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1092/1096【”現実”を騙せ】「なりたい自分ごっこ」のススメ

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1092日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。点線以下が本日の話題です

1092日目。いやいや~迫ってまいりましたねぇ~あと4日ですって。まあ~なんてことでしょ。これまで毎日書いてきた経験からか、わたしがこのあとの4日がどれだけ早く、あっさりと、こちらの気持ちなどどこ吹く風とばかりにスルッと、あ、壇珠さんそこにいたんですねみたいなつれなさで、よそよそしく眩しいほどに爽やかに過ぎ去っていくのかを、知っている。

あの感じをなんと言ったらいいのだろう。

こちらは別れたくなくて、相手にバレないようにはしているけれども実は二人の思い出が走馬灯のように頭に流れているせいでちょっと腕とか震えながら一筋の希望をつかもうとして「チョット一旦落ち着いて、二人のベストを考えようよ」と交渉しているというのに、けんもほろろに「俺ら別れてさ、一回友だちになろうよw」とあっけなく言われているときの、そういうときの、あの、あれだよね。なんだろう、こっちは出産中で「あなた今は分娩室の隣の部屋にいますからね~」と言う助産師さんに「なに余裕ぶっこいたこと言ってんだアンタ、俺がいるのは分娩室の隣じゃねえ死の隣りだろォがああ!!」と思いながらスタスタと去る彼女のまったく危機感のない足音を聴いたときとかのあの取り残された感じのあれみたいなさ。こちらはたった今チャリンコで事故って道路にぶち転がって目とか頭とかから星が出ていて、突然捕獲されていきなり水洗トイレに流されている最中の小虫くらいのパニックだったんだけど、そこからかろうじて目を開けたら目の前をスマホを見ながらめちゃくちゃニヤニヤして歩いている人を見た時とかの、「えっなに俺とお前の時間の流れどんだけ違うの」という、同じ世界にいるのにまったく違う宇宙にいるものの存在に遭遇した時の、あれですよ。すべてのものと一緒にあるはずだと思っていたのに、実は自分はこんなに孤独だったのか!!!と悟る時の、あのうっそみたいな一人ぼっち感ね。

ゴールまでの間、その気分に襲われるのが間違いないと確信している、残4日の今日であります。

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残りが4日、今日を含めると5記事でこの毎日投稿が終わるということもあり、質問箱にいただくできるだけ多くのご質問へふんわりとカバーできるようなことを書こうと思い、今日はわたしの「ハッタリ愛」について書いてみることにしました。(未回答のご質問がいまだ90件ほどあります)

みなさん、ハッタリをかましていますか。ハッタリをかますのにはいいことがいっぱいなのです。こんなに使えることがあるだろうかと言えるほど、人生の舵を切り直すのにも、自分を鼓舞するのにも、使える技です。

たとえば引き寄せの法則を使って望みを叶えるのにも、よく聴きませんか。「叶う前から感謝をする」「叶う前から叶ったように振る舞う」などと。

これをね、お前アホなの?ちょっと飛んじゃってんの?いや鵜呑みはバカだよ大丈夫?というくらい、まっすぐに言葉通りにそのまんまにやってみたことがありますか。

わたしは2016年に初めて記事と呼べるブログ記事を書き始めました。
そして2~3ヶ月書いて、そこから1年間まったく書かず、再開して真剣にブログを書き出したのが2017年の5月でした。だから、本格的に発信を始めて今年でまだたったの4年目なのです。

今このnoteで約2万5千人の読者さんに恵まれて、アクセスもたくさんいただくようになり、イベントやワークショップなどで収入を得るようにもなりました。その間のことを、どうやったのですか、初めからできたんですね、壇珠さんは特別なんですね、と言っていただくことがたくさんあります。

でも本当にわたしには、初めからできたことなどなにもなく、特別なところもなにもなく、まあ強気に言えば自分はごく普通の人、正直に言えば普通以下の心配になるレベルの人なのですよね。フフフまいっちんぐ❤

でもこれまでにも何度か書いたことがあるのですが、発信について自分がやってきたことというのは、1にハッタリ、2にハッタリ、3、4ができる人の真似と他者の応援、5に継続。これだけです。これだけよ!!マジなのよ!!なにも技術のいらないこと。

どうハッタリをかましてきたのかって、それはね、フッ…あれですよ。できないのに、できるフリです。まだいないのに、もう読者がいるフリです。あがり症なのに度胸のあるフリです。おしっこ(やめろ)ちびりそうなのに、どんとこいのフリです。

