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734/1096 なにが優位なのだろう

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で734日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

734日目。今日はもう、あれだ。思いをつらつらと書いてみよう。そうしよう!少し前に天体の影響で腸の不調のあった人が多かったようなのだけれど、皆さんはどうお過ごしでしょう。腸ということは、敏感な人は皮膚にも出ていることでしょう。

わたしはここ数ヶ月で体調にも自分の状態にも変化が続いていたのですが、ここ数日は現実の自分の取り組みすらも、目の前のことでありながらまさに観劇している状態で、我に返ったままでいる時間がこれまでになく長くなっています。この状態に、自分が以前よりも親和性を持ってきています。

最近ふと地球人への思いを思い出し、別の存在だったことを思い出し、昆虫や植物だったころの視点を持っていたことが思い出されたりしています。それはいつも取り出し可能で、接続可能ですけれども、実は常時接続なのですよね。それぞれが別個ではなくて、重なってここにあります。いつだって壇珠さんだし、いつも昆虫で、いつもすべてなのです。

ここで生きるのは楽しいですね。危ないところにいる虫を見ると、自分に「危ない!!」という目の前に迫る危機感があり、その危機を察知します。わたしは虫さんを動かします。人の意識は、ひとつではないのですね。同時に広く渡っているのです。「虫さん、そこにいると危ないよ」と思って助けるというのとはまた違って、自分はそのときその虫さんなのですね。(いや、発言内容はちょっとアレですがw)

わたしはどうやらこの一生は俗に思い切り染まって、そのあとどこまでわざとそれをしたのかを思い出したかったのだと思います。この、勝手な想像のように見えることを、自分はとっくに知っていてとっくに思い出していたのだということに気が付きました。忘れたことにしていて、そのあいだは忘れたことになっていたなあとしみじみ思います。

一生のうちにあれこれ詰め込みまくっているのですが、そのことを勝手に思い出した感覚にあります。自分の見たいものを見たいように見ていて、わたしがひとりそれをしているため自分に宇宙があるのですよね。そのことはすごいですね。(無理やり日本語に訳した外国語のようですがw)すると、この宇宙という舞台の壮大さ荘厳さに、これは一体どういうことなのかと途方に暮れるほど感動します。

毎日投稿も、不思議な思いで書いています。
ひとりで書いているにはいるのですが、でもここであなたと共にあることを知っているままなのですよね、変な文になってしまいますが、もうかまわずに書いています。すまぬ。笑

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床の素材を見ていると、床よ、と思う。
床よ。わざわざ床である君よ。
わざわざに、床となってくれた君よ!
世界には、こういうものがいっぱい。
この世は無償の愛に満ちている。

ぼく、床役やるよ!!
わたし、失敗して捨てられるコピー紙役やるねっ!
って、おまいら、おまいら…!!!

ちり紙よ。
飴の包装紙よ。
ホコリよ。
消そうにも、消すことのできないもの。
それらなしには、この宇宙が成り立たないのだからなあ。

捨てたって、移動するだけのもの。
燃やしたって、熱と炭素になるもの。
どこまでもあるもの。
変わり続けるけれど、どうやっても、消えないものたち。
わたしもそうだ。
わざわざ壇珠さんって!

あなたも、ご苦労さま。
ほんとうにありがとう。

どんなものについてそう思えば、さらに自分の心が響くだろう。
ああ、たとえば銃よ。
それに撃たれるものよ。
うまくは言えないけれども、ごめん…
この世界には、ごめんがいっぱいだ。

でもそれあってのこの今なのだと思うと、どうだろう。
ごめんなことと、嬉しいことが、どちらも欠けちゃ困るのなら。それじゃ、宇宙を構成する素材として見ればその重要度は同じで、どんなことにも優劣がなくなってしまいますね。世界を水平線のように見ることができる。境界線がまったくないですもんね。一緒にやっているのだもの。

ごめん…なことたちよ。今自分のこの瞬間はそれらがないと成り立っていない。ごめんね。ありがとうありがとうありがとう。

ヤドクガエルがいるから、コブラがいるから、解毒剤がある。
汚れがあるから洗剤がある。
汚れと思うから綺麗にするものがある。

なにがあるから、あなたがいるのだろう。
あなたがいると、なにがあるのだろう。

健康があるから病気がある。
健康だと思うから病気の状態がある。
ちょっとでもかすかにでもこの世界にしがみつくと、そこから追放される自分をも創造するのだから、まったくなあ!

好きなものに目を向けよう。
外界のことは、変えなくていいのです。
変えなくていいから、ここがもし遊び場なら?と思ってみてあげてください。周囲のものに、まっさらに好奇心を持って見てみてね。それ、わざわざそれになっているんですよ。自由の中で、それになっている。

それがあってこそ自分がいるのなら、それと自分はどちらが優位なのでしょうね。思索するのに楽しい題材ですね。

同じ重要度なのに、わたしたちにとって、どうしても響いてしまうものってありますよね。いい香りとかね、花火とかね、波の音とかね、太鼓の音とか、朝日とか夕日とか。それを素敵だと思います。そこに、抗えぬ優位を見ます。そのとき、ああ自分は人間だなと思います。

そんな俺たちですね。俺たち、どうしようもなく同種の生物ですね。その連帯感もまた、嬉しいものですね。

今日はつらつらと書いていきなり終わります。
たまには余韻があるのもいいですね。

それではまた、明日ね。

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