義理歩兵自伝(21)

義理歩兵自伝(1)はこちら!

ホームレシ、アロハのスポンサーレシに続き、なんと義理レシ(+健様レシ)にまでなってしまって、それからというもの、女歩兵は衣装と色気と乳房以外は本当にドロンジョとなってしまいました。
 
いきなりだが説明しよう。
ドロンジョとは、1977年に放送が開始された、タツノコプロ制作のテレビアニメ、「ヤッターマン」に出てくるキャラクターである。

ヤッターワンという犬型ロボットを駆使する正義のヒーロー「ヤッターマン」に対抗して自称・義賊として悪事を働きながら、いつかはドクロストーンを見つけて大金を得ようと画策するドロンボー一味のリーダーである。

身長173センチ、やせ型、自ら戦闘にも加わる強気な面を持った口の悪い女性で、メカを操る能力がある。
頭に血が昇りやすく、怒ると必ずや全力で戦いに臨むが、毎度のようにヤッターマンたちに負けてしまう。
大抵いつも爆弾で爆破されて敗退するが、服が焦げてヘナヘナになるだけで決して死なない不死身の強さを持つ女なのだ。

 
かたや女歩兵とはと言えば、世の中で活躍する「サラリーマン」に対抗して、
自称・義理浪士として夜のクラブや工事現場で働きながら、いつかは事業の成功で義理を返そうと画策する浪士夫婦のリーダーである。

身長174センチ、やせ型、自ら土木工事にも加わるガテンな面を持った秋田弁の女性で、左官コテを操る能力がある。
頭に血が昇りやすく、勝負事には必ずや全力で戦いに臨むが、毎度のようにジェイソンに負けてしまう。
大抵いつも調子に乗ったために敗退するが、思い込みが壊れてヘナヘナになるだけで決して真理を悟れない不死身の勘違い女なのだ。
 
 
今回もこうしてなんのアイデアもなしに書き始めて、ドロンジョとのこれほどの共通点を見つけてしまう自分の、なにかとてつもなく高いに違いないがなんの役にも立たないこの能力を、自分はなんと呼べばいいのでしょうか・・・・
 

このただのドロンジョとなった女歩兵、ドロン女兵は、あの義理レシ事件後から、逆に大卒浪士の前に、異性として存在できなくなってしまいました。
ついつい大卒浪士を、「そこのブロックを10センチずらして積み直しておしまい!」などと、ボヤッキーやトンズラーのように扱ってしまう。
義理なんかないんだ、今までのように、悪いと思わなくていいんだ!

そして、それまでにも幾度となく繰り返されてきた大卒浪士との他愛のない抗争(ただの犬も食わぬ夫婦喧嘩のことですが、ここは趣味的にこのように記したく)が段違いに激化したのをハッキリと感じました。
顔を合わせれば抗争に発展し、くだらないことで互いの怒りを買う日々。お互いに、ぶつけ所のないフラストレーションを吐き出し合いました。
終われば数分で仲直りし、しかしまたすぐに子供のように小さなことで争いを繰り返す。
憎んでなどいない相手に手榴弾を投げ合う、荒んですり減る毎日でした。

ブーービブーーーー!ブーーーービブーーーーーー!!ブーービブーーーーーーズルルッゴワァーーーーーー・・・・ペッ!!!!

