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『コブのない駱駝』ノート

北山修著
岩波現代文庫

 著者の北山修は、昔々、1967年『帰って来たヨッパライ』というタイトルの曲で有名になったフォーク・クルセダーズのベーシストで作詞家であった。ちなみに私はこのシングル盤をまだ持っている。

 京都の学生アマチュアバンドのフォーク・クルセダーズが解散記念で自主制作した『ハレンチ』というアルバムの中の『帰って来たヨッパライ』がラジオ関西などで最初に紹介され話題となり、日本放送のオールナイトニッポンという始まったばかりの深夜番組でも紹介されて、あっという間に全国的に大きな話題となった。そして、『帰って来たヨッパライ/ソーラン節』として、大手レコード会社がシングル盤として発売して、約280万枚という超大ヒットとなったのである。

 この本は、フォークルの創立メンバーの一人(もう一人は加藤和彦)である北山修が綴ったミュージシャン、数々のヒット曲の作詞家、ラジオのパーソナリティ、作家、精神科医、精神分析家、大学教授など多面的に生きてきた自身を自己分析した自伝ともいうべき内容である。

 まえがきには「劇的観点」ということが書かれている。
「この出演する自分についてながめて、その台本を読み取り、味わうという仕組みは、実は、人が生きていくうえで、とても重要なシステムなのです。だから私は、自らの人生をいわば〈劇〉のようにながめて考えてみることを〈劇的観点〉と読んで、人びとに提示してきました。」という。そして、「私の人生を素材にして、私が深層分析を行うという、珍しい〈自伝〉の試み」とこの本のことを書く。

 フォーク・クルセダーズというグループは何度かメンバーも替わっているが、北山修と加藤和彦の二人がオリジナルメンバーとして最後まで残った。このグループは当時日本国内の音楽シーンの最先端を走っていたと思う。今では当たり前だが、「自分たちで歌を作り、詩を作って、歌って演奏する」ということにこだわった。振り返ってみれば、プロの作曲家や作詞家から歌をもらって、それを好き嫌い関わりなく歌うというのが当然の時代に、自分たちがやりたいことを貫いてきた。プロ再デビューで〝解散コンサート〟をやったりと、なかなか常識では考えられないことを実行してきたグループだ。

 いまでも、彼らの『イムジン河』、『あの素晴らしい愛をもう一度』、『悲しくてやりきれない』などは耳に残っており、ドライブ中に聴くこともある。

 最終メンバーのひとりのはしだのりひこについては、私は会ったことがある。九州の西の端の大学にいた頃、私たちはロックバンドを組んで、自分たちの曲を演奏していた。ある年の大学祭でプロを呼ぼうという話になり、当時『風』(作詞:北山修、作曲:はしだのりひこ)という曲がヒットしていた「はしだのりひことシューベルツ」を往復の飛行機代だけで来てもらったのだ。いま考えればなんと図々しいオファーだったかと冷や汗ものだ。でも当時はそういうことが通用した時代だった。

 話が脱線したが、この本には精神科医としての臨床の経験から、私たちが生きていくための大事な観点が多く書かれている。
 車のハンドルの〝遊び〟がなければ事故を起こしやすいということに譬えて、「自分を遊ばせることができたのか、余裕を持って過ごせたかどうかは、人格の形成に大きな影響がある」と彼は言う。

「葛藤などどっちつかずの状態は、重要な分かれ目であり、けっして美しい解決はない。その見にくい葛藤を生き、時間をかけて選択するのが人間にとっての課題なんだ、と。安易に潔く、二つあるもののどっちかを選ぶのではない.……中略……このように延々と繰り返していくのが、生きるということそのものなんだ」。
「私たちは何か〝意味のあること〟をやることでしか満足を得られない、と思い込んでいる。でも、何かすることによってむなしさを埋めようとしても、際限がない。……中略……私たちは〝いることの幸せ〟を得られる場を確保しなければならない。……中略……私たちは前に進むだけではなく、そうした場で退行することが必要なのだ」。
「もしあなたの周囲に〈あなたはこういう良いところもあるけれど、こういう悪いところもある〉と客観的に分析して、鏡のごとく正直に返してくれる人がいたとしたら、その人のことは大切にしたほうがよい」。

 濃い内容の本なので、ちょっと引用が長くなりすぎた。

 最後に書名の『コブのない駱駝』は北山修が作詞して、加藤和彦が曲を付けた歌で、この本にこのようなタイトルを付けた意味が、この本を読了して少し分かった気がした。

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