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「うちあける」 #掬することば

8月にインタビューを受けた、NHK ハートネットTV「がんと共に生きるAYA世代 (2) 子どもを授かること」が、無事放送されました。

放送前michi-siruveのWebサイトに綴ったとおり、わたしが罹患したがんは「絨毛がん」という非常に珍しい、かつ妊娠・流産・出産という出来事とあまりにも密接にあるがん。実名顔出しで「テレビと出る」という行為はとても勇気がいることでした。

そんな中でもディレクターさんは、別々に預かった3人それぞれの想いができる限り伝わるように……と配慮しながらつくってくださったこと。

選ばれたことばからも、ことば以外のものからも伝わってきました。30分という短い時間の裏側に、こんなにもこまやかなやりとり、配慮が積み重ねられているのだなとも。

声をかけてくださったのが「ハートネットTV」で良かったな。ことばを託したディレクターさんが彼女で良かったな。今はそんな気持ちです。

そしてこれからも、この制作者のみなさんが見つめ、届けたいと放送されてゆくものを、一緒に見つめてゆきたいなと思います。

ハートネットTVの放送内容は、放送後にダイジェスト記事というかたちでも公開されています。

記事の中に『ココロイシ』という本に綴じたことばの一部が紹介されています。これは今から3年前、がんの寛解から2年が経った節目綴じた古い文章です。この文章の一部も、今回のインタビューと一緒に放送されました。

162ページある、不自然に分厚い手製本。罹患から寛解2年まで、流産手術前、手術後、がん告知後、外来化学療法中など、それぞれの瞬間に患者として感じたことを短い文章で綴っている本です。

ハートネットTVの記事に掲載されているのは、本の最初と、最後と、途中の文章からそれぞれ抜き出してつなげたことば。 3年前に本に綴じた本来の流れも置いておこうと思い、原文も公開しました。

この記事でも触れていますが、手製本の現物は、石の裏表を撮影して、そのページの内側に文章をおさめています。

「石」を呼び水に、闘病の記憶をことばにする。本に綴じることで、一筋の流れとなり、少しだけ心の整理がつく。もちろんそんな側面もあるのですが、実は162ページの中には、ことばのない石のページの方が多いという手製本です。

治療中と治療後でも、石とことばの関係は変わります。治療後の日々の方が、空っぽの石ばかり。つまりはことばにできないことだらけだった。

この手製本が本当にあらわしているのは、治療後の、ことばにできなかったいたみの足あとなのかもしれないなと。今回じっくり読みなおしてそんなことを感じています。

その手製本が抱く一筋の流れ、そして石のリズムを、少しですが感じていただけたらと思います。

こうして時々、何かがんの経験をひらく機会をいただくのですが。経験者が「自分の経験を発信する」という行為は、とても難しい行為だとも感じています。話すことも、書くことも、それ以外のアウトプットもそれぞれの難しさがあるなと。

声を届ける必要性は感じながらも、そもそも「話す」という行為自体が苦手で。わたしの経験や価値観でしかないその声が、偏った印象を届けてしまったらどうしよう。そんな不安が常にあって、基本的には、自分の経験を「手製本」というとても小さな空間に綴じ込めて、手渡しの顔が見える関係での対話をする。という小さな範囲で続けてきました。

最近では、その行為の積み重ねて感じてきたことを「掬することば」に置くようになりました。何かしらつながりのある方からお声がけいただいたのものは、できる限り協力もしています。

論文やメディアのインタビューを受けたり、医療者の方々、福祉や看護の道を志す学生のみなさんの前でおはなしする機会をいただいたり。その機会の中でみなさんからいただくことばは、いつもこれから先を考える種になっていて。経験をひらいたそのあとの対話が気づかせてくれるものの大きさを日々感じています。

今回も、やっぱり上手くは話せなくて。あのことばでよかったんだろうかと反省ばかり浮かびます。でも、放送を見てくださった方から色々とメッセージが届いて、みなさんそれぞれに抱えているものがあるんだなと。誰かが少しだけ勇気を出して「うちあける」ことからはじまるものもあるようなきがしています。

