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654/1096 悪女がモテるのはなぜ?

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で654日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

654日目。最近得た「絵を描く」という楽しみ。これが、描いているときだけが楽しいのではないと感じられる。今朝はそのことに思いを寄せて、自分のことを改めて真新しく、「いったいどれだけ、認知できていない幸福で充満しているのか、わかったものではないぞ!」と思った。

なにを描こうかと思い煩ったり、今日は仕事後に、明日は時間が許せば、きっと絵を描こうと考えたり、画材を見たり、画材屋さんに行ったりそこで買い物をしたり、また、そのことを思ったり、するだけで楽しい。

ずっとその事に気がついていたわけではない。気づけば、そう言われてみれば、絵について意識が向いたときにはいつだって楽しんでいた。

人って不思議。楽しんでいるのに、楽しんでいると気がついていないだなんて。そこに枠が現れて、その枠によって現れたなにかに、ひとつの存在だという認識を与えてはじめてそれへの実感を取り出せるのだなんて。

どんな枠でもいい、そこで現れたどんな囚われとも友だちになってみたい。縦横無尽に、自分を鮮やかに裏切って、知らないところから肩を叩いて驚かして、この世界をだまし絵に見せているこの自意識と戯れたい。こんな枠があったの?指差して笑って、肩を組んで歩いて、この世を去るときには、その囚われによって取り出すことのできた自分という実感を、なによりも恋しく見送りたい。

だから自分よ、今日もなにひとつ遠慮なく、囚われればいい。そんなことで文句を言うもんか、水臭いじゃないか。囚われよう!自由に囚われればいい!そこから取り出したものを実感して、生きている証拠だ!などと言って遊ぼう。

ああ、こんな思いを好きなように書く場があって、今日もよかった。
毎日投稿の縛りがあって、よかった。

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みなさんは、可愛いものが好きだろうか。
みなさんにとって、可愛いものとはなんだろう。

もちろん人によるのだけれど、可愛いものの代表と言ったら、赤ちゃんや子ども、子犬や子猫や鳥などだろうか・・!わたしたちは、無邪気で無垢なものに可愛らしさを感じる。

子どもはどうして可愛いのだろう。
殺してみたければ生き物を殺してしまうし、疲れた母親にお腹が空いたと騒ぐし、欲しい物が見つかると買ってくれと泣く。
残酷で図々しくて情けを知らない。なのにどうして可愛いのだろう。

でもよく考えてみたら、もし5才児が

「虫にだって命があるんですからね、無駄な殺生はしないに限ります」
「今母は疲れているので、空腹くらいで騒ぐわけには参りません」
「いくら欲しくたって、なんでも手に入れられると思ったら大間違いです」

などと言い出したら可愛いのだろうか。可愛くない・・可愛くないよ!迷惑なんか考慮しないで、徳なんか積もうとしないで、むしろ、もっとわがままでいてほしいと思ってしまう。

子どもは、思いのままだから可愛いのだと思う。残酷で図々しくて情を知らない・・その「素の自分」をジャッジされることを恐れないから、可愛いのだと思う。それなのに愛されると信じているから。だからこちらがどんな人でも、愛してくれるだろうから。

これとちょうど同じように、パートナーに可愛がられないと悩む女性はせっかくの可愛げをわざわざ隠してしまっているのだ。

迷惑になっちゃいけないから、
自分で頑張らないといけないから、
女が支えるべきだから、
内助の功あってこその男の成功だから、
図々しいと思われたくないから、
迷惑を考えられない冷たい人だと思われたくないから、
自分勝手だと思われたくないから、

愛されていたいから、

優しくて思慮深くて控えめで努力家なふりをしてしまう。
それぜんぶ、嘘なのじゃなかろうか。

女って、そうやって努力して偽って見せるための愛など、ほんとうは欠片も持ち合わせていない。もともと自分で気がついていないだけで、宇宙の全部を愛しているのだもの。どんな自分だろうとも愛されると知っていて、だから女って、「愛されよう」としたただけでその本質から外れてしまう。

女というのは子どものように「残酷で図々しくて情けを知らない」ものだ。女がそのいちばんの可愛らしい無垢なところを隠してしまうとき、「いえいえ、どうぞわたしのことはお気になさらずに、ご迷惑にならないようにしますので」と言う5歳児のように、可愛くないのだ。

残酷で図々しくて情けを知らない女が可愛がられる。悪女がモテる。それこそが、峰不二子がイイ女たるゆえんだ。不二子ちゃんは、子供と同じ。そんな彼女を愛するルパン三世は、やっぱり最高にイイ男なのだと思う。

よく男はいくつになっても5才児だと言うけれど、わたしは女こそが永遠の5才児だと思う。男は女よりずっと大人だ。男はただ、いくつになってもヒーローでいたい生き物ではないかな。ただのワガママ5才児なのではなくて、ね。

愛し救いに来てくれたスーパーマンに向かって「いえいえスーパーマンさんにご迷惑になってもあれなんで、自分たちでなんとかしますんで、お戻りになっていただいて結構ですから」などと言ったら、スーパーマンはつまらないのだ。せっかく力が強いのに、せっかく人間にできないことがいっぱいできるのに、それを発揮する場面がなくなったら悲しいのだ。

それと同じように、男性にご迷惑にならないようにと女性が偽ったら、男性は悲しい。だから、残酷で図々しくて情けを知らない女が、子どもみたいに平気で相手に頼って信じて愛して、お願いすればいいのだ。スーパーマンの頼り甲斐に、両手離しで飛び込めばいいのだと思う。

可愛がられないという女性にかぎって、我慢と忍耐を重ねて、頑張って男性を愛していたりする。それよりも、「残酷で図々しくて情けを知らない」自分をそのまま見せてこそ、あなたは可愛いのだ。

女こそが永遠の5才児。底なしの身勝手で、怖い生物だ。何もかも愛していて、どんな自分も愛されると知っているってそういうことなのだと思う。どうせ優しいんだから、優しい人を演じるのなんてやめてしまおう!

というわけで今日は、「可愛がられない」と悩む女性に、可愛がられようとするよりも、男の頼り甲斐を信じてYOUの怖さを出してみちゃってよ!という、怖いお誘いでありました。

ああ女って可愛いね、男ってカッコいいね!
あなたが5歳時になれば、きっと相手はスーパーマン。疑うよりも、信じよう!不二子ちゃんのように、無邪気でいてよいのです。

それではまた、明日ね!

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