
「手放す」#掬することば
※2月4日の「World Cancer Day」に向けて、豆本詩集『汀の虹』の詩を、noteに1日1篇ずつ置いています。
15篇目は「手放す」です。
Flowers 「アジサイ」×「スケルトンリーフ」×「ハイブリットスターチス」(2017.8 花店note)
寛解後一番くるしかった頃、部屋の隅やベッドの中でポロポロ涙をこぼしていた時期がありました。
ことばにできないことばかりなのに、それでもせめてことばにしないと自分のことすらわからなくなる。
ことばをなくては前に進めないのだと、そのときの気持ちより少し前向きなことばを一歩先に投げてそれを追いかける日々でした。
でもそれも何だかしんどくて、罹患から1年が経った春の終わりから、日々の景色に自分の小さな声を添えたInstagramを1日1枚置くことをはじめました。
選ぶことばに嘘だけはないように、でも少し前に小さな希望をこめて。柔らかなことばで包んだ希望を置いて、それに向かって一歩をすすめ、1枚ずつのこってゆく写真たちを「足あとなんだ」と言い聞かせていたように思います。
その当時置いた写真とことばを辿ると、毎日少しだけ前方に置いたことばが淡々と並んでいて。そこにのこっている写真とことばだけを見ると、やっぱり「前向きに生きているがん患者」のように見えます。
でも実際は、そこから漏れて行き場を失った不安やかなしみがどんどん心の中に積もって、心の中で「つらい」「つらい」とこぼしては、肝心の理由は涙に変わって落ちてゆくばかりでした。
病院の経過観察は、大抵月曜日。日曜日の夜はことさら気持ちが不安定になり、ポロポロと涙をこぼしていた日も少なくはありません。夫はそれをわかっていて、気が付くといつも「どうしたの?」と、そばにきて、落ち着くまでただただそっと居てくれたり、そっと抱きしめてくれたりしました。
ひとしきり泣いて涙が枯れてくると「なんでも言ってごらん」と一声かけてくれます。「つらい」「何がつらいの?」「つらい」……ごちゃごちゃになった心の中の整理がつかないわたしは、いつも自暴自棄に適当なことばを声にのせて、部屋の隅へと放り投げるようなことを続けていました。
そのことばを拾っては「本当にそうなのかな?」とそっと問いかけてくれる夫がいて。その繰り返しの中で、やっと正直な「つらい」が言えるようになるのにも、かなり時間がかかったと記憶しています。
それでも、何がつらいのかと問われると、言い淀んでしまう自分がいて。ほんとうは、心の奥に沈んだことばに探りを入れた手は触れているのだけれど。それを掬い上げて他者に手渡すのが怖い。
そんな状態で「がんがつらい」ということばばかり手渡していました。がんのような大変な病気になったんだから、つらくて当然。そのことばを非難できる人はいないであろうという、わたしにとっては安心して表現できる逃げのことばだったのだと思います。
でも「つらい」の奥にまだことばがたくさん沈んでいることを感じとってくれていた夫は、がんに罹患してから1年以上、ただただ忍耐強く、いつもわたしの正直なことばを待ってくれました。
そのうちに、無条件に聴いて受けとってくれる夫に、少しずつ心をひらいて、1つずつことばを手渡せるようになり。受けとってくれることがわかると、本当のことばを掬い上げて声にする努力ができるようになり。
そのときに渡せる範囲のことばを手渡すうちに、少しずつ自分の声を取りもどし、安心してそのまま腕の中で眠れた日もありました。
ただそばに居て、ことばを受けとってくれる人がいてはじめて、人は声を出すことができる。良く言われることですが、本当にそのとおりだと思います。
最後に添えた歌は「あなた」がいるから「わたし」が「君」になる。そんな風に目の前に誰かがいるからこそできることを思い出させてくれる。わたしにとってはそんな歌です。
てばなす【手放す】
1 手に持っていたものを放す。手元から放す。
2 所有していたものを人手に渡す。
3 目をかけていた部下や子供を手元から放す。
4 仕事などを一時中止する。
(デジタル大辞泉)
『汀の虹』のみちしるべ
『汀の虹』は、がんによる孤独の中で握りしめていた“ことばの欠片”を道標に制作しています。握りしめていた“ことばの欠片”の大半は、それまでの人生で大切な人から贈られたことばや、何度も触れた本や音楽、映画のことばでした。
そこからことばをひとつ手にとってはタイトルとして置き、心の奥に沈んだ治療前後の記憶を一つずつ掬い上げ、重ね綴っています。この本や歌、映画の中にあることばや情景をみちしるべにしていたような…という作品のタイトルだけ、最後に添えていきます。(以下、敬称略)
「手放す」
BUMP OF CHICKEN『プレゼント』