ああどうしよう!誰も読んでいないのにこんな「沢山の人に読まれている体|《てい》」で書いた文章ってもう恥ずかしすぎるだろって…「今日はブログの感想にこんなメッセージをいただきました」とか書いてるけどその一件だけだろって!この文章をこのままアップしたら、一日中羞恥心と恐怖の中だぞどうすんだよ!でもアップしなかったら一日中「お前ビビってアップしなかったよな」という自己嫌悪に襲われるんだよ!もう地獄!発信=地獄!!それに実は声が震えて話せないかも知れないのに「YouTube動画あげるのでよかったら見てね~」とか言っちまって!「見てね~」じゃねえだろ「見てね~」じゃ!そんな余裕どこにもないのにこのニュアンス自体が大嘘なんだよ!死にたいよ!「みなさんこんにちは~」とかゆったりと言ってるけど心臓飛び出そうだかんね???先生~ここにビビってるくせに余裕こいたフリしてる嘘つきがいまーす!!ってずっと思いながら撮ってんだよォ!それに「よかったら見てね」じゃえねえだろ!誰からも視聴されなかったらどうしようって思ってるのに「よかったら」ってなんだよ!もう泣きたいよっつーか泣いてるよ!!ほら本当に泣いてるだろう見てくれよ!!真剣な話、今この時、俺ほど震えてる生物ってこの惑星上にいないと思うよ??絶対生まれたての子鹿とタメ戦だよね??わかる??わかるううううう??

という気分で、すべてのことをやってきました。

で、このハッタリがなかったら、わたしは当時のアメブロの記事をひとつもあげていません。自分に度胸がつくのを待っていたら、自分ができる人になるのを待っていたら、自分が落ち着いて取り組めるのを待っていたら、あらゆることが不可能でした。

もちろん、ほとんど決死の覚悟でハッタリをかますとなるとデメリットがないわけではないし、他のやり方のほうが合うタイプの人もいると思います。

でもわたしは、ハッタリをかましてなにかをやってみると「少なくとも自分に従ったな」「やっぱりやれて嬉しいな」「逃げなくてよかったな」と思えるであろうことが自分の奥でわかっていたから、やるのが良かったのだと思います。そしてきっときっとこれを読む人の中にも、わたしと同じように胸の奥でそれが嫌というほどわかっているのに一歩が踏み出せずにいる人がいるだろうと思って、この記事を書いています。(ちなみに怖かったことたちは今となると、微笑ましいです…10cmの段差を崖だと思っていた…)

自分でこれまでこのハッタリの実験をしてきて、わたしは今日ここに言い切ります。

ハッタリは神に許された、宇宙が太陽がオリンポスの神々が応援してくれる素晴らしい方法なのです。(ドヤァ

読んでいる人がいないかも知れないのに、「みなさん読んでくれてありがとう!!」と初めから書いてしまう。たった一件しか感想がないころから、「読者さんが感想をくださって嬉しいです!!」と、いかにもたくさんの人に感謝しているかのように書いてしまう。これがわたしを、”それが本当になってしまった世界”につれてきれくれたのでした。

もしもあなたが伝えたいことが、あなたにとって真心のこもったものなのだとしたら。みんなに見てもらいたいと思える、素敵なものなのだとしたら。きっと人に喜んでもらえると思う、愛いっぱいのものなのだとしたら。
自信がないからといって、それを見せる役のあなたが小さく縮こまっているのが、そんなに善き行動でしょうか。


見せたいものがあるなら、ハッタリで堂々として見せていい。最初から喜んでもらえているかのように行動していい。あなたのまだ小さな勇気に合わせて、あなた自身やあなたの発信したい内容までをも小さく見せる必要なんて無いのです。ビクビク、オドオドしていなくていいのです。

わたしたちはちょうど、自分の発信するものの親みたいな存在なのですね。
その親が自分の子どもがなにかで人前に出るというときに「お前は大したことがないんだから、ロクな価値がないし、よその子に比べるとダメだからな、俺は肩身が狭いよ」と言って背中を丸めていたら、子どもはどう思いますか。めちゃくちゃ傷ついてしまいます。周りの人も、親がああなるってことは、それ相当の理由があるのだろうと思ってしまいますよね。

