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地球で今日も生きた人へ

自分がしていることが、他の誰がしているどんなことよりも、どうしようもないことのように思える。取るに足りない、つまらない、意味のない、さほどどこにも影響のない、くだらない毎日。

みんな生き生きと意義をもって楽しく活動しているのに、自分のしていることはなんだか、しかたなくやっていることの集まりのような気がしてくる。なにかにやる気を出したって、それも過去の傷とか、くだらないプライドとか意地とか、そんなことが原動力になっているような気がする。自分のことがいつもどこか残念だ。いつもいつも、こんな気分だ。

どうして他の人にはやる気があるのだろうと思う。どうして他の人にはコンスタントに気力が湧いてくるのだろう。どうして毎日同じように起きて規則正しく暮らせるのだろう。

仕事だってなんとなくこの道に進んだけれど、どうしてもこれ!という本気100%の選び方をしたわけじゃない。人間関係だってそうだ。それなりに嫌なところがある人がいても、まあ揉めるのも嫌だから大抵のことは無難に受け入れて付き合っている。仕方ないし、自分はそんなふうにしかやり過ごせないやつだから。本心から話せることなんてそんなにないのだ。

自分はなぜ、くだらないことを気に病むのだろうと思う。自分にとっては重要なことだけれど、心のどこかでくだらないことだとわかっている。わかっているのにやめられない。どうしてこうなんだろう。

過去のことは過ぎ去ったことだとわかっていても、許せない。

未来のことは考えても仕方がないとわかっていても、心配する。

人の気持ちはわからない。自分の気持ちも伝わらない。

なのに伝わってほしいと願わずにいられない。

自分はダメな出来損ないだと思う。
それは間違いがないと思う。
みんなは生きるのをそんなにも楽しめるのだろうかと思う。
自分はこんなにいつも寂しくて、這い上がろうとしていて、なにかしらの自責の念に苛まれているのに…

こんな感覚に心当たりがあるのなら、わたしはその人はまさしく立派に地球人をやっているのだと思う。宇宙とともにあって固有の役割を生きる、健気でいじらしく、素晴らしき存在だと思う。なんだか冴えない気分で、でも生き抜いている。いたわっていい、憐れみを向けていい、本当に奇跡の、愛しき、かわいい、涙ぐましき存在だと思う。

だから地球人が大好きだ。
涙が出るくらい好きだよ。

今日も、いろんなことがそこそこでいい。
あんまり元気のない日もいい。

そんな日は、そんな日を過ごすのが使命だから、ただ天然にそのままで、元気のない日をOKにしてあげるだけでいい。あるがままでいいのよね。

それはなんと気楽なことかしら。大変な日あり、やる気のない日あり、元気のない日あり、無駄にする日あり、しょんぼりする日あり、悩める日ばかりで、そんな自分をやりこなして、そのままでOKにしていいのだもの。

今日も生き延びた肉体つきの霊のみなさん、お疲れさまでした。
神さまはきっとこう言ってるんだよ。
あなたがどう思おうとも、あなたはそのままで、最高だよ。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)