ドロ兵「・・・ちょっと!そうやって鼻をかむ度にひどい音出すの、もうやめてよ!」

大卒「嫌だね、もう言っとくけどお前の言いなりにはならねーから」

ドロ兵「どういう意味それ!」

大卒「サラリーマンやめたんだから十分だろ!ごちゃごちゃうるせーんだよ」

ドロ兵「自分じゃなれなかったくせに!そんなことにもう恩義感じないからな!!」
 
大卒「お前の勝手な一人芝居だろ!!」

ドロ兵「言ったな・・・!このクズ・・・!!」

大卒「最悪だわ、もう見たくもねえ」

ドロ兵「こっちのセリフだよ!」

そして徐々に、男女でもなく、目的地に向かって歩みを揃えた二人三脚でもなくなり、社会的な役割を果たしていないどこか原始的な人間としての関係になっていきました。

その間、ドロン女兵の怒りは大卒浪士には向いていませんでした。
怒りの矛先は自分自身にありました。
なぜ無理をしてしまったのだろう、なぜ飲みたくもないお酒を飲んだのだろう、なぜ具合の悪い日にも我慢してニコニコ接客したのだろう。
いや、それはつまるところ自分が極めたかったことなのだろう。だからいいのだ。
そんなことよりもなぜ、自分の思いに従って必死にやってきたことに、こんなにも罪悪感があるのだろう。

葛藤しました。実のところは、義理がなくなってますます、申し訳ないと思うようになっていたのです。義理があるなどという盲目的な思い込みで、逆に振り回してきたのではないのかと。

ドロン女兵はある時、思いました。
ああ、自分は勝手にお母さんになってしまっていたのだ・・・
お母さんというか、お父さんである。
父の好きな鳥羽一郎の唄のように、親父(読み:オヤジ)の形見の船を息子に明け渡す、そんなイメージを持って長年彼に接していたのだ・・・自分がそうやって保護しなくてはならない対象として見るから、彼はそれを黙って受け入れていたのだ・・・!

それにしても・・・好きな男性の親父になろうとしてしまう、というのは、これまたどういう変人なのだろう・・・
自分は哲学ヤクザのようになりたかったに違いないのだ。
あれが人間の手本だと思った幼心が成長しなかったのだ。
しかし、通常ファザコンというものが父親のような異性もしくは反動で真逆のタイプの異性を求める方向に行くのだとすると、父そのものになろうと土木工事までをもしていた自分とは一体どういう者なのだろう・・・・・
 
 
そうだ、つまりはすべて自分で「好きにしてきた」のだ。
強烈な親父信仰によって若いひとりの男性のその後一生の運命を狂わせたと考えるのが辛くて、そのあまりに強い酸性の「申し訳なさ」を、強アルカリ性の「義理を背負うこと」で中和したかっただけなのだ。
そこに付き合って、彼は黙ってそばにいてくれたのだ。

夜働くと言えば同じ店でボーイとして下働きをして冬も毎日朝まで外で待ってくれ、アロハを作るといえば裁縫を練習して身につけて手伝いながら家事をして支てくれ、一緒にホームレシにもなり、稼いだお金をすべて父に渡したいといえば快く受け入れてくれマネーレシとなり、鶏×3も連れて行くといえば車に乗せてくれ、大工仕事をやるといえば道具を揃えてくれ、大きな不動産を買って改造したいといえば借金をして購入してくれ、土間コンを自分たちで打つといえば賭けに乗ってくれ、大岩×3を押し出し・内掛け・寄り切りによって自力で動かしたいといえば重機を呼ぶのをやめてやらせてくれ、コンクリートの床を手で掘り進めようといえば一緒に頑張ってくれ、今も、喧嘩を吹っかければ乗ってくれるのだ。

一度も私を無視したことも、ひとりで放置したことも、望みに応えなかったこともないのだ・・・・・・

・・・・・大卒・・・・・・・!!

これは同時に彼が、私が父にしてもらいたかったことを、すべて肩代わりしてくれたとも言えるのだろう。

今も忘れられない記憶がある。

4歳の頃、ドロ女兵は鶴を折って父やホオアカやグルメ官能を喜ばせたくなり、それはかなりドキドキする挑戦で、誰にも見られずにやり終えて部屋に持っていって驚かそうと考えました。
そして、ひとりでコソコソと薄暗い畳の部屋に隠れて本を見ながら折り始めたのでした。
しかしどうしてもよくわからない箇所があり、折り方を教わりたくて、仕方なく暗い部屋でテレビで巨人戦を観ていた父に聞きに行きました。
一度聞いてみて、しかしその説明では解らなくてもう一度聞きに行くも、後ろ姿を一目見てその独特の気迫に震え上がって声をかけることができなくなりました。
金縛りにあったように、動けませんでした。
父・哲学ヤクザは幼い頃のドロ女兵にあまりに強烈な人物で、追うことさえ許されない、常に遠く、その後も大人になるまで何かを頼むことのできない存在でした。