でももしも「お前は誰がなんと言おうと俺の誇りだ。お前は素晴らしいんだよ。だから堂々としていいんだぞ!」と言ってくれたら。まだ誰も褒めてくれてなどいないのに、いかにも嬉しそうに誇らしそうに自分を紹介して、胸を張って喜んでいてくれたら。それだけで子どもは幸せいっぱいです。そして周りの人も、素敵な関係だな、きっと素晴らしい子なのだろうな。と思ってくれます。

だからね、親は、実はドキドキしていても、そこはハッタリでぐいっと引っ張る。いっちょハチマキを巻いて、自分や自分の発信に対する愛を示すぜ!ってやってみるのですね。

するとこれが本当に面白いもので、自分がちょっとした覚悟を持って「大丈夫だ父ちゃんに任せとけ!(ハッタリ)」と愛をもって動くと、なんでか自分が愛されて嬉しいという経験をします。まーそっくりに跳ね返ってくるのです。先にハッタリで感謝すると感謝するようなことが起こるし、先にハッタリで晴れ晴れとした気になって動いていると晴れ晴れとしたことが起こるのです。そしたらあなたも、もう本当に感謝しちゃいますよね。本当に晴れ晴れとしちゃいますよね!そうなんです、現実になっちゃうというわけです。もうこれを、いいから単なる遊びだと思って実験してみて。

誰も読んでいないかもしれないのに、読んでくれてありがとう!って勝手に言っておくのです。欲しい状態に、先に手を出しちゃうのです。仮にそういうことだとして動くのです。ごっこです、ごっこ…!

じゃあ健太くんはお父さん役ね。それで美子ちゃんがお母さん役ね。といっておままごとを始めたら、健太くんは「父さんだぞ、帰ったぞ~」などと言い、美子ちゃんは「ああお父さんおかえりなさ~い」などと返しますよね。健太くんはお父さんじゃないし、美子ちゃんもお母さんじゃないのに、でも「ごっこ」ってそうやりますよね。

あのレベルでの、え?まんまそれ?みたいなハッタリでいいということです。演技ね演技。嘘をつくというより、そういう体|《てい》で動くということです。劇の役をやっているかのように、そういう人(仮)ってことで動く。これって、ちょっとバカみたいでしょ。先に在りたいように在るって、まっすぐやると素直すぎて頭悪そうですらありますよね。だから多くの人がやらないのです。

そしてこれ、軽やかさと遊び心がないとやれないと思いませんか。

モテたい人も。デキるやつになりたい人も。幸せになりたい人も。先に在りたいように在る。在りたい人ごっこをする。先にそういう人ぶって暮らしてしまう。そういうことを、深刻にならずに、遊び心をもってやってみてください。「ごっこでいいから、ごっこで」という気持ちでいいのです。するとそれが、”真”になっていく。簡単に言うと、やっているとそっちが本当になってきちゃうのです。堂々としたふりをしていると、堂々とした人になっちゃうのです。すると現実もそれに合ったようになる。

言い方を変えると、自分って”騙すことができる”のです。ちょっと言い換えると、潜在意識って行動で変わる。もっと言うと、現実って”こちらが見せている姿に合わせて変わってくれる”ということ。現実って騙せるんですよ。これって、超絶便利だと思いませんか。

中身が変わるのを待っていてはダメ。いいのいいの、そのままで動いていいのです。そこはもう、ハッタリでいいのよ。勇気?なくていいです。実力?なくていいです。度胸?いらないです。先にごっこ遊びをやってみて。

実験のつもりでごっこをすると、今まで自分がどれだけ、ブスッとしていたのか、オドオドしていたのか、幸薄そうにしていたのか、欲しい感じの真逆の在り方をしていたのかが、痛いほどよくわかります。でも、それでいい。気にしないで、あくまでもおままごとみたいに遊んでみてください。ファビュラスになりたい女性は、ホホホ…アタシは叶恭子よ。という気持ちで叶姉妹ごっこをしてみる。

あなたはどんなあなたになりたいですか。悩みを見つめて悩むくらいなら、「なりたい自分ごっこ」で遊んでみましょう。言動も行動も変えてみて。

というわけで今日は、質問ではなくてお悩み相談所になっている質問箱を見ていてパッションの湧いた「ハッタリ愛」についてのシェアでございました。

夢を叶えて現実を変える?いいえ、現実とは夢に向かって騙してしまうものなのです❤

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)