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『心はどこへ消えた?』ノート

東畑開人(とうはたかいと)著
クイックオバケ装画
文藝春秋刊

 著者は博士(教育学)で、現在カウンセリングルームを開業している臨床心理士・公認心理士である。

 私はもともと河合隼雄さんのファンで、全集のほかに単行本や文庫本など発行された著書はほとんど読んでいる。河合隼雄さんはご存じの通り、ユング心理学のわが国における先達で、臨床心理家である。
 河合隼雄さんの著書には〝心(こころ)〟が付く著書が多くある。『こころの処方箋』『日本人の心』『心の深みへ』『昔話と日本人の心』『神話と日本人の心』『こころの最終講義』など――いま本棚を見渡しただけでもこれくらいある。

 ということで(なにが「ということで」かはよくわからないが)、〝心(こころ)〟が付く書名に私は無条件に惹かれるところがあり、本屋で見つけたときには面白い表紙だったこともあって、中も見ずに買ってしまった。

 タイトルの由来はこうだ(もちろん私の解釈だが)。
 世界中が新型コロナウイルスに襲われ、同じ不安におびえ、同じ脅威に立ち向うことで、みんながみんな、同じ物語に取り巻かれてしまった。2020年の私たちは大きすぎる物語に振り回されることになった。その大きすぎる物語によって、私たちは〝みんな〟へと束ね上げられてしまう。そのとき、個人は群れの一員として扱われ、心を一つにするよう求められるのだ。またそれは有無を言わせないだけの説得力がある。その時、私たち一人ひとりの小さな物語たちが吹き飛ばされてしまったと著者は言う。

 たとえば、「不要不急の外出は自粛」などという、はっきりしない尺度で一人ひとりの行動を判断される。「公園や川辺や山道を散歩したいな」、「友人と久しぶりに会ってバカ話に花を咲かせたいな」、「孫に久しぶりに会いたいな」――これなどは言ってみれば、誰が判断するのか分からないが〝不要不急〟だと判断されるだろう。しかし、ヒトには寿命がある。その時にやりたいことをしなければ、永遠にその貴重な機会が失われることもある。仕方ないと言ってしまえば、それまでだけれど……。一人ひとりには〝不要不急〟の用事などは存在しないのだ。
 大きすぎる物語は、一人ひとりの小さな物語を想像することをとてつもなく難しくする。言い換えれば小さな物語の存在を許さないのである。
 ヒトは会って話して、また相手の話に耳を傾けてこそ、他人の心に触れる事ができるし、その存在が分かるのである。それらの話がたとえややこしくて、めんどくさくて、バカっぽい話であってもそうだ。

 著者は河合隼雄さんが提示した問題に触れている。河合隼雄さんは、「物は豊かになったが、心はどうか?」と問いかけて、心に裏があり、深層があることを教えてくれたと書いている。
 一人ひとりが抱えている問題が「心の闇」ではなく、「社会の歪み」へと還元されてしまった。心をケアするために、内面ではなく、外界を整備する事の重要性が強調されるようになった。そこに〝心〟はなくなってしまったのだ。

 著者が臨床家として対処しているクライアントの〝物語〟を取り上げており、心の迷路とその歩み方を提示している。
 目次を眺めただけでも面白い。「ネズミのドラクエ」「ソネミとネタミとカゲグチと」「金で済むことは、楽やなぁ」「仮病は心の風邪」「涙腺モミモミ」などなどまずもずタイトルからして面白い。
 それとクイックオバケさんの装画も、ネズミ(だと思う)が自転車を漕いでいたり、夜空をタコ(だと思う)が飛んでいたり、何とも不思議で面白い。

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