こうして大人になってからも、無意識にその穴を埋めようとしてこんなに長い年月を費やすほど、自分には、父親というものが存在の根底から影響していたのか・・・・・

自分はこれに抗うことができただろうか。
これを避けることができただろうか。
これは後悔するべきことなのだろうか。

もしそこに、自分に最大限に優しく考えてNOと答えるとするなら、世の中に居るすべての人のすべての状態を、「仕方ない」と言ってもいいのではないのか・・・・・
みな、それぞれに抗えない何かを背負っているのだ。
それを、簡単に「その人が悪い」と言えるのだろうか・・・・・・・・・・!

誰も悪くない。その考えに到達してから、ドロン女兵はやっと涙が出るようになりました。互いに様々な理由があれど、少なくとも一緒にいる間、一生懸命生きたじゃないか。ここに、原因を探したり、そこにいろいろな言い訳を加味しなくていいじゃないか・・・
 

ドロ兵「俺、大卒の親になった気になってたな、、、、勝手に世話焼いて・・・逆に世話してもらっていたけども・・・」
 
大卒「ああ、そうっちゃそうだね(苦笑)・・でもぜんぶ俺が悪いんだ。ドロ兵のスゴさに全然ついていけないから。敵わない。情けないよ。」
 
ドロ兵「・・・・・・・俺はただ、狂ってて頭がおかしいだけさ・・・」

大卒「俺と居るからそう思うんだよ。おかしいんじゃなくて、素晴らしいと思っていいんだよ」
 
ドロ兵「・・・・・・・・・・・工事・水商売に関してだけはね」

大卒「いやいや、もっと自分を信じて欲しい」

ドロ兵「・・・・あのさ、なんっでもいいから好きなことできるとしたら、何がしたい?」

大卒「そうだなあ、仕事を自分で頑張ってみたいな。ずっとくっついてきちゃったからね」

ドロ兵「・・・・・・・そうだろうね・・・・・・」
 

この時の会話でドロ女兵は、14年の時間に後悔もないが、固まったセメントは再び液体には戻らないのだと悟りました。

悟っては、その度に過ぎ去った日々を思って、涙が出る。
互いに相手を思わぬときなどなかったのに。
これまでに駆け抜けた時間は、二人をどこかで固く結束させて、しかしどこかで遠く離してしまった。

窓割れアパートで、いつも相手のことを驚かし、笑わせ、楽しませたくて頭がいっぱいだった頃との決定的な違いはなんだろう。
それはきっと単に、自分がもはや彼の前で女性でいることができないということだろう。
自分のこの状態についての原因は自分にある。
「義理を果たすまでは」そう思って一時的に男らしく生きれば良いと思っていた。
しかし、今やすでに夫から、棟梁(読み:とうりょう)、頭(読み:かしら)、兄貴と呼ばれている。
これを修復する方法が、自分にも皆目わからない。

目的に向かって生きても、それがその人の人生そのものだ。
今だけは頑張ろう、今だけは目標に向かって我慢しよう。
そうやって生きても、その人は、そうやって人生を紡いでいるのだ。
夢や目標なんていうものは、限られた人生の時間を柵の中で我慢して過ごすことに我々自身を追い込む羊飼いだ。

互いに相手のことは阿們・呍們(魁!!男塾・登場人物。息の合ったあうんの呼吸で二身一体の兄弟拳を使う)のように、何もかもをよく知っている。
そして、星の数ほどの思い出がある。
これほどまでに大切な人が、互いにある意味で最も窮屈な相手になってしまったことが、我が身のことながら受け入れがたく、寂しく、悲しい。

