健康になってほしいといつも思ってあげている。
嫌いなくせに、死なせたくない。
嫌いなくせに、ずっとずっと一緒だ。

嫌われているのに、それを知ってても一緒だ。
嫌われているのに、決してこちらを嫌わない。

自分に冷たいのに、いつも命令どおりに動いてくれる。
自分をないがしろにするのに、いつも心臓を動かして。
自分を大切にしてくれないのに、一生懸命、生命活動をして。

嫌われても、これまで生きてきてくれている。
嫌われても、自分からの愛を、なによりも喜んでくれる。

太字の部分だけを改めて読んでみて欲しい・・・(なにこの理想の彼氏(笑)
わたしは自分のそれらを、無償の愛だと思う。自分のいろいろが嫌いなのに、嫌いだからこそ気がつくことのできたこと。

だから、好きになろうとして頑張らなくていいのだと思う。
好き嫌いも、好きにさせてあげればいいと思う。

そんなことよりも、そうして生きてくれている自分自身を、もっと大切に、なによりも重要なこととして扱ってあげたい。他の人には他の人に、この無償の愛を持った人(理想の彼氏、笑)がいるのだもの、そこにお任せすればいい。それは、他者の力を信じるということだと思う。

わたしは自分のほとんどのことに「好き」という感じはないけれど、手の指が長いのと、カンのいいところを「便利だな」と思っている。

愛しているのには理由すらなくて、多分自分を自分だと認識していて、生命体として生きている以上、自動的に自分を軸として愛を持っているのでございましょうね!

健気な生命体だな、オラたち。。!涙

というわけで今日は、好きじゃなくても愛してる、という感覚についてのシェアでございました。それではまた、明日ね~!

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