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適正価格って何だろう?(哲学)

挨拶

 情報社会の昨今、商品価値を巡る様々な意見の対立軸が顕在化してる中、「適正価格とは何か?」と考えるようになったので、今回は「適正価格」に関しての思考をまとめてみました。

結論

 まず、結論はシンプルにも、商品価値を認め、対価としてのお金を支払うことに納得することです。ここで重要なポイントは価値を認めることと対価を支払うに値する納得感です。

「価値を認めること」の意味とは何か

 一般的に商品価値は需要に対する供給量で決まると言われてますが、購入場所の利便性や時間短縮による上乗せ価格、遠方地から入手したい場合の輸送分の上乗せ価格などの要因を含めた様々な要因で価格は変動します。片方は数量による制約での価格調整、もう片方は提供サービス価値の承認であって、商品そのものの価値を認めている訳ではないです。では、商品そのものの価値とはどこに存在しているかと言いますと、それは購入者自身が決めた価値に存在します。ケチな購入者は商品が限界まで値引きされるまで商品価値を認めずに購入はしませんし、素晴らしい商品と思ってすぐに購入する人は自主的にその商品の情報を広めたりします。(欧米だとチップを渡す場合もある)つまり、商品の価値は購入者の持つ感覚で左右されてます

「納得感」の意味とは何か

 購入者の持つ感覚を左右条件として価格以外に「納得感」という要素が大きく影響を及ぼしてます。そもそも、どんな商品でも納得せずに購入する人はいないはずです。あるとすれば、何かしらの手違いか無理やり他者に買わされるような状況くらいです。
   では、「納得感」を得るとはどういう意味でしょうか?
 一般的に商品を購入する側は何かしらの購入目的を持っています。購入目的が必要だからという場合、納得して購入しているというよりも、半強制的に買わされてることになります。水道・光熱費がいい例で、誰も納得して払ってる感覚はなく、払わなければ、生活水準が著しく落ちるから払っているに過ぎません。一方、強制されていないにも関わらず、買う商品は納得していなければ、買わないです。購入しようとする納得の理由は様々ですが、主に生活水準の向上(クオリティ・オブ・ライフの向上とも言う)や、購入者が持つ目的を果たす道具であったり、時流に乗っかった見栄えに結びついたりします。(他にもたくさんの理由はあると思いますが、省略します)つまり、「納得感」は自主的に購入する目的が生まれた時に補助・解決する手段の提供を意味することになります

小難しい話(需要と供給、希少性、転売、感情)

 理論的な話では需要と供給で価値が決まりますので、希少性を持つ商品は必然的に価格という形で高騰する傾向にあります。そこでアパレルメーカーは期間限定で特別デザインの商品を販売し、高値で商品を売る行動に出ることがしばしばあります。その希少性を利用して、アフターマーケットでの二次販売を行う俗に言う「転売」が成立する条件が整ってしまうという訳です。メーカーとしてはアフターマーケットで高い価値で取引されてることはブランド力の証明や話題作りの面でプラス効果があります。しかし、その過程で商品の仲介屋役の「転売屋」は本来認められるはずだった商品価値の価格分を取り、購入者はブランドに対しての真の対価を払うことを阻害するマイナス効果もあります。数日前に書いた記事でオークションシステムによる転売行為が出来なくなる仕組みについて触れましたが、オークションシステムであれば、購入者はブランドに対する正当な価値を支払えます。その記事は掲載しておきます。

購入者が転売行為を働く者に対し、嫌悪感を懐く最大の原因はブランドへの価値承認行動を阻害された挙句、仲介業者に高額手数料を求められてしまうことに対する理不尽さがある為です。人という生き物は感情的な側面を持っていて、転売で高額手数料請求されては怒るのも無理はありません。ただ、一度アフターマーケットに投入されてしまった商品は10年後までの価格調整をすることを要求するのはメーカー側には無理難題な話であって、アフターマーケットでの価値基準の判断の仕方は難しいものがあります。

まとめ

 商品の適正価格は購入者が価値を認め、対価としてのお金を支払うことに納得感を示すことであり、その商品提供者は価格は様々な価格変動要因で価格を調整しているが、意図的に希少性を演出したり、ブランドへの正当な対価を支払えない仕組みの欠陥により、アフターマーケットでカオスなことになるという話です。

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