幻の柵の中にいた羊だった。そうわかっても、柵の外を見せてあげたくて背中に乗せることや、柵の外の景色を想像して語らい合うことによって成り立ってきた関係を、柵などなかったとわかってからどう再構築すればよいのかが、わからない。向かい合えば互いの心にはやはり、ないはずの柵が現れるのだ。

でも、二人で1セットだった時間が長すぎて、それ以外の存在方法が想像できない・・・
BOOWY以上に、解散してはならない仲のはずなのに・・・

大卒との日々を思い出すと、日本には四季があるというのにいつも真夏のイメージが伴います。
今この時も、これを書きながら、追憶の日々には太陽の光がいっぱいだったように思い出されます。
 
 
 
 
その後、ドロン女兵は、自分たちの間から結婚という土台を取り払ってみようと提案しました。
互いに触れ合いもなく、互いに申し訳ないとばかり考え合って、その遠慮が簡単に怒りを招いて抗争に発展。二人の間に関係を「改善するべきだ」という無駄な義務感を強いている。
結婚している、というのはもはや自分達の状態にそぐわないのでは、と話しました。

そこから見直してみよう、リセットして、また歩み寄れるなら再婚してもいいね、と。
 

大卒「一旦離婚してみようというのは、反対しないよ・・・ドロ兵の好きにすればいい・・・でも、その後の養育費や生活費は?今のドロ兵のパソコンの仕事は忙しすぎるし、いつまで続くかわからないじゃん・・」
 
ドロ兵「養育費や生活費などの助けは一切いらないよ。第一、無理でしょう(笑)他にも何も欲しいものはない。家も、車も、全部あげる」

大卒「・・・・・・・・・・・・・」

ドロ兵「何も心配するな、俺一人いればなんとかなる。ただし、このあと必ず、離婚したことで得られる経済的・時間的・精神的自由を大卒自身に生かしきって欲しいんだ・・・」

大卒「・・・・・・・・・・・・わかった。稼いだら、必ず恩返しする・・・!」

ドロ兵「恩などない、そこはお互い様だよ。けれど、自由を自分に活かしてほしい、いいな!」

こうして男同士の口約束のみで、私たちは仲良く離婚届を出して、そのあとツタヤで遊んで帰ってきました。
2011年の2月のことでした。

我々はつきものが落ちたように、友情で保たれた意外に温かい関係を持ちながら、その後もしばらく一緒に暮らしていました。

その日々の中でドロン女兵は考えを巡らせました。

自分は幸せだ。大卒浪士と自分の間には、何者にも分かつことのできない友情と信頼がある。
我々は生涯、阿們・呍們だ。あるときは田沢と松尾で、あるときは冨樫と虎丸だ。
こんな相手がいるだけで、自分の人生は豊かだ。

愛とは一体なんだろう。

そのままの相手を愛すること、相手を変えようと思わないこと、それが愛だと言われる。
人は無償の愛を真実の愛だという。果たしてそれは、真理だろうか。

そんなものはもしかすると最もらしい机上の空論じゃないのか。

人は一瞬も同じ状態にとどまらずに変化し続けるもので、「そのままの相手」を見ることが出来ると思うのは、幻ではないのか?
「相手の事を思って」とは言っても、相手のためになることが本当に私たちにわかるのだろうか?
相手の変化に責任があると思うのは、相手の存在を無視した幻ではないのだろうか?
見返りのいらない行動のみが本物ならば、与えた愛によって「相手が喜ぶ姿を見て自分が満たされる」ことは見返りとは言わないのか?すんごい見返りじゃん!
無償の愛を美化するのは、人が人に影響を与えるのは悪いことだと考える原因にならないだろうか?
人に迷惑をかけてはならないというのと、同義ではないか?
影響のすべてを迷惑だと言っているのと同じではないか?
影響しあわないことが、最上であると言えるのだろうか?
それむっちゃ寂しくないか?
そこまで私たちは「個」なのだろうか?
世界を一緒に創っていると考えてもいいのではないだろうか?

