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『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』ノート

 カズオ・イシグロは言わずと知れた2017年のノーベル文学賞受賞者であり、この不思議な長い書名の本は、その受賞記念講演を和英対訳で掲載している。

 カズオ・イシグロは、長崎生まれの英国育ち。5歳の時、海洋学者であった父親の転勤で英国に来たカズオは英国籍を取得し、ケント大学で英文学を学び、その後、イーストアングリア大学大学院の創作科に入学した。そこでの夏に2つの短編小説、一つは陰気な心中の話、もう一つは路上喧嘩の話を書き上げたが、クラスメートに読んでもらうに足る作品なのか自信が持てない中で、もう一つ書こうと、今度は現代イギリスを舞台にした、猫を毒殺しようとする思春期の少年の話を書いていたある夜のこと。彼の言葉を引用すると、「不意にこれまでにない差し迫った思いにとりつかれ」、気がついたら自分が生まれた長崎の第2次世界大戦の終戦間際の話を書きはじめていたという。

 それは英国で多文化主義の文学が勃興する前のことで、作品の中で自分の〝ルーツ〟を探るのはまだ流行らない時代に、彼が取り憑かれて書き上げた日本をテーマにした最初の短編を書き終えたときは、何か新しい方向、進むべき重要な方向を見つけたと感じたと回想している。
 その作品についてクラスメートや指導教師などが明確に好意的な反応を見せて励ましてくれたことがエネルギーとなって、彼の最初の長編小説『遠い山なみの光』という原爆投下後の長崎の復興の時期を描いた作品に結実する。この時期は自分にとって決定的に重要な数か月で、この時期がなかったら作家にはなっていなかったとカズオは以下のように述懐する。
「あのとき私に何が起きていたのか――時々振り返っては自問しました。あの異様なエネルギーは何だったのか……。私の人生において、何かを緊急に保存することが必要になっていた一時期、というのが私の得た結論でした」と。

 それは英国に来て最初の11年間は、両親と彼は常に「来年」日本に帰るつもりでいたという思いに根ざしているように思う。両親の心にある未来は英国への単なる訪問者であり、定住者のそれではなかったという。そして彼の成人後の生活は日本にあるというのは最初からの前提で、日本を忘れないためにという祖父の計らいだろうか、祖父の差配で毎月小包が届き、中身は月遅れの漫画や雑誌、ダイジェスト本で、彼はそれを貪り読んだという。祖父が亡くなった後、その定期便は途絶えるが、幼い頃の記憶や両親の話すことを聞いて、自分中に流れ込む日本のイメージや印象は途絶えなかったという。帰国は一度もせず、それだけに彼の心の中に描かれてきた日本は一層鮮明になり、それは彼だけの国になり、だからこそ保存が必要だったと述べる。

「私はいま確信しています。『私の』日本という特異な場所はひどく脆い。外部からの検証を許さない。そんな感覚があって、それがノーフォークのあの小部屋(院生時代に借りていた屋根裏部屋)で私を駆り立てたのだと思います。……中略……心から永久に失われてしまわないうちに紙に書き残すことでした」とその時の心情に触れている。
 その3年後、彼はパートナーのローナとロンドンに住まい、作家として独り立ちをしようとしていたとき、手元にあったマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(「世界最長の小説」としてギネス認定されており、その量は日本語訳では400字詰め原稿用紙およそ1万枚)の構成に刺激を受け、2冊目の小説への取り組み方が開けてきた。彼は一つのエピソードを次のエピソードにつなげていくというプルーストのやり方に身震いするほど興奮したという。「2日前の出来事を20年前の出来事のすぐ隣に置き、両者の関係に注意を向けるように読者を促すこともできるのではないか。そういう書き方なら、人が自らや自らの過去を理解しようとするとき、その理解を十重二十重に覆って曇らせている自己欺瞞や否認の存在を暗に示せるのではないか……」と彼は述べている。
 そしてこのような手法で書き進めていた『日の名残り』に、何かが足りないという小さな思いを抑えきれずにいたときに、ある夜、家でトム・ウェイツの「ルビーズ・アームズ」という歌(YouTubeで聴くことができる)を聴いていて、結末の重要なヒントが閃く。

 この本のタイトルにもなっている〝特急二十世紀〟は、過ぎ去ったばかりの100年のことではなく、20世紀前半にニューヨークとシカゴを結んでいた有名な豪華列車の名前で、この列車を舞台にした『特急二十世紀』(1934年 ハワード・ホークス監督作品)を観ている時に、自分が描いている人物像に欠けているものに気がつく。
「すべてのすぐれた物語は、読者にとって重要と思える関係を――読者を衝き動かし、楽しませ、怒らせ、驚かす関係を――含んでいなければならない。これからはもっと関係に注意しよう。そうすれば、たぶん、登場人物が勝手に立体的になっていってくれるのではないか。」
 こう述べた彼は、自分の作家人生の中で驚くほど遅れて来た発見だったと言い、この映画を観た夜がターニングポイントだと語っている。
 そして作家にとって重要なターニングポイントは、「ちょっとした瞬間に、その人だけにわかる啓示の火花が静かに光ります。めったにあることではなく、あってもファンファーレつきとはかぎりません。……中略……啓示を得たら、その何たるかを認識できることが重要です。さもないと、せっかく来たものが手をすり抜けていってしまいます」と述べている。

 講演の最後に彼はいまの社会に疑問を呈する。
「全体主義がはびこり、民族抹殺など、歴史上類を見ない大虐殺が横行していたヨーロッパを、年上の世代が見事に変身させるのを見てきた」から、自分たちの世代は楽観主義的な傾向に陥っているのではないかと疑問を呈し、資本主義と共産主義の思想的・軍事的衝突を背景に育った自分たちは、〝ベルリンの壁〟の崩壊で、うぬぼれの時代に入っていたのではないか。
 そして現在の世の中を見ると決して楽観できるものではなく、「私たちを一致団結させられる進歩的な大義は、まだ見えてきていません。」と言い、科学技術や医学の発展も決して人類に利益だけをもたらすだけではなく、マイナス面もあることに警鐘を鳴らす。

 講演の締めくくりで述べたカズオ・イシグロの含蓄のある言葉を書い抜いてみよう。
「社会が巨大な変化に適応しようとするとき、議論や争いや戦いが起こります。そんな争いに新しい見方を与え、感情をともなわせるための一助となる何かが、私にまだ残されているでしょうか。」
「私は投げ出さず、最善を尽くさなければならないでしょう。なぜなら、文学は重要であると――この困難な地平を渡っていくためにはいっそう重要であると――私は信じているからです。若い世代の作家が頼りです。若い人たちが私たちに閃きを与え、導いてくれることを願っています。」
「この世界の全体を正すことは困難です。ならば、せめて本を読み、書き、出版し、推薦、批判し、授賞しつづけられるよう、私たちの住むこの〝文学〟という小さな一角だけでも、維持発展させていきましょう。不確かな未来に私たちが何か意味ある役割を果たしていくつもりなら――今日と明日の作家から、それぞれベストを引き出そうと願うなら――私たちはもっと多様にならなければなりません。」

 そして、自分の言う「多様」の意味二つに触れて、この言葉こそ、これからのキーワードとし、〝文学〟の可能性に期待を述べ、講演を締めくくっている。是非読んで味わっていただきたい講演である。

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