あまりにも久しぶりの投稿,いろいろ考えた結果休学することにした話。
好久不見!が過ぎる時間の開き方をしてしまいました。
一応生きてはいますのでご安心を。
さてさて、一旦台湾から話が逸れますが、本来であれば今学期に卒論を書いて、2025年3月に卒業、4月から就職という流れがありました。
そして、タイトルにもある通り、自分で敷いたそのレールをぶっ壊して休学することにしました。
いただいていた内定もバイバイして、また就活のやり直しです。
なんでそんなことをしたのか、理由は単純明快、学校が嫌いになったからです!!
というのも思えば小1のときから学校という空間、集団生活、先生と生徒、みんなと仲良く、みたいなものが苦手とまではいかないんですが、自覚があるところでも無自覚にも、みんなと同じになるためにちょっと無理をして集団にまぎれているタイプでした。
ありがたいことに小中高大どこにいても周りの友人に恵まれて、集団対自分でいじめられるとか、完全に孤立する、とかそういう苦労は経験していないんですが、昔から夏休みや冬休みが終わる前に学校に行くのがいやで、大泣きしたり、体調を崩して吐きつづけたり、みたいなことはありました。
それでも学校に行ってしまえば友達はいるので、今までなんとかいわゆる不登校という選択肢はとりませんでした。(親が熱出しても学校行かせるタイプなので不登校という選択肢は子どものころの自分にはありませんでしたが)
しかし大学4年の秋にもなって(実際にはすでに留学で1年休学しているので社会人1年目が一般的な同い年)いい子ちゃん仮面がついに崩壊を迎えました。
23歳にもなって、大学に行くことを考えただけで薬を飲めないほどのパニックになったりモノに当たったり一晩中泣きじゃくったり、自分はなんて未熟なんだと。。。
春学期の最後の方から、いつも使っているメンタル系の薬との相性の問題で、朝起きれない、起きれても満員電車に揺られるほどの体力はないことが多くなってきて、調子がましな日は豪勢に学校までタクシーで行っていました。
今学期もこの生活か。。。というのを受け入れることが難しすぎました。始業日が近づくにつれて感情や表情ごとなくなっていく感覚がありました。
学校に行かない選択をした何よりもの理由がゼミです。おそらくHSP気質な私は自分の近くで人が怒られているのが苦手で、厳しいゼミの先生が同じ学年の子や後輩たちに怖い言葉で詰め寄っていくのが耐えられませんでした。もちろん自分も何度も叱られました。確かに不出来なレポートを提出してしまったことはありますが、レポートではなく自分自身ごと否定をされるように受け取ってしまい、その恐怖心から過呼吸で教室に入れなくなることもありました。
決して悪い先生ではないのですが、私側の受け取り方のゆがみが原因で学校が怖くなってしまいました。
あまりにも家での様子が不気味だったからか、なんと母親からの理解を得ることができ、自分を守るために休学してもいいよ、というお言葉をいただき、無事に現在の休学生活が始まりました。
休学にあたってクリニックで診断書を書いてもらい、抑うつ状態、不安神経症との診断がありました。病名がつくと、あ、自分のせいというよりも病気のせいなんだな、というふうに思えて少し気が楽になりました。
とはいえこれからまた就活や、半年後には大学へ行って卒論を書かなければならないことなど、自分で壊してしまったレールを修復しないといけない状況ではあります。
でもどうせレールを新しくするなら今度は自分が走りやすいような、何なら歩き心地のいいような、さらには途中に休憩所なんかもつくって、自分専用道にしてしまおう、というわけでノートを更新してみた次第です。
以前[ 台湾留学日記~台中人になるまで~#9]「病まない生活」してみた。という記事を書きましたが、台湾での生き方を思い出して、日本にいても自分を愛す、とまではいかなくても人よりもゆっくり生きている自分をギリ肯定できるようにいろいろ考えてみようかと思います。
次回の投稿で休学中の目標や実際どんな生活をしているのか、について書いていこうかと思います。
また台湾の話もぼちぼち載せていきます。あー台湾に戻りてえな。