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649/1096 どういうこと?”自分と相思相愛”

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で649日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

649日目、、今日は母のお絵描きを応援しているのが高じて、母のインスタアカウントを作って絵を載せてみたりして、親孝行をした気になった&これからがとても楽しみになってしまい、ひとり勝手に感動している。

昨日母のお絵描きの進捗についての報告をいっしょうけんめい聴いていて、なぜかふとあまり脈絡なく、「なにに迷ったとしても、ただ自分にとって善良な選択であればいいのだから、ほんとうにシンプルだ!」と思った。

その善良さが、自分なりに納得して自由に選んでいったものであればいいのだから、それを自分なりに育てていけばいいさ!と、改めてそのシンプルさに思いが至って嬉しかった。

毎日投稿も、今日、今日の分を書く。それだけのとてもシンプルなことだと思うと、余計なものが削ぎ落とされてとても落ち着く。
今日、先の日のぶんを働くことはできず、今日は今日のことしかできない。
それを胸において書くとしましょうー!!

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今日はめずらしく、なんにも出てこない空っぽな日。こういう日は、自分で書こうと思わないほうが良いのです。

そうそう、みなさんは、なにかに身を任せるという感覚を、ときどき味わっていますか。

ベッドやお布団やリラックスできる椅子に身を任せることはあると思います。それから、プールや海などで水に身を任せることもあるかも知れません。

小さいころは、多くの方が大人に抱っこしてもらったり、おんぶをしてもらったりして身をあずけることが多かったと思います。

けれども、大人になると、そんな機会が少なくなってきますよね。

わたしは長年のあいだ、誰かに心から自分を委ねたことがありませんでした。

そんなこと、思ったり考えたりすることすら、ありませんでした。

だから、自分をなにかに安心して委ねられなくてさみしいだとか、悲しいだとかいうふうに、思ったこともありませんでした。

けれども今思えば、それはこの世のなにもかもに対して、完全には信用できまい、安心などできまい・・と思っていたのと同じだったと思います。

いつだって、どこか今よりもずっと、緊張していました。

でもあるとき、それがひっくり返りました。

身を委ねられる相手が見つかったからです。

それは、親でも夫でも子どもでもなく、そう、自分自身です。

自分というのは、考えてみれば世界一『自分の味方でいてくれている人』です。自分のいちばんのファンは自分です。

自分に嫌なことがあったら誰よりも悲しんでくれて、自分にいいことがあるようにと、生きているあいだ中誰よりも祈ってくれます。

あれこれと嫌なところがあるのも知っているのに、それでも「幸せであって欲しい」と思ってくれます。

こちらの命令どおりに動いて、自分色に染まって(笑)、それを受け入れて生きてくれています。

あなたがほしければ、甘いものも食べる。あなたがほしければ、ジェットコースターにも乗る。あなたがほしければ、お酒も飲む。あなたがほしければ、なんでもしてくれます。

賢明なことも、愚直なことも、やってくれます。「あなたのために、こんなにしているのに」なんて言い出しません。むしろ、わたしたち自身を背負って、それを自分だからと言ってくれる人です。

そこに気がついて、これまで我が物顔で使ってきてしまった自分に、心の底から、申し訳ないことをしてきてしまった、可哀想だった、と思ったとき、なにかがひっくり返りました。

耐えてきてくれた自分にあんまり申し訳なくて、自分に心から懺悔し、心から感謝しました。

もういじめないぞ。喜ばせるぞ。大切にするぞ。守っていくぞ。

そうしたら、そうやって自分を大切にするために人生をかけてくれる自分という人に、身を預けて、自分を委ねられるのだと気が付きました。

海に浮かぶかのように・・・自分自身に、自分の人生に、それを生み出す宇宙に、リラックスする。

怒ることがあろうとも、焦ることがあろうとも、なにやら波が立とうとも、それに翻弄されようとも、あれこれ失敗しようとも、いいのいいの。
自己否定ですら、ただ微笑ましいものです。

我が子の遊ぶのを眺めていて、上手に遊べなくても愛がなくなったりしないのと同じように、その子が縄跳びが下手だと言って泣いたからといって愛がなくならないのと同じように、

それごときで、揺らぐ愛ではないのです。それごときで、不平不満を言える相手ではないのです。

わたしたちにとって自分とは、生きて、生きてくれていて、この一生を、今世の命を、まるまる自分に捧げようという人です。

だから、わたしは自分に身を委ねてくれている自分に対して、「よし、預かったぜ!」と思います。「よし、預かったぜ!」と言ってくれる自分に対して、「ああよかった、もう安心だ」と思っています。

それで、もう、老いようとも、人生に失敗しようとも、そんなことでは愛は変わらないのを知っているから、自分だけは自分に文句を言わないのを知っているから、自分と一緒にいられれば安心なのです。

死がふたりを分かつときまで、ずっと一緒。自分の生きるかぎりは、自分がいてくれるから、もう安心です。

このことを、自分との相思相愛というのだと、わたしは思います。
このことを、宇宙に身をあずけるというのだと、思います。

どなたかの琴線にふれることがありますように。
それではまた、明日ね!

 

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