「評価されるじぶん」で生きるのをやめてみよう
いつの頃からか、私たちは「評価される」ことが当たり前のように生きている。
小さい頃から、お母さんやお父さん、お姉ちゃんやお兄ちゃん、親戚や学校の先生など、幼い子どもの自分にとって「上」の人がいたものね。
何かをしたら、それが何らかの形で評価される
そういう経験を重ねてゆくと、私たちはごくごく当たり前に、こころの中の前提に、「評価される」という自分で生きてゆくようになります。
そして大人になってもこの「評価されるじぶん」で生き続けていると、
自己表現が怖い、自分のしたいことができない、自分の考え・思っていることを言えない、本音を選択できない、他者の動向を気にしすぎてしまう、空気を読みすぎてしまう、つい他者と自分を比較してしまう、競争意識が強く出やすい、他者の目が怖い、自分のありのままを認められない、自分や他者を上下関係で見やすい、……
といった、さまざまな葛藤が生まれやすいのです。
今日のお話しは、この「評価される」という生き方を、今だからこそやめてみようというお話しです。
◇「評価されるじぶん」で生きるとき、他者が怖くなる
評価されるというじぶんで生きていると、常に「他者の目」を意識し続けることになります。
どう思われるだろう?
こんなこと言って、怒られないかな?
こんなことして、大丈夫かな?
....
そういう、いわゆる「恐怖」が付きまとい始めるんです。
もしあなたが、他人の目を気にしやすい&怖がりやすかったり、つい他人の顔色を窺ってしまう癖や相手がどう感じているのか勘ぐってしまうこと、相手のちょっとした不機嫌を敏感に察知して自分のせいだと感じてしまう.....などといった、自分の心の動きがあるとしたら。
心の根っこには「わたしは評価される人」という自分自身がいるかもしれません。
「評価される」という立ち位置に自分を置くとき、同時に他者を「評価する人」という位置づけにしてしまいます。
他者はみんな自分を評価してくる人。お母さんやお父さんのように、自分を評価してくる自分より「上」の人。
そういう【無意識の前提・在り方】が、常に他者の目を気にする状態を生みだしますし、他者への「恐怖」に繋がってゆきます。
人がこわいってやつです。怖いとはっきり認識してなくても、緊張しやすいとか自分を取り繕おうとするとか、そんな感じも含みます。
他者への恐怖があると、人前で自然なあなたらしさを発揮してゆくことが難しく感じてゆくでしょう。
なぜなら「評価される」と思っているから。それはそれは怖いのです。
評価されること。それは自分の価値を決定付けられること、でもありますから。
◇評価されること=自分の価値を誰かに決められること、を脱しよう!
人間ですもの、できるなら良い評価をもらいたいと思いますよね。
なぜ良い評価をもらいたいのでしょう?
多くは、自分は価値ある人間であると感じたい・知りたい・証明したいから、などと言われます。
自分では自分の価値を見いだせないし、感じられない。あなたは素敵だよなんて言葉が、誰にでも言える腐った自己啓発の綺麗な常套句のようで、それだけじゃ価値をはかれない。
どこか自分で自分の価値の素晴らしさに気づけずにいると、それを誰かに求め始めます。
あなたの目にはどう映る?みたいに。
なので、他者から貰おうとするんですね。他者に自分の価値を証明してもらおうとし始めるんです。
「評価されるじぶん」という在り方は、無意識に、他者から良い評価をもらおう(自分の価値を他者から与えて貰おう)とする思考や行動を取りやすくするのです。
そんな状態にいるとき、下記のような感情や感覚を覚えやすい。
●相手にあわせて自分をコロコロ変えやすい・変わっちゃう。(流されやすいと感じる人もいるかもねー)
●下手にでようとする、下手にでてしまう。
●相手を上にした、または自分を下にした関係を築きやすい。
●相手に支配されようとする。(本人は気づかないケースも。特にパートナーシップでわかりやすく出る)
●相手の言うこと・意見・思想や想いを、自分より正しいもののように感じる。
●他者の言うことを鵜呑みにしやすい。
●相手と違う想いや意見を持つことが悪のように感じる。(自分が間違ってるように感じる)
●多様性、みんな違っていいことを、どこか受け入れられないと感じる。
●正しさや正解を求めやすい。
●自分と違う意見や想いを抱く人を受け入れられないように感じる。
●自分と違う意見や想いを抱く人を前にすると、責められてるように感じる。
………などなど。
自分は価値ある人だと感じたい・知りたい。これは、誰かに認めてほしい…という気持ちにも繋がりますね。