きっと人は、変化を認め、影響しあっていることを認め、そこを祝いあってもよいのだろう。
観察の対象を永遠に自分の目線でしか見られない、ひとりぼっちの、もうそこで十分に「個」であるからこそ、人は違いを持ち寄って笑い合える、互いに優しくなれる存在なのだろう・・・
その愛がたとえ無償じゃなくても、「大丈夫」だ。
人間臭い期待と希望にまみれた、勝手な思いやりでいいのだ。
期待を許可するこということは、心配を許可することでもあるのだろう。
そこに予測を持ち込むからだ。
しかし、未来は予想通りにはいかないものだ。予測は裏切られ、そこには違ったものが現れる。
これを学ぶ道具になるなら、無償ではない愛で進んで期待して与えて傷つけばいいじゃないか。そこで人生に何が返ってくるかは、お楽しみだ。
突き進んだものにだけ配られる福袋があるのだ。
自分を、人間を、宇宙を、なめちゃいけねえ。
福袋の中身を、開ける前からわかった気になるからジェイソンが来るのだ。
福袋をもらわない者には、もれなく退屈が配られる。
宇宙はこれほどにワンダーランドである・・・

この時に巡らせた考えが元となり、それはずっと後になって自分自身に大きな気づきを与えてくれました。

一方でこの時期、今思えば神の采配としか言いようのないタイミングで、あのイタリア人男性との関係に変化がありました。

彼はこの離婚劇の真っ只中に、1週間ほど仙台や東京に滞在しにきました。
東京に滞在する間、その頃はなんとかカタコト英語が通じるようになっていたドロン女兵は新宿の案内を買って出ました。仕事が終わってから電車で新宿に向かって、伊勢丹やアウトドアショップや本屋を案内しました。大卒浪士も車で送り迎えをしてくれたり、英語の言い回しを一緒に考えてくれるなどして手伝ってくれました。
イタ男はドロン女兵の感覚においては美しい容姿をしていて、終始緊張した様子のよそよそしさをまとっていて、何を考えているのかわからない、他人行儀な男性でした。
ドロン女兵は自分に非があったのかと落ち込みました。

そのイタリア人はすぐに、今度はドロン女兵にイタリアに遊びにおいでと誘ってくれました。まだ離婚したばかりだったドロン女兵は、渡航費を調べて想像より高いことに驚き、断念しようと考えました。

ドロ兵「あのイタ男が、遊びにおいでって言ってくれたよ!東京案内のお礼にってさ!けれど、飛行機代って高いんだな・・・」
 
大卒「ああ、、そうだね、、でもさ、行ってきたら?せっかくの機会なんだし。今もずっとずっと働き詰めじゃん、羽伸ばしてきなよ。あれほどヨーロッパの建物好きだったでしょ、実際に見てきたら?」

ドロ兵「でも、キッコ(娘のあだ名です)と行くとなると、けっこうかかるよ・・」

大卒「旅行の間くらい、俺が面倒見るから心配ないよ、ひとりで行っておいでよ。ヴェネツィアに知り合いなんて簡単にはできないんだし!絶対にリフレッシュできるよ!」

ドロ兵「そ、そうだけど・・・・・飛行機一人で乗ったことないし・・・怖いし!」
 
大卒「絶対ぇーーー大丈夫だって(笑) 断ってこのまま仕事ばかりしてたら、後悔するよ。飛行機はマジで心配ないから。この機会に本物の欧風建築、見てきなよ」

ドロ兵「そうか、じゃあ行くって返事するか・・・!」

2011年3月2日、渡伊。10日間の滞在予定でした。
日本に戻るフライトの予定は、イタリア時間の3月12日。

その前日の、日本時間2011年3月11日。
ニュースを見て血相を変えてイタリア男が教えてくれました。
そう、この日、あの東日本大震災が起こったのです。

当然フライトは遅延、いつ飛べるかわからない状況となりました。 

乗り換え地だったオーストリアのウィーンで日本行きの飛行機に乗れなくなったドロン女兵の、
渡伊から再婚、あの「秘行」(ブログの別記事内で紹介しているシンプルかつ奥深い心理ワークです)につながるまでの物語は、次回から・・・!

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