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580/1096 生きた地縛霊・・?

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で580日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

580日目、そういえば「500日目だー!」と言ったのがついこの間のことのようだ!不思議すぎて気味が悪い。おかしいな、どうして80日も経ったのだろう。

今日はやることがたくさんあって、わーっと発狂している。発狂しているので、つい優先順位を間違いそうになる。こういうときは、楽しいことからひとつひとつ取り掛かろう!

というわけでまずはブログを書いている。まずはここからスタートして、楽しさで選ぶことにしよう。さて、執筆だー!

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恐ろしいことに事務作用ができない。なぜなのだろう。自分はなぜこんなにダメポンチなのだろう。言葉を話したり書いたりして表現するのはできるのに、タスクをバシバシこなすというカッコいいところがまったくない。

わたしはミッション・インポッシブルや007を観るのが好きだ。観るとイーサン・ハントやジェームズ・ボンドになりたすぎて、血が騒いでどうしようかと思う。用意周到に準備して、ミッションを間違いなくこなすことにめちゃめちゃカッコよさを感じるのに、自分にはどうにもそういう能力がないようだ。

でも、「能力がある」「適性がある」ということなど放っておいていいのだと思う。もっと言えば、「強みなのかどうか」「天国でやると決めてきたかどうか」「好きなことかどうか」「使命なのかどうか」「得意な人に任せるべきではないか」などなどの、非常にもっともらしい「べき」たちも一旦放っておいて自由に考えてみると、「やれたら嬉しい」「やれてから人に頼んでもいい」「勝手にしやがれ」と思えてくる。そして「カッコいい」。これが感じられる。それは、ニーハイのハイヒールブーツを履いてみたいとか、革ジャンかっけー!とか、そういうのと同じ感覚だ・・・とつらつらと思っていた。

そうしたら突如として出てきたのだ。「スパイ気分を味わうために事務仕事をする」と考えると、異様に血が騒ぐ自分が・・・!!

だから、事務仕事を事務のためにやるのではなく、「スパイごっこ」としてやってみるといいのだと思う。というか、事務仕事はむしろそのために在ったのだと思う。キタ・・・!!これはいい案だ!!

人は、役に立とうとかきちんとこなそうとか思うと難しくて嫌でたまらないものが、余計な義務感や意味付けを取り除いて遊びの一環として見てみると違って感じられるものなのだと思う。ハッ・・!!あとでミッション・インポッシブルのBGMを聴きながらやってみよう!!ヤバい!かっこいい!ww嫌な制限も、こうして遊んでしまえればこっちのものなのだ。ただ自分を眺めていると、ものごとに対しての見方が自在に変わってしまう。

今日のオンラインサロンのお茶会でも話題になったのだけれど、わたしたちが自分の持っている制限から抜けようとするとするのは、とても難しいことだ。男女の仲を妨げる制限、お金を得ることを妨げる制限、人生を謳歌することを妨げる制限などなど、わたしたちが自由になりたいと望む制限はたくさんある。けれど、それらの自由を抜けたいと思ってもがんばっても、ちっとも抜けられないという経験がみなさんにもないだろうか。わたしはいっぱいあるのだ(笑)

抜け出そうと頑張れば頑張るほどどうにもならなくて、絶望してしまうということもよくあることだと思う。でも、ここで朗報がある・・!わたしたち人間には、そんな制限のある自分に対して「その制限、あっていいよ!」と思えると、そこから出られるという面白さがあるのだ。なんと皮肉なことだろう!?もう~まいっちんぐ!(古)

変えなくていいということ、あるがままでいいということ。
それは、実はただ自分を「へえ~そんな制限をお持ちなんですね~」と眺めてみることでもある。まるで他人事だけれど、「大変だよ、気持ちわかるよ」「辛いよねっ」「OHよしよし、そんな自分よ・・・」でもいい。

わたしたちはなにも頑張らなくとも、「どんな自分をも変えようとせず、ただ見てもらえて、ただそのままでいいと思ってもらえる」という、自分からの無償の愛を経験するだけでよかったのだ。それをまずは自分にやってみよう。「変えなくていい、とはとてもじゃないけど思えないよ~」という自分ですら、変えなくていい。ただ見てあげる。ただ気づいてあげる。

「わかるよ、そんなふうに思っちゃうよね」と、ただ味方してあげるだけで、その執着は満足する。ちょうど、幽霊が成仏するのと同じように。わたしたちは、自分に「ものすごく辛かったんだね」とわかってほしいのだ。執着というのはそうやって抜けるものなのだと思う。

生きているわたしたちの執着は、死んだもののこの世への執着と同じように考えてみると良いと思う。わたしたちの執着も霊魂の未練も、所詮は同じなのである。気がついて欲しい。わかってほしい。ただそのままを知ってほしい。そして、そうだよね!って言って欲しい。子供と同じ。幽霊と同じなのだ。それをインナーチャイルドと呼んでもいいし、なんと呼んでもよいのだけれど。

幽霊に、「ハァ??事故に遭って死んだのが悲しかっただア?そんなのお前がそれを悲しいと感じるのがおかしいんだろ。お前がよそ見したのが悪いんだから悲しんでんじゃねえよ」などと言っても無駄だ。その霊は、とにかく悲しいのだから。小さい子にだって「あのおじさんが急に怒鳴って怖かっただと?お前がチョロチョロして邪魔したからだろ!怖いだなんて思うな!」と言っても無駄で、その子の怖かった感覚がいきなり消えたり変わったりはしない。「それはそれは、どんなに悲しかったことでしょう」「怖かったね、ひどかったよね、お前の言うとおりだね」とわかってあげれば、成仏できるし、泣きやむことができる。はじめてぐっすり眠れるのだ。だから、自分にもこれをしてあげよう。わたしたちも、言わば生きた地縛霊なのだ。同じ執着から出られなくて、そこでずっと苦しんでいる。

変わりたいんだね、そうだねそうだね。。
今辛いんだね、そうだねそりゃそうだ。。
ジャッジなく、子供や幽霊をいたわるように、ただわかってあげよう。ただ味方してあげよう。ただ見てあげよう。そして、見ながら、それでもその自分という人物を愛している自分をわかってあげよう。

きっと、変えようとするよりもずっと楽に、生きた自分の怨念や執着が満足して解けていきますよ。

というわけで今日は、制限もあったままでいいね、制限や執着をそのまま楽しんでいいね、あるがままを見てあげるだけでいいね、自分を子どもや幽霊みたいに見てみてね。という観点のシェアでありました!それではまた、明日ねー!!

【オンラインサロン女塾で交流しましょう!】

現在、毎週90分のオンラインお茶会をメインとしています。女性限定です。優しくて気楽な空気のお茶会で、意識のことやスピリットのことなどをお話しています。初めての人もみんな大歓迎です!是非お仲間になってね。


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