気持ちは痛いほどよくわかります。もうね、私がまじでそうだったから!かなり酷かったと思う!(笑)
しかしこの在り方は、幼い頃の子どものままのマインドなんだと思うのです。お母さんやお父さんに可愛がってもらうことで自分の価値をみいだしてた、子どものままのマインド。
私達はもう、大人になりました。
誰かに貰うこと、誰かに与えてもらわないと生きてゆけない子どもから、自分で選択し行動し責任を持ち与えることができる大人になりました。
子どもは親がいなければ生きてゆけませんよね。親に「依存」するのが当たり前で、「親がいるから生きてゆけるという依存=他人軸」で育ってゆき、成長してゆきます。
子どものままのマインドを持っているというのは、この「依存のままでいる=他人軸で生き続ける」ということなのだと感じます。
大人になるということは、いつまでも「親なる人の基準で生きる他人軸」から「自分で考え選択し行動し生きる自分軸=自立」することなんだと感じるのです。
評価されるじぶんという立ち位置・在り方は、他人軸で生き続けている精神的依存(子どものマインドのままでいる)ことが、根本的な原因になります。
大人になること。これが「評価されるじぶん」を脱する方法なのです。
◇まとめ 〜自分を決して責めないであげてね〜
評価されるじぶんという立ち位置から降りない限り、
同時に【従う・正しくあろうとする・失敗/間違うことを恐れる】という心もうまれます。
でも、仕方ないです。
子どもの頃はみんな自分より上の立場の人がいて、その人(その多くは親)の言うことに従うことを基本に成長してゆくから。そういう環境にいたんだもの、仕方ない。
お母さんに、お父さん、学校の先生、先輩やお友達など、自分じゃない誰かに評価を受け、その結果何かを受け取ったり受け取れなかったような体験をしてきたら。
そりゃ「評価される人」という立ち位置に自分を置いてしまいやすくなると思う。
褒められるか褒められないか。
いいねと言われるか言われないか。
仲間外れにされないかどうか。
怒られるか怒られないか。
愛されるかどうか。
相手に評価され、ジャッジされ、相手次第で"愛を受け取れるかどうか"が決まる。
相手次第で自分の状態=自分の価値が決まってしまう。
そういう「評価される人」という立ち位置にいると、「恐怖」が生まれます。他者が怖くなるんです。なぜなら他者は「じぶんを評価してくる人」になるから。
この立ち位置は
【他人次第で自分の生き方・あり方・状態が決まってしまう=他人軸】
で生きている状態。
これは子ども・幼少時期につくられる状態です。
子どもはお母さんをはじめ、養育してくれる周りの大人がいなければ生きてゆけません。だからその養育の環境を軸に生きるようになる。これはとても自然なことで、赤ちゃんや子どもはお母さんや大人に依存することから、年齢を重ねてゆく過程で、大人になる=自立をしてゆきます。
しかし、この【他人軸で生きている状態】という子ども・幼少期の癖を持ったまま、大人になるケースがあります。
身体は大人になっても、心・マインドはこの他人軸のまま生きている。そのひとつが、「評価される人」の立ち位置で生き続けていることだなぁと私は感じるのです。
大人になってもこの他人軸で生きていることは、他者に依存している状態でもあるし、他者に自分を明け渡している状態でもあります。
でもね、それはそうなっているあなたが悪いんじゃないんです。決して自分を責めないでほしいと思う。
他人軸のままになっているその根底には、自分自身への無力感が大きくあると私は感じていて、他人軸で生きることしかできずにいただけなんだと思う。※これについてはまた書こうと思う。
ただ、こういう他人軸のまま(=子ども・幼少のマインドのまま)、恋愛関係、夫婦関係、対人関係、上司部下の関係を築いてる人は、とても多く、問題を感じやすいのも事実。
評価される人であり続ける限り、相手に評価されたい&評価されるんじゃないかという恐れ&自己価値が揺らぎ続ける&良い評価をもらおうと必死になる・・・という現実を、生み出し続けてゆくから。
愛や安心感・素直な喜びから生きるんじゃなく、恐れ・不安感・期待や損得や得る得ないといった場所から生き続ける。
そう、私もまさに他人軸状態にどっぷりだった!だからこうして記事を書けるんですけどね。
評価される立ち位置をやめてゆくこと、それは大人になってゆくことなんだと感じます。
本当の自己価値を取り戻すことは、大人になってゆくこと。
誰かや何かに左右されない、真の自分の揺るがない光を、自分が信じて生きること、なんだと感じます。
美智