人に知られたくない事実や秘密なども、隠さずに話すこと。 中々日の当たらない、語りづらい影の部分……つまりは、葛藤も含めたありのままを、細やかに掬い上げて手渡すこと。そこから生まれる対話から考えていきたいという想いで、まず自分からうちあけているのかなと。

放送を見てくれたという95歳になる祖父も「昔はそういうもんは、みんなよう出んかった(時代もあって、とても出られなかった)けど、今の人はみんなちゃんと出てしゃべってはって偉いな」と。そんなことばをくれました。

大正生まれ。生きてきた時代も受けてきた教育もうんと違っていて、子どもを巡る価値観は違っていて当たり前。高齢で、家族ががんになったことや公表するという行為を受け止められなくても不思議ではないのに「(出演していた) みんな偉いな」ということばが出てくる祖父を尊敬しています。

数年前、わたしのことを初めて取材してくださった尊敬する記者さんも、この祖父とのエピソードを綴った文章を読んで「(取材を受けるということは)しんどい思いをしてまで、人と分かち合うことを選んだ」ということだから、みんな偉いよとメッセージをくださいました。

「人と分かち合うことを選ぶ」すごく良いことばだなぁ。「うちあける」よりももう一つ深いところにあるような。そういう姿勢を大事にしたいなと改めて。心の辞書に書き加えました。

この5年間で続けてきたZINE制作も「掌の記憶」「ココロイシ」「汀の虹」「記憶のアトリエ」といったささやかな営みも、こうして時々勇気を出して協力する何かのインタビューや講演も。わたしの中では、この想いで全部つながっています。

それは、がん経験者であると同時に、絨毛がんによって育むはずだった大切ないのちを失ったひとりであること。がん患者の家族でもあり、遺族でもあること。がんやがん以外の経験からも20年以上、生と死を見つめ、福祉というまなざしの助けも借りながら考え続けてきたこと。長い時間をかけた積み重ねから生まれた想いです。

そんなわたしだからこそ、がんに限らず 「在るうちに」から、失った「そのあと」まで。分け隔てなく見つめ、交わしながらともに考え続けるひとりでありたいなと。日々本を綴じながら試行錯誤しています。

今はまだ上手くことばにできないけれど「こんなことできないのかな?」とあれこれ試みながら、ともに考えてくださる医療や福祉、メディアの専門職のみなさんにうちあけながら。これからも小さく続けていきたいと思います。

最後の写真は、番組の撮影で訪れた芦屋の海岸でみたけたココロイシです。自宅から車で行ける範囲で、ディレクターさんが見つけてくださった海岸。10歳から25歳までを過ごした西宮の隣にあるのに、訪れたのは初めてでした。

海岸の状態的に、ここでは石は見つからないかな……と思っていたのですが、この波打ち際にも小さなハートが落ちていました。こんな指先ほどの欠片なのに、カメラマンさんもちゃんとハートになるように撮ってくださっていました。

どんなに小さくても、掬い上げれは見いだせるものがある。よりささやかな声に耳を澄ませながら、これからも「掬(きく)する」ことを続けていきたいと思います。

うちあける【打(ち)明ける】
1 人に知られたくない事実や秘密などを、思い切って隠さずに話す。うちあかす。
2 閉まっているものを勢いよくあける。
3 ひっくり返して中に入っている物を出し、空にする。
4 すっかり空になる。寂 (さび) れる。
(デジタル大辞泉)

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ZINE作家。“大切な記憶”を小さな手製本に綴じています。 本づくりの移動アトリエ「記憶のアトリエ」/豆本で記憶をつなぐ「掌の記憶」/ 連載「まなざしを綴じる」(教養と看護) / 希少がん(絨毛がん)経験者 / 社会福祉学 https://michi-siruve.com/
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