嫌なものは嫌である

子供の頃は「これが嫌」「これじゃなきゃ嫌」が多かった事を思い出す。

「これが嫌」は、嫌いな食べ物が多かったり、「これじゃなきゃ嫌」は、好きな服や好きな物が決まるとそれに強いこだわりがあった。

他にも事案はいくつがあったが、それを見かねた母は発達障害を疑い、高校生くらいまであちこちの病院に連れていかれ、医師と何度か面談をした事がある。

結果的には発達障害として診断されず、母としては肩の荷が降りなかっただろうし、「アンタを常人として扱わないといけない」と、厳しく接される事も多かったように思う。

前置きはこれくらいだが、何かと好き嫌いが多かった昔と比べ、今では無関心な事が増えてきている。

昔は生きる世界が今以上に狭かった事もあり、何かで揉めてもこの人とは一生仲良くしたいと考え、ひたむきに向き合い、解決してきた。

例えば、AとBが揉めている話とか、AがBを嫌っている、Aはみんなから嫌われている、とか、以前であれば仲裁したりもしたが、今はクソほどどうでもいい。

そんな話をわざわざしてくるのは同調が欲しいとか、話のレパートリーが無さすぎるとかそんなレベルなので、あなたがそいつを嫌いならそれでいいじゃん、としか思わない。

結局、歳を重ねれば重ねるほど、人との相性は変わってくるし、仮にこれまで付き合いが長くても一生仲がいいとは限らないし、逆に今日や明日に出会う人と一生涯の友達や仲間になる可能性もある。

幼稚な頃は噂を鵜呑みにする事もあったが、今では上記を踏まえ、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じた事を信じるようにしている。

しんどい人ってのは何かを「当たり前」だと思ってたり、何かに「執着している」ケースが多く、俺はその執着を限りなく減らしたいので、昔と比べて色んな事に強く関心を向ける事を減らした。

関心を向けると、その関心先に振り回されやすくなるし、自分が疲れやすくなってしまうから。

生きているだけで疲れるのに、わざわざ疲れに行く必要ないよねって